ピラミッドといえばエジプトやメソ・アメリカが有名ですが……日本にもピラミッドがあったことは知っていますか?
1980年代後半に「日本のピラミッド」ブームが起こり、全国から10ほどのピラミッド候補が発見されました。
オカルトオンラインではこれまでに日本のピラミッドをいくつか紹介してきましたが、今回はシリーズのまとめ回。
日本のピラミッドの一覧や、発見の経緯、また本物のピラミッドである可能性が高いものを紹介&徹底検証してきます!
日本のピラミッドとは?酒井勝軍とは?
そもそも、ピラミッドというとエジプトのものを想像する人が多いように、完全人工の三角錐の構造物で、王の墓だと思う人が多いかもしれません。
しかし日本のピラミッドの提唱者である酒井勝軍(さかいかつとき)氏が定義するピラミッドは、エジプトやメソ・アメリカのピラミッドとはまったく異なります。
- 完全人工ではなく、自然の山を利用して作られた半自然・半人工の建造物
- 日本のピラミッドは墓ではなく神殿
- 山は左右対称の二等辺三角形の稜線を描き、山頂部には石組みの遺構(磐座)がある(この石組みの配置によって単様内宮式、単様外宮式、複様内宮式、複様外宮式の四つの様式に分けられる)
- ピラミッドは神殿なので、神殿(ピラミッド)を拝むための祭壇や鏡石がその近くにある
完全人工のピラミッドというと、高度な文明と膨大な労働力が必要でリアリティがないのですが、自然の山に手を加えたものなら、古代の日本でも十分に造営可能ですよね。
日本のピラミッド一覧を地図で紹介!
画像引用元:高橋克彦他著『超古代文明論―オーパーツが証す神々の存在』 (徳間書店、2001)
日本全国ではこれまでに、酒井勝軍氏以外が発見したものも含めて、10ほどのピラミッドが候補に挙げられています。
以下がその一覧です。
- 青森県 モヤ山ピラミッド
- 青森県 十和利山ピラミッド&大石神ピラミッド
- 秋田県 黒又山ピラミッド
- 岩手県 五葉山ピラミッド
- 福島県 千貫森ピラミッド
- 長野県 皆神山ピラミッド
- 富山県 尖山ピラミッド
- 愛知県 東谷山ビラミッド
- 奈良県 三輪山ビラミッド
- 広島県 葦嶽山ピラミッド
日本のピラミッドは基本的には、東日本に多いです。日本の歴史の中心は西日本だと思われていますが、縄文時代などの古代文明は東北が中心でした。
もちろんピラミッドの定義や認定は人によって異なりますので、ここに載っていないピラミッド候補も存在します。
今回は日本のピラミッドの一覧の中から、とくに有名な5つのピラミッドをくわしく紹介します。
日本のピラミッド①広島県の葦嶽山ピラミッド
酒井勝軍氏が最初に発見した日本のピラミッドが、広島県の葦嶽山ピラミッド(あしたけやま-)です。
葦嶽山山頂の地下から巨石遺構(巨石が丸い球体の石(太陽石)を囲むように四角く並べられ、それをまた大きな円が取り巻いていました)が発見されました。この葦嶽山ピラミッドの石組みは、もっとも格式が高い「複様内宮式」でした。
さらに葦嶽山ピラミッドに隣接した鬼叫山から、明らかに人工物と思える祭壇や巨大な鏡石を発見。鬼叫山は葦嶽山ピラミッドを拝むための拝殿だったのです。
この本殿(ピラミッド)と拝殿という構造はエジプトのピラミッドには見られない、日本のピラミッド特有の特徴です。
葦嶽山ピラミッドについてはコチラでくわしく紹介しています!
日本のピラミッド発見経緯と『竹内文書』の信憑性
では、酒井勝軍氏はどうやって日本のピラミッドの情報を入手して葦嶽山ピラミッドを発見したのでしょうか?
日本のピラミッドを発見できたのは、『竹内文書』という古文書に書いてあったからです。
『竹内文書』とは、竹内巨麿(たけのうちきよまろ)という人の家に代々伝わってきたという膨大な古文書で、竹内巨麿氏が昭和前期に開いた新興宗教「皇祖皇太神宮天津教」の聖典です。
聖典というと戒律を書いたようなものと思うかもしれませんが、神話という方が近く、日本神話には載っていない日本の本当の歴史を記した書物だとされています。
そんな『竹内文書』の内容を要約すると、日本人は伝説のムー大陸(ムー文明)の子孫で、ムー大陸沈没後も、日本は世界の中心だったといいます。そのため釈迦(ブッダ)やモーセ、キリストといった大宗教の教祖は皆日本に来て、天皇に仕え、英知を学んだ……と、あまりにも荒唐無稽な話のオンパレード。
騒動後には科学的な調査が行われ、近代の紙だとわかり、偽書と確定しました。おそらくは自分が興した宗教の権威付けのために架空の神話を創造したのでしょう。
そして『竹内文書』には、「広島にピラミッドが造営された。今からおよそ二万ニ千三百年前に作られたのもので、造営者は弥広殿作尊(ヤヒロトノツクリノミコト)天皇だ」と書かかれています。
二万二千年前の日本でピラミッドなんて作れるわけがありません。そもそも『竹内文書』は偽書なのですから、ここに書いてあるピラミッドも伝説もすべてウソ……。
しかし不思議なことに、酒井氏は実際に『竹内文書』をもとに、『竹内文書』に書かれた通りの葦嶽山ピラミッドを発見しましたし、その後、日本で10ほどのピラミッド候補を発見しました。
鏡石は巨大ですから捏造も不可能。葦嶽山ピラミッドの石組みの様式まで、ちゃんと『竹内文書』に書いてあったのですから不思議です。
酒井勝軍氏が偽書である『竹内文書』から、今まで歴史学者や考古学者が見つけることができなかった日本のピラミッド(と思われる巨石遺構や鏡石の拝殿)を発見したのはまぎれもない事実です。
この謎の真相は、『竹内文書』を編さんするにあたって、竹内家は本当の隠された歴史資料を持っていて、それをもとに竹内巨麿が自身の新興宗教の権威付けのために盛りに盛った創作を加えたのではないか……と筆者は考えています。
似たような例として、オカルト好きには有名な日本のキリストの墓や、青森県とユダヤとのつながりも、『竹内文書』が発端となって発見されています。
日本のキリストの墓についてはコチラでくわしく紹介していますのでぜひご覧ください。
日本のピラミッド②青森県の大石神ピラミッド&十和利山ピラミッド
酒井勝軍氏が竹内巨麿とともに調査を行い、第2の日本のピラミッドとして認定したのが、青森県新郷村(旧戸来村)の十和利山ピラミッドと、大石神ピラミッドです。
『竹内文書』によれば、十和利山ピラミッド(とわりやま-)は「五万年前に作られた日本最古のピラミッド」だといいます。
十和利山ピラミッドの頂上の岩の上からは小さな祠が発見されました。昔は祠に星座が刻まれていたという言い伝えがありますが、今は消えてしまっています。
そして十和利山ピラミッド(本殿)を拝むための拝殿に位置するのが、十和利山を見渡すことができる山間に作られた「大石神ピラミッド」です。
ですから大石神山は正確にはピラミッドではありません。ピラミッドはあくまでも十和利山です。おそらくは観光のために「大石神ピラミッド」と呼ばれるようになったのでしょう。
大石神山(大石神ピラミッド)からは、拝殿所としての証拠である巨大な鏡石や方位石、太陽石などの巨石群が発見されました。
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