ナチス・ドイツの総統にして全ての権力を掌握し、アーリア人種至上主義を掲げて大量のユダヤ人を迫害したことで知られるアドルフ・ヒトラー。
一般的なイメージは「20世紀最悪の独裁者」といった教科書のような印象が強い人間である。
しかしアドルフ・ヒトラーの人生を調べてみると、ユダヤ人を迫害した事実や原因は一部分かるものの、その思想に至った謎がいくつか残るのである。
今回はそんなアドルフ・ヒトラーのユダヤ迫害への思想について謎の残るエピソードを紹介していこうと思う。
公開日:2019年10月11日 更新日:2020年2月1日
アドルフ・ヒトラーの謎
ヒトラーの大まかな政治家としての道は、第一次世界大戦から帰還してしばらくしてから始まる。
上官の命令によってスパイとして「トゥーレ協会」と呼ばれた秘密結社に潜入し、たちまち党首として後のナチ党の母体となる団体を率いていく立場になる。
その後、政権を合法的に選挙によって獲得し、そこから広く知られる独裁体制を敷いて戦争への道へと突入。
しかし、注目したいのはヒトラーが政治家になる以前の話である。
青年期のヒトラーはユダヤ人と付き合いがあった
歴史の教科書などにはほとんど登場することはないが、実はヒトラー自身は政治家として独裁を振るう前にユダヤ人との交流を持っている。
1人目はヒトラーが17~18歳のころ、ヒトラーの母であるクララが乳がんに侵された際に最後まで治療にあたったユダヤ人の医師「エドゥアルド・ブロッホ 」である。
画像引用元:エドゥアルド・ブロッホ
医師であるブロッホはクララが助かる見込みのないことを知りながら懸命な治療を続けていた。
治療の後に母親のクララは病死してしまうが、ヒトラーはこの少年期の感謝を忘れておらず、国家を挙げてユダヤ人を迫害した時にも「名誉アーリア人」として国外への脱出を許可している。
また、母親と死に別れて遺産を持って画家を目指していた青年期には複数人のユダヤ人画商に顧客を紹介してもらったという。
つまり、ヒトラーは少なくとも青年時代にはユダヤ人との交流があったのだ。
後世の評論でも謎とされる思想の変化
青年期のヒトラー様子は、後に再会することになる唯一の親友「アウグスト・クビツェク」によって晩年に回顧録が出版されている。
また、ヒトラー研究家として高名なワーナー・メイザー氏はヒトラーの知識や才能などを評価した上で「何故、ヒトラーがユダヤ人迫害に囚われたのかを答えるのでは容易ではない」としている。
ヒトラーの思想は古代ゲルマン民族と呼ばれたアーリア人種こそ至高の存在であり、その他の人種は劣等生物であるという極端なものであった。
ナチス・ドイツの政策は国内で金融資産を多く握っていたユダヤ人をスケープゴートし、純血のドイツ人に対する優遇を推し進めて国内での支持を獲得することに成功。
その結果、国内のユダヤ人を弾圧し、占領下においたポーランドにおいて多数のユダヤ人を虐殺することになる。
ヒトラーの思想の変化とは?
青年時代のヒトラーはユダヤ人と交流があったにも関わらず、ナチ党の前身となった「トゥーレ協会」に潜入してからは、明らかに考え方や思想に変化が見え始める。
なぜか?
そもそも「トゥーレ協会」は神秘主義を掲げた思想集団であり、オカルティズムに傾倒していたと言われている。
トゥーレ協会の思想はアーリア人種こそが地上で最高の人類であり、背景には幻の地下世界と言われていた「アガルタ」の存在や、ゲルマン神話などの伝説が関わっているとも言われている。
また、ミュンヘン一揆と呼ばれた反政府行動によって逮捕、収監されていたヒトラーに「地政学」という思想を教えた人物もいた。
詳しくは以下を参照してほしい。
ヒトラーが収監されていた間に自分の思想をまとめたのが、ナチス・ドイツにとってのバイブルとなった「我が闘争」である。
また、青年期のヒトラーをモチーフにした映画ではユダヤ人と接触しているヒトラーも描写されている。
この映画では、トゥーレ協会などによってヒトラーの思想が変化していく様子も仮定をもって映像化されているので、気になる人はチェックしてほしい。
ユダヤ人迫害の思想に矛盾する行動に人間味を感じて
ますますヒトラーという人生が分からなくなる