マンガ「キングダム」のモデルとして多くの人が知るところになった始皇帝。
キングダムで扱われている主人公は「信」という少年が天下の大将軍を目指す物語ですが、いわば裏の主人公とも言えるのが、秦王である嬴政(えいせい)です。
※作中ではほとんどの場面で政(せい)と呼ばれていますね※
現在までに確認されている古代中国の歴史上では初めの全を統一を果たしたのが、この嬴政こと始皇帝でした。
およそ紀元前221年に中国統一を果たした始皇帝は、後世の評価が非常に分かれる人物です。
また、史上初の統一を果たしたことから、それまでの制度から大きく国家の体制を変革した改革者でもあります。
マンガ版「キングダム」は完結していませんが、ここでは史記などに残された「史実の始皇帝」について紹介していきたいと思います。
始皇帝(政)の生涯とは?
画像引用元:始皇帝
実はキングダムの物語はキャラクターの特徴や性格などには作者である「原泰久」によって様々な脚色が付けられていますが、始皇帝の生まれた経緯や幼少期に人質だったことなどは史記を元にしています。
つまり、キングダムで描かれているものは描写や人物の特徴はフィクションですが、大筋の歴史については史実に基づいていると言えます。
2018年1月4日に出版された「DVD付録付 マンガ講座 ジャンプ流No.21」の中で、キングダムの作者である原泰久はインタビューでこれらの詳細を語っています。
史記には、主に出来事と物語が書かれていますが、人物像についてはあまり触れられていません。特に秦国の将軍たちなどは大幅にキャラクター付けがされています。
しかし、核となるキャラクターである呂不韋や政などは、「呂不韋伝」や「秦始皇本紀」という中に物語として紹介されているのです。
政の幼少期は趙の国で人質として育ったことや、政が13歳で王位についたことは史実とあまり相違がありません。
また、呂不韋との関係性に関する政の出生の議論なども行われており、大きな戦いを描いているシーンなどでは、主力である将軍の名前や活躍した人物は主に史記にも記述があるのです。
13歳で即位した政は、呂不韋という強大な権力を持った丞相の手駒として使われそうになりますが、政の母と呂不韋との関係を理由にして呂不韋の一派を退けることに成功します。
呂不韋は政の曽祖父の時代から秦国の王権に関与していたため、幼年王であった政には全く太刀打ちする術がなかったそうです。
しかし、政が22歳の時に太后一派が反乱を起こし、この時に呂不韋と太后の関係が発覚します。
そしてそこから3年後、政が25歳の時に呂不韋を政界から排除する決定を出します。
君何功於秦。秦封君河南,食十萬戶。君何親於秦。號稱仲父。其與家屬徙處蜀!
秦に対し一体何の功績を以って河南に十万戸の領地を与えられたのか。秦王家と一体何のつながりがあって仲父を称するのか。一族諸共蜀に行け。— 史記「呂不韋列伝」14
引用元:始皇帝
この決定を受けた呂不韋は服毒によって自殺。さらに政は呂不韋の葬儀で悲しんだ人物も含めて処罰したと伝わっています。
ここから、世間一般に知られる各国との戦争が始まるのですが、史記に伝わっている始皇帝は中国統一をしていく過程で多くの虐殺も行っているのです。
始皇帝が恐れられた虐殺行為
政は各国との戦争を行っていく上でいくつかの国で徹底的な虐殺行為をしたことが伝わっています。
秦趙戦争での生き埋め
秦国が2つ目に標的にしたのが政の幼少期を過ごした趙でした。
この戦争ではキングダムでも強力な将軍として描かれる李牧やその子であった司馬尚を趙側が用いなかったことから、秦国が圧倒的な勝利を納めたと伝わっています。
幼少期に過ごした趙を併合した政は、母である皇后と揉めていた勢力を全て生き埋めにしたと言われています。
燕の暗殺者に対する報復
燕との戦争を繰り返していた秦国は既に武力では圧倒的に優位に立っていたことから、燕は荊軻という刺客に秦王嬴政の暗殺を依頼します。
この暗殺未遂事件は政との謁見の際に行われており、一歩間違えれば政はこの時に生命を落としていてもおかしくないほどの状況に追い込まれます。
これに激怒した政は燕を攻略し、暗殺を狙った荊軻の一族に加えて現在の北京にあたる燕の首都であった「薊」の町人を皆殺しにしたそうです。
儒教の弾圧
中国全土を統一する前に政は法律によって秦国の行為を取り締まるという法による統治をおこなっていました。
しかし、中国統一後は儒教が法律と相対するものであるとし、儒家や儒教に関する書物を焚書にし、厳しく取り締まっています。
この行為については後年の幾人の研究者によって一定の正当性は認められていますが、それまでの儒教文化を完全に壊したという意味では恐怖政治に映ったのかもしれません。
また、この弾圧には外部の人間の入れ知恵があったとも言われています。
わずか49歳で亡くなった始皇帝
中国統一を果たした後の政は皇帝という位を初めて冠し、様々な改革を行ってきましたが若干39歳で始皇帝となった政はそこからわずか10年後の49歳で亡くなってしまいます。
また、秦の統一は非常に短い期間しかありませんでしたが、後世の研究者によっては皇帝になった政が長命であればもっと大きな偉業を成していたのではないか?という評価もされています。
一方で同時代に直接仕えた人物からは批判的な言葉も残されている事から、必ずしも始皇帝は素晴らしい人間であったかどうかは議論の分かれるところです。
次回は始皇帝がそれまでの時代から大きく変えた国の改革について紹介していきます。
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