ピラミッドといえばエジプトやメソ・アメリカが有名ですが……日本にもピラミッドがあったことは知っていますか?
1980年代後半にブームになり、日本でも10ほどのピラミッド候補が発見されました。前回は最初にピラミッドとして認定された、広島県の葦嶽山ピラミッドについて紹介しました。
今回は葦嶽山ピラミッドの次、2番目に日本のピラミッドとして認定された、青森県新郷村の十和利山ピラミッドと大石神ピラミッドについて紹介します。
十和利山ピラミッドは伝説によれば日本で最初に造営されたピラミッドで、大石神ピラミッドとレイラインを形成しています。さらに青森県のキリストの墓と合わせて、東北の古代文明を示唆するロマンあふれる謎が満載なのです!
日本のピラミッドとは?『竹内文書』との関係
ピラミッドというとエジプトのものを想像する人が多いように、完全人工の三角錐の構造物で、王の墓だと思う人が多いかもしれません。
しかし日本のピラミッドの提唱者である酒井勝軍(さかいかつとき)氏が定義するピラミッドは、エジプトやメソ・アメリカのピラミッドとはまったく異なります。
- 完全人工ではなく、自然の山を利用して作られた半自然・半人工の建造物
- 日本のピラミッドは墓ではなく神殿
- 山は左右対称の二等辺三角形の稜線を描き、山頂部には石組みの遺構(磐座)がある(この石組みの配置によって単様内宮式、単様外宮式、複様内宮式、複様外宮式の四つの様式に分けられる)
- ピラミッドは神殿なので、神殿(ピラミッド)を拝むための祭壇や鏡石がその近くにある
酒井勝軍氏は『竹内文書』という古文書から日本のピラミッドの情報を入手しました。
『竹内文書』とは竹内巨麿氏の家に代々伝わってきたという膨大な古文書で、竹内巨麿が昭和前期に開いた新興宗教「皇祖皇太神宮天津教」の聖典です。
聖典というと戒律を書いたようなものと思うかもしれませんが、神話という方が近く、日本神話には載っていない日本の本当の歴史を記した書物だとされています。
そんな『竹内文書』の内容を要約すると、日本人は伝説のムー大陸(ムー文明)の子孫で、ムー大陸沈没後も、日本は世界の中心だったといいます。そのため釈迦(ブッダ)やモーセ、キリストといった大宗教の教祖は皆日本に来て、天皇に仕え、英知を学んだ……と、あまりにも荒唐無稽な話のオンパレード。
騒動後には科学的な調査が行われ、近代の紙だとわかり、偽書と確定しました。おそらくは自分が興した宗教の権威付けのために架空の神話を創造したのでしょう。
しかし不思議なことに、酒井氏は実際に『竹内文書』をもとに、『竹内文書』に書かれた通りの葦嶽山ピラミッドを発見しましたし、その後、日本で10ほどのピラミッド候補を発見しました。
「なぜ酒井勝軍氏は偽書から本物のピラミッドを発見できたのか?」という謎についてはコチラでくわしく紹介しています。
そんな酒井勝軍氏が竹内巨麿とともに調査を行い、第2の日本のピラミッドとして認定したのが、青森県三戸郡新郷村(旧戸来村)の十和利山ピラミッドと、大石神ピラミッドです。
大石神ピラミッドと十和利山ピラミッドは日本最古のピラミッド
『竹内文書』によれば、十和利山ピラミッドは「五万年前に作られた日本最古のピラミッド」。
そして十和利山ピラミッド(本殿)を拝むための拝殿に位置するのが、十和利山を見渡すことができる山間に作られた「大石神ピラミッド」なのです。
この本殿(ピラミッド)と拝殿という構造はエジプトのピラミッドには見られない、日本のピラミッド特有の特徴で、この構造も『竹内文書』に書かれています。
ですから大石神山は正確にはピラミッドではありません。ピラミッドはあくまでも十和利山です。おそらくは観光のために「大石神ピラミッド」と呼ばれるようになったのでしょう。
大石神ピラミッドと十和利山ピラミッドから見つかったピラミッドの証拠
画像引用元:青森県観光情報サイト
十和利山ピラミッドの頂上の岩の上には小さな祠があります。昔はそこに星座が刻まれていたという言い伝えがありますが、今は消えてしまっています。
十和利山ピラミッドを拝む位置にある大石神山(大石神ピラミッド)からは、拝殿所としての証拠である巨大な鏡石や方位石、太陽石などの巨石群が発見されました。
鏡石はかなり巨大(下方四囲が12m)ですが、今は真っ二つに割れてしまっています。江戸時代、大地震で割れて落ちたという伝承があります。
またこの鏡石を地質学的に調べたところ、亀ヶ岡の隣の「深浦」という場所の岩だと判明。大昔に、深浦から戸来村まで運ばれたのでしょう。
このような事実からも、大石神ピラミッドの鏡石が、十和利山ピラミッド拝殿のために人工的にしつらえられたことがわかります。
大石神ピラミッドと十和利山ピラミッドとキリストの墓の関係
大石神ピラミッドと十和利山ピラミッドは青森県三戸郡新郷村(旧戸来村)から発見されましたが、戸来村といえば青森県のキリストの墓。
『竹内文書』によれば、十字架にかけられて処刑されたのはキリストの影武者で、本物のキリストは日本の青森県に渡来したといいます。
本当かどうかはともかく、青森県戸来村(現新郷村)には実際に「キリストの墓」と銘打たれた墓所があり、現在では観光地の1つとして保護されています。さらに戸来村にはキリストやユダヤとの関連を示す状況証拠がいくつも伝わっており、日ユ同祖論の根拠に用いられることも。
青森県のキリストの墓についてはコチラでくわしく紹介しています!
そして、竹内巨麿は当時「天国」と呼ばれていた高原(現在の「迷ヶ平」)を指さし、「(迷ヶ平は)アメノニニギノ天皇が遷都した場所であり、そのために迷ヶ平にそびえる十和利山を日本最初のピラミッドとして作り変えた」といったのです。
迷ヶ平(天国)は、『旧約聖書』におけるエデンの園のモデルになったという説もあります。エデンの園についてはコチラでくわしく紹介しています!
日本最古のピラミッドが東北の青森県にあるのは、こういった伝説に基づくのです。
大石神ピラミッドと十和利山ピラミッドとキリストの墓のレイライン
画像引用元:高橋克彦他著『超古代文明論―オーパーツが証す神々の存在』 (徳間書店、2001)
さらに面白いのは、大湯環状列石(ストーンサークル)などの縄文後期の遺跡がある十和田湖と、十和利山ピラミッド、大石神ピラミッド、さらに沢口家のキリストの墓、新郷村(戸来村)のストーンサークルと……『竹内文書』に記された古代東北文明の遺跡が一直線のライン上に並んでいることです。
いわゆるレイラインですね。
レイラインについてはコチラでくわしく紹介しています。
日本とムー大陸に関係があり5万年前にピラミッドが作られたという話や、キリストが日本に渡来したという話は簡単には信じることはできません。しかしこのような不思議な配列を見ると、ムー大陸などの超古代文明や、宇宙人のテクノロジーを感じずにはいられません。
これらはナスカの地上絵のように、古代、空からの目印として配置されたのかもしれませんね。
さらに秋田県には人工のピラミッドである証拠が科学的に発見された黒又山ピラミッドが、岩手県には幻の金属ヒヒイロカネが発掘された五葉山ピラミッドがあります。東北に、歴史に残されていない古代文明が存在していたのは確かなのかもしれません。
次回は日本のピラミッドシリーズ第4弾、長野県の皆神山を紹介します。ぜひご覧ください!
また日本のピラミッドや『竹内文書』は、推理小説家やSF小説家などに大きな影響を与え、多くの壮大かつ面白い傑作を生みだしました。
筆者のオススメは、あの『戦国自衛隊』の原作者である半村良氏が書いた『石の血脈』や『黄金伝説』と、大河ドラマ『炎立つ』の原作者である高橋克彦氏が書いた『竜の柩』です。どちらも大傑作ですのでぜひご覧ください。