ダビデ王は六芒星のマークで有名な初代イスラエル統一国家を作った偉大なユダヤ人の王であった。
羊飼いの青年ダビデによって古代イスラエル民族は1つの国家として動き始め、その後のソロモン神殿の完成を見ても、国家的な基礎に加えて宗教的な基礎を築いたと言っても過言ではないのである。
そんなダビデ王の象徴である六芒星(ダビデの星)は現在のイスラエルの国旗にもなっており、ユダヤ人にとってはアイデンティティとなるマークの1つである。
一方の皇室、つまり天皇家の紋章は「16弁の菊家紋」である。第二次世界大戦時などに戦艦や多数の戦闘機にも使用されていた。
一見、何の関係もないこの2つの家紋、象徴ではある。
ところが、日ユ同祖論ではこの紋章においても日本とユダヤを繋ぐ証拠の1つとして挙げられている。
最も有名なものは以前にも紹介した。あの八咫の鏡を奉納している伊勢神宮の灯籠である。
伊勢神宮の石灯籠にあるダビデの星と16弁の菊
戦後、GHQによって設置されたと言われている、伊勢神宮の周辺に置かれた石灯籠には天皇家の家紋である16弁の菊と共に、ユダヤ人の王であるダビデの紋章、六芒星が刻まれている。
というよりも、正確には「刻まれていた」のだ。
2019年現在では、2018年の4月にあった交通事故の落石などの被害によって、三重県や伊勢市が石灯籠の撤去を進めてしまったのである。2018年11月の末頃に、500以上あったこれらの石灯籠は完全に撤去されてしまっており、現在は木製やレプリカで景観を復活させようという活動が行われている。
皇室に非常にゆかりのある伊勢神宮の石灯籠には、ダビデの星と菊花紋が共存していたのである。
何故、GHQから送られたという石灯籠にダビデの星が刻まれていたのだろうか?
この奇妙な紋章の共存に関してはユダヤ人の日ユ同祖論者の1人である「ラビ・マーヴィン・トケイヤー」という人物の著作を訳した日本人「加瀬英明」という日本文化協会会長が、訳者の後書きで考察している。
日本は第二次世界大戦に敗戦したことによってGHQによって占領統治下に入っていったが、GHQの中にも数多くのユダヤ人が存在しており、間接的な形で日本の再建に手を貸していたという。
また、ラビ・マーヴィン・トケイヤーに関しては
日本でラビとして働いていた頃から、日本民族とユダヤ民族の関わり合いについて精力的に資料を集め、研究に取り組んできた。ラビは、日本のよき理解者であり、解説者である。ラビ・M・トケイヤーも両民族がきわめてよく似ていることに、目を見張っている。
引用出典:ユダヤ製国家日本 ─ 日本・ユダヤ封印の近現代史の訳者あとがきより
補足するとラビ・マーヴィン・トケイヤーという人物は1967年に日本ユダヤ教団の初代ラビに就任し、1976年まで日本に滞在していた人物であり、あの早稲田大学で古代ヘブライ文化を教えた経験もあるユダヤ人である。
同氏は、古代ヘブライにも精通しているが、第二次世界大戦での敗戦後に大きく変わった部分を考慮しても日本とユダヤには共通した類似文化があることを自著の中で紹介している。
[amazonjs asin=”4198621217″ locale=”JP” title=”ユダヤ製国家日本―日本・ユダヤ封印の近現代史”]イスラエルのヘロデ門には菊花紋が存在する
ダビデ王の時代から少しずつ移動式ではなく固定された幕屋が増えてきたことは紹介したが、このユダヤ人の信仰の聖地となるイスラエルには天皇家の紋章とそっくりの菊花紋が刻まれている。
これは遺跡として残されているヘロデ門にも確認出来る他、古代ソロモン神殿にも同様の菊花紋があったとも言われている。
画像引用元:NAVERまとめ
不思議なことにヘロデ門に残された菊花紋も16弁であり、皇室の菊花紋と同じ数になっている。
つまり、ユダヤの文化としての菊花紋と皇室の菊花紋は16弁であるという共通点を持っており、さらにそれぞれを象徴する建物であるヘロデ門、伊勢神宮の2つに共有されているのである。
日ユ同祖論は証拠に基づいた起源説である
ここまで多くの類似点などを紹介してきたが、これだけの物証と現実的な共通点があることを考えると、日ユ同祖論はもはや現実であっても全く不思議ではない。
ただし、その正確な歴史に関しては皇室の前方後円墳が調査が不能な問題や、天皇自身も見ることが許されない本物の八咫の鏡などによって完全なる解明をすることが難しい。
しかし、現在でも日ユ同祖論は研究が続けられており、今後の調査によっては歴史のベールが脱げるときが来るかもしれない。
この記事を持って日ユ同祖論の紹介は1度終わるが、他にも日ユ同祖論に関する情報はあるので興味のある方は今しばしお待ち頂きたい。