ヒトラーやナチス・ドイツが戦時中オカルト思想に傾倒していたことはこれまでの『ナチス・ドイツシリーズ』で数多く紹介してきた。
今回紹介したいのは、オカルト国家とも言えるナチス・ドイツの国家総統であるヒトラーが、政治的に『オカルト』の弾圧を行ってきたという話である。
客観的にナチス・ドイツやヒトラーを研究・考察すると、”オカルティズム”がどうしても見え隠れするのだが、ヒトラーは政策としてはオカルトを弾圧していた。
今回は、この不可思議なオカルト弾圧についての政策を紹介していこう。
ヒトラー最初の政策は『オカルト・パージ』だった
ヒトラーがドイツ国の総統になったのは1934年8月2日のことであった。
ヒトラー自身の経歴は以前紹介したように、『トゥーレ協会』という神秘主義団体から政治活動をはじめており、オカルトに精通していたことは明らかな事実であるし、否定をする材料を探す方が難しいといえる。
しかし、ヒトラーが政権を取った直後におこなった最初の政策は『オカルト・パージ』と呼ばれる、オカルティストへの弾圧だった。
このオカルト・パージ政策では
- オカルト書籍の販売禁止・没収
- フリーメイソンの摘発
- ナチスの母体である『トゥーレ協会』の解散命令
などなど、あらゆるオカルトを禁止するようにしたと言われている。
また、この政策をキッカケにヒトラーと付き合いのあった占い師も弾圧され、なんと暗殺までされている。
いったい、なぜこのような弾圧にヒトラーは走ったのだろうか?
1941年には国内のオカルトを完全に封じ込めた
ヒトラー自身は戦時中にあらゆる神秘的な探索をしていたにも関わらず、1941年、オカルティズムに関わる、学問、書籍、研究を含める全ての行為が禁止されることになる。
事実上、1941年の段階で、外面的にはナチス・ドイツは『オカルティズム』を完全に否定したという体面になったのである。
しかし、それと同時にナチス・ドイツの幹部であった、ハインリヒ・ヒムラーなどは、古城で神秘的な儀式をしていたり、自分の信頼する部下を集めて秘密会議を開いていたことで知られているのである。
また、ヒトラーが命じた地下帝国『アガルタ』の探索や、チベットへの派遣、南極大陸への派兵などは明らかに軍事的な意味を持っていない。
つまり、国家として体面ではオカルティズムを否定しながら、オカルティストのような行為は国内で行われていたと見るのが正しいのかもしれないのだ。
ハインリヒ・ヒムラーが結成した『SS』は新しい宗教団体だった?
画像引用元:ハインリヒ・ヒムラー
『SS』という組織はハインリヒ・ヒムラーが長官を勤めていた国家組織の1つであり、そのマークは『ルーン文字』を象った表記をされていたことから、明らかなオカルトの影響が見られる組織でもある。
前述の通り、ヒトラーは政策として『オカルティズム』を国内で弾圧したことは事実であるが、一部の研究者によれば
『ナチス・ドイツは国家としてオカルティズムを統制し、政府高官などの特権にしようとしていたのでは?』
という意見もある。
たしかに。こう言われてみると、非常に辻褄が合うことが多いのである。
なぜなら、ヒトラーの数々の政策の1つにオカルティズムの弾圧があったという事実の横で、数多くのオカルティズムに関係する行動が実際に行われていたということは間違いないのだ。
それらは、過去の考察記事などを読んで頂ければお分かりいただけるであろう。
ナチス・ドイツにおいて、もっともオカルトに傾倒していたと言われているのは実際に『ハインリヒ・ヒムラー』であったとも言われている。
その強大な影響において、『SS』という組織が宗教的な方向に進んでいたとしてもおかしくはない。
オカルト排除とオカルト国家の矛盾
今回はヒトラーが実際におこなった『オカルト・パージ』という政策に関して紹介してきた。
オカルトの排除とオカルティストの両立、これによってますますミステリアスになるのが、『ナチス・ドイツ』という国家なのである。