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このページではオカルトオンラインで過去に紹介した「秦氏の謎」についての記事をまとめています。
その昔、大陸から日本に来た渡来人の中でも最も謎に包まれているのが「秦氏」の一族です。
日本書紀の中にも第15代応神天皇の時代に渡来した「 弓月君 」(ゆづきのきみ)が祖であるという記述が残されており、秦氏一族は朝廷にも関わりが深かったとも言われています。
秦氏の一族は日本に数多くの文化などをもたらし、当時の京都を中心に大きな勢力を持っていたと伝わっています。
さらに日本各地に広がる稲荷信仰の総本山「稲荷大社」の建立にも大きく関わったとされているほか、神社仏閣の多くに関係があったことでも知られているのです。
しかし、ここまで大きな力を持った一族でありながら、その出自は謎に包まれており、「秦氏」がどのような血筋や背景を持っていたのか?
ということについては、現在でも数多くの議論を呼んでいます。
秦氏のルーツに関する謎
秦氏に関する謎の中でも、特に様々な意見があるのが「秦氏が元々どのような人種であったか?」ということです。
秦氏の一族が、いわゆる朝鮮半島もしくは中国大陸から日本へ来たことは歴史書からも確認出来ますが、それよりももっと古い時代にどのようなルーツを持っていたか?
記録に残されたところによると、日本に渡ってきた秦氏の一族は当時の日本にあった文化を遥かに凌ぐ知識や技術を持っていたと言われています。
それらの技術力によって、日本には沢山の文化が根付いたとすれば、秦氏の功績は計り知れないものがあります。
秦氏の一族は、古代中国で初めて全土を統一した国である「秦」の末裔だとも言われています。
しかし、秦国から漢王朝へ時代が移った背景を考えると、少し無理がある説のような気がしなくもありません。
秦氏が関わったとされる稲荷信仰や神社仏閣の建立
稲荷信仰の総本山である稲荷大社の建立に関わったのは秦氏一族の血筋である秦伊侶具(はたのいろぐ)と呼ばれる人でした。
この人物は稲荷大社の社記にも記述されており、稲荷大社に秦氏が関わったことは歴史的な事実として考えて良いでしょう。
秦氏が日本に残したものとは?
秦氏の出自は謎に包まれていますが、日本へ大きな影響を残したことは間違いありません。
番外編
実は、秦氏のルーツの一説には古代ユダヤ人説があり、これらに関わる謎には皇室が関わっているとも言われています。
あくまでも都市伝説の1つですが、秦氏一族の研究はタブー視されているという噂もあるのです。