創造主アヌンナキの記述が残されていたとされるメソポタミア文明はチグリス川とユーフラテス川を中心として発展した複数の民族文明の総称です。現在の位置にするとイラクやシリアといった中東地域にあたります。このメソポタミア文明はこの地域が持つ土地の肥沃さから、古代エジプトよりも早くに農業などを始めていたと言われており、一説には世界四大文明の中で【最も古い文明】であったとされています。

メソポタミア地域の文明は大まかに見ると南北に分かれており、北部では紀元前6000年頃には既に文明がいくつかは発展しはじめ、南部では紀元前5000年~紀元前3500年頃に北部に少し遅れて形成されてきたとされています。始まりは北部にあったとされるいくつかの文明や人種でしたが、メソポタミア文明初期の中心を築いたとされているのは南部に起こった「シュメール人」と呼ばれる人々でした。

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古代シュメール人とメソポタミア文明の出現

実はこのシュメール人達も民族系統が未だに解明されていない謎の多い古代人なのですが、一説には新石器革命と言われる紀元前10000年前から紀元前7000年前には、すでに牧畜と農耕が始まっていたとされており、この文化は「ナトゥーフ文化」と呼ばれています。

その後、1000年ほどの単位でいくつかの文明や文化が形成されていき、ウバイド期と呼ばれる集落や神殿を始めとした階級社会や集団的な生活が始まった形跡が発見されていたものの都市国家と呼べるほどの文明発達を裏付けるようなものは発見されていないそうです。

都市や国家と呼ばれるメソポタミア文明の出現はウバイド期が終わって数百年後、紀元前4000年頃よりウルク期と呼ばれる初期の都市国家が形成されていったと言われており、このウルク期の文明を引き継いで発展させていったと言われているのが古代シュメール人とされています。

この紀元前3500年頃から既に都市国家として機能していたとされるシュメール人達の文化は楔形文字(くさびがたもじ)を使用しており、それらの多くは粘土板などに記されていたものであり、近代になって発見、研究されています。

創造主アヌンナキとシュメール人

前述の通り、古代シュメール人には多くの謎が残っており古代言語とされる楔形文字も多くの言語学者や歴史研究家などによって解読されてきました。

そんな研究者の中にアゼルバイジャンに生まれ、メソポタミア文明の現代の位置に相当する中東パレスチナで育ったゼカリア・シッチンという言語学者、考古学者がシュメール人の残した粘土板の楔形文字から衝撃的な内容を解読します。

ゼカリア・シッチンは古代ヘブライ語やセム系、ヨーロッパ言語などを含んだ多種多様な言語学を研究しており、旧約聖書や近東を中心とした考古学者でもありました。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスという経済学においてはヨーロッパ第一位と呼ばれるカレッジを卒業し、中東へ戻りイスラエルでジャーナリストや編集者として活動しつつ、ニューヨークへと渡り執筆活動を行なった人物です。

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%94%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%AD%97

その内容とは…

「約44万年前に宇宙からアヌンナキと呼ばれる宇宙人が地球に降り立ち、金採掘やその他資源確保の労働力として30万年前頃に人間を創った」という解読結果でした。

1976年に自身の著書である「第12惑星」という本の中でこれらの詳細について語られています。

ゼカリア・シッチン氏によると、シュメール人が残した「アヌンナキ」という呼び名には「天から降り立った人々」という意味がある主張しており、これらは神々を表現する言葉であったということです。

以下でアヌンナキが人類を創造したとするゼカリア・シッチン氏の主張や、アヌンナキの存在が残された後期バビロニア神話などに照らし合わせた論説を一通り紹介していきます。

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宇宙から降りて来た神々アヌンナキ

ゼカリア・シッチン氏が主張する「アヌンナキの人類創造」は想像以上に高度な技術とある種のグロテスクさを持ち合わせており、かなり不気味なものです。

まず、宇宙人アヌンナキが最初に試みたのは猿に対する遺伝子操作でした。

しかしアヌンナキが予測していた労働力として使える人までの知能が発達しなかったことから、最終的には猿人とアヌンナキ達自身をかけ合わせることにしたのです。

その方法は猿人の卵子に宇宙人の精子を体外受精させ、アヌンナキ達の胎内で新しい生命を創るというものです。これらの実験のような行為によって誕生したのが現生人類であり、最初は白人が作られた後に世界中に様々な人種を誕生させたとのことです。

ちなみにこの説では日本人もアヌンナキによって創造されており、世界的な均衡を考えて比較的温和な人種になるように”調整”されたと言われています。

ゼカリア・シッチン氏の解釈はシュメールの宇宙論にも踏み込んでおり、アヌンナキの本拠地は惑星ニビルと呼ばれる3600年周期の仮説天体であり、アヌンナキは人類に類似している非常に高度な文明を持った宇宙人であることに加えて、ニビルの衝突(火星と木星の間にあったニビルの月であるティアマトと衝突したとシッチン氏は主張している)によってそれぞれが現在の「地球」「小惑星帯」「彗星」に分かれたとも語っています。

また、メソポタミア文明を築いたシュメール人は既にアヌンナキの支配下にあったことや、アヌンナキの指導によって王権を与えられ、神(アヌンナキ)と一般的な人類の間を取り持つ役目として階級制度のある都市国家が発展していったとも主張しています。

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アヌンナキが神とされた後期バビロニア神話

シュメール人が残したのは粘土板での楔形文字だけではなく、シュメール神話としてもアヌンナキを取り上げています。

シュメール人がメソポタミア文明に関わり始めた経緯については「古代シュメール人とメソポタミア文明の出現」でも触れましたが、このシュメール人の初期にあたるウルク期の都市ウルクの守護神とされたのが、アヌンナキの長であり「アヌ」と呼ばれる偉大なる空の神であったということがシュメール人達が歴史から消えた後に成立した後期バビロニア神話に記述されています。

アヌンナキの語源は「アヌンナ」という五十柱の神々を表す言葉と「イギギ」という小さな神々が合わさった言葉だと言われており、同バビロニア神話では「アヌンナキ」とはウルクの守護神のアヌと兄妹神であったキの子を指しているものだそうです。

日本の多神教的な文化でも同じですが、神という存在(アヌンナキの場合は宇宙人ですが…)は子は1人ではなく沢山の神を生みだします。

後期バビロニア神話を基に考えれば、最初に地球に降りてきた宇宙人が「アヌンナ」と呼ばれた五十柱の神々であり、その長であったのが「アヌ」。さらに妹神の「キ」との間に出来た数多くの神々が「イギギ」と呼ばれる小さな神々になり、人類から見た神の集団(宇宙人の集団)を「アヌンナキ」という言葉で呼んでいたと考えられます。

アヌンナキ達も一枚岩ではなく、アヌの地位はのちにエンリルという別のアヌンナキに取って代わり、さらにエンリルともう1人のアヌンナキであるエンキという神が対立し、最終的にはエンリルが指導者としての地位を勝ち取ったとも言われています。

ちなみに、後期バビロニア神話の中ではユダヤ教による安息日にイギギ達がデモを行なったことが原因で、エンキによって人間が作られ、イギギ達は働かなくてもよくなったとのこと。

最初の長であるアヌは空の神であったのに対して、エンキは淡水・知恵・魔術の神であり、錬金術師でもあったそうです。

いずれにせよ、後期バビロニア神話においても、ゼカリア・シッチン氏の主張においても共通するのは「アヌンナキが人類を創った」という重要な点です。

そしてバビロニアと言われると中にはピンと来る方もいるかもしれませんが、ハンムラビ法典で有名なハンムラビ王が統治していたのが、この後期バビロニア神話が成立した年代とほぼ同じ紀元前1750年前後だと言われています。

また、シュメール神話と呼ばれる神話は、厳密にはシュメール人を滅亡させたと言われているアッカド人の時代には既にほぼ完成されており、名前をアッカド神話とされたものの、内容についてはシュメール神話から大きな変化がないまま後期バビロニア神話まで続き、内容や神々の名前までも引き継いでいます。

古代シュメール人がメソポタミア文明を起こしたのが紀元前4000~3500年であり、多民族地域であったことからその後関わりあった王朝や統治者の変化は何度かあったものの、およそ2000年近い時が流れたにも関わらず、その神話はほとんど変わることなく伝わっていたのです。

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アヌンナキが神話を超えて伝わった背景

この内容が変化しなかった神話の裏付けとしてよく挙げられるのは、最初のシュメール人を滅亡させたと言われるアッカド人であったといったように「世代変化や共同体の多様化」はメソポタミア文明初期からあったものの、これらの出来事は人種的間的な争いがあったのではなく、その時々で勢力を持った多民族がそれぞれの形でバビロニア建国までに関わっていた可能性の方が高いという学説です。

現代であれば、日本人、韓国人、ロシア人、中国人、アメリカ人など、国家間の意識や使用言語によって民族アイデンティティの確立や住み分けをおこなっていますが、シュメールやアッカドの楔形文字に残されたものは、それぞれの都市への帰属意識がある一方で、「種族的な共同体」という感覚はほとんど見られないそうです。

バビロニアの時代になれば、すでに王権を巡って部族や人種間での争いがあったことは確認されているものの、少なくとも「バビロニアに住む者」という共通した自己認識を持つまでは民族的な感覚や言語による集団意識が発生していなかった可能性が高いということです。

さらなる根拠としては「言語の重なり」が挙げられます。

シュメール人が口語としていた「シュメール語」と呼ばれる言語は最も古い言語ですが、ハンムラビの時代には口語としては消えており、バビロニア時代の主な口語は「アッカド語」であったという説があります。しかし、文書や学問に加えて「祈り」の言葉としてはシュメール語は残されており、それが紀元前311年に起こったセレウコス朝までシュメール語の文書が残されているそうです。その期間は少なく見積もってもざっと3200年以上になりますから驚きです。

余談にはなりますが、約3200年という時間は、日本の皇暦(初代天皇から現代まで)の期間よりもさらに約600年も長い期間となります。しかもこれらは全て「紀元前」の話です。

いずれにせよこれだけの長期間において、神話形態が変わっていないという事実は、シュメール人時代から少なくとも後期バビロニア神話における期間において、アヌンナキという存在がどれだけの影響を与えていたのかを裏付ける1つの証拠にはならないでしょうか?

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