1990年代にグランジムーブメントを巻き起こしたバンド・ニルヴァーナ。
その中心でもあるギターボーカルのカート・コバーンは、1994年に27歳という若さで亡くなっています。
自宅にてショットガンで自殺したとされていますが、なぜ彼はそれほどまでに追い込まれていたのでしょうか。
その状況や遺書には未だ謎が多く、他殺説や陰謀論も…。
カートコバーン死の真相
カート・コバーンが所属するバンド「ニルヴァーナ」は1989年、アルバム「ブリーチ」でデビューします。
当時へヴィ・メタル全盛期だったアメリカのシーンにおいてグランジバンドである彼らは異質でしたが、1991年のシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」とアルバム「ネヴァーマインド」でムーブメントを巻き起こします。
しかし商業的成功を収めたのもつかの間、1994年4月にカート・コバーンは自宅で薬物を使用し、ショットガンで自分の頭を撃って自殺してしまいます。
ジム・モリソンやジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョプリンなどの「27クラブ」と呼ばれるミュージシャンと同じく、27歳での死でした。
残された遺書…商業的成功と葛藤
カートが死んだあと、遺書が発見されています。
自分はもうずっと長いこと、音楽を聴くことにも、曲を作ることにも、何かを書くことにも、喜びを感じなくなってしまった。
(中略)
自分だってみんなに嘘をつくのは嫌だ。ただの一人も騙したくない。自分が考える最も重い罪とは、100%楽しいのだと嘘をつき、ふりをして、人を騙すこと。そう、時々ステージに出て行く前にタイムカードでも押しているかのような気分にかられていたんだ。
もともとアンダーグラウンド志向だったカートは、「ネヴァーマインド」以降の商業的成功によって自分と葛藤しながら音楽活動するようになりました。
いつしかカートは、そんな自分をだましながら楽しいふりをしてライブをするようになってしまったのです。
カートはそんな心境を「タイムカードをでも押しているかのよう」と表現しています。自分を偽る行為が、純粋な表現としての音楽でなく仕事のように感じてしまったのでしょう。
感謝しなくちゃいけないんだ。だから出来る限りの力を尽くしてがんばってみた。(本当なんだ、信じて欲しい、それでも足りないんだ)。自分や自分達が沢山の人達に影響を与え、そして楽しんで貰えた事は重要だと思っている。きっと全てを失ったときに初めてそのありがたみが分る世界一のナルシストなんだ。
自分はあまりにも繊細すぎるんだ。子供のころに持っていた熱狂を取り戻すには、少し鈍感でなければならないのに、あまりにも神経質で感じやすいんだ。
この最後の三つのツアーでは、みんなやファンにはすごく感謝している。それでもこの不満、罪悪感、感情は解消できなかったんだ。
カートは「商業的に成功できたのはファンや周りの人たちのおかげだ」と感謝しています。
だからこそ子供のころのような純粋な熱狂を音楽にそそぐことができなくなり、自分の気持ちを偽ったままライブツアーをする罪悪感や不安を解消できなかったのです。
この焼け付いて吐き気のする胃袋から礼を言うよ。今まで手紙をくれたり気にかけてくれてありがとう。
自分はすごく気まぐれな人間だから、情熱がもう情熱が冷めてしまった。だから覚えておいてくれ、
徐々に色あせていくなら、いっそ燃え尽きたほうがいい
ピース、ラブ、エンパシー カートコバーンフランシス、コートニー。俺は、これからは祭壇にいるから。
コートニー、フランシスを頼んだ。
俺がいなくなったら、もっともっと幸せに過ごすことができるフランシスの人生のために。
アイラブユー。愛してる。
カートは自殺した当時、薬物依存治療のため麻薬のリハビリセンターにこもっていました。
1994年4月1日、カートはコートニーに「忘れないで欲しい。これから先何が起こっても君を愛している」と電話をかけ、その4日後に自殺しています。
夫婦仲は最悪だと噂された2人でしたが、コートニーはカートの訃報を受けると「楽な道を選びやがって」といって号泣したそうです。
「徐々に色あせていくなら、いっそ燃え尽きたほうがいい」という言葉は、親交のあったニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の一説を引用したもので、当時のカートの心境を表しています。
カートはコートニーよる他殺だった?
カートはシアトル警察によって自殺と断定されていますが、他殺説も浮上しています。
この説の発端は、カートが行方不明になったときにコートニーが雇った探偵が他殺説を主張したことに始まります。
カートとコートニーは離婚調停中だった
悪妻と名高いコートニーですが、カートとの夫婦仲も最悪でした。
カートはコートニーと離婚したいと度々発言しており、カートが自殺未遂をしたローマ公演のあとには「離婚したい」と書かれたメモも見つかっています。
カートは音楽活動の引退も考えており、離婚や引退によって莫大な資産が失われると考えたコートニーは考えました。
コートニーは自分の資産を確保するべく、コートニーの元恋人のマイケル・デヴィッドと共にカートを殺したというのです。
カート他殺説は陰謀論に過ぎない
かつてニルヴァーナのマネージャーを務めていたダニー・ゴールドバーグは、カート・コバーン他殺説について「馬鹿げた話だ」と一蹴しています。
ダニーはカートが死亡する一週間前にカートに会っていますが、その時はそうとう気が滅入っていたそうです。
また、死亡の1か月半前にはローマ公演のあと自殺未遂をおり、カートが自殺するのはそう不自然な話ではないと語ります。
結局、カート他殺説は陰謀論に過ぎず、カートを失った喪失感によるファンの勝手な想像なのです。
まとめ
へヴィ・メタル全盛の時代に突然現れ、グランジ・ムーブメントを起こした張本人のカート・コバーン。
彼はその後わずか数年で命を絶ちましたが、後のバンドに与えた影響は計り知れません。
彼は遺書に死について詳しく書かなかったこと、コートニーと離婚調停中だったこと、年齢が27歳だったことから様々な憶測を呼んでいます。
生前からミステリアスで危なっかしい人物だったようですが、そんなところもカリスマたる所以なのでしょうね。