稲荷信仰の広がりと起源の諸説

社記によって京都の伏見稲荷は秦氏の一族である秦伊呂具によって起こったものであることは現代にも伝わっていますが、「稲荷信仰」は実は1つだけではありません。

秦氏を起源とする「稲荷信仰」はいわゆる神道による信仰であり、秦氏がもたらした”宗教観”と共に全国各地に広まっていきます。稲荷信仰において最初に3柱の神を祀ったとされるのは「稲荷山」だとされており、この三ヶ峯においてそれぞれの神を祭祀して豊作の神としたのが神道による稲荷信仰の流れだとされています。

時代背景から考えると、平安時代は貴族、華族文化による文明の進歩があった裏で庶民や農民の貧富の差は大きく広がっていたと考えられます。このため、いわゆる「昔ばなし」の舞台となるのは平安時代前後であることが多く、貧乏な人がお金持ちになるといった物語が後世に作られたという説もあるのです。

しかし、伏見稲荷大社の起源である秦氏のエピソードには我々の身近にあるキツネの姿をした神様などは登場しません。つまり、稲荷信仰は最初から1つの信仰ではなく、複数の起源があった後に今の状態になったと考えるのが妥当なわけです。

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稲荷信仰の文化

京都伏見稲荷に祭られている主神はウカノミタマであり、主に穀物に宿るとされている神様の1人です。秦氏起源のエピソードと合わせると、豊作を祈願して祭られた神様であることは疑いがありません。ちなみに、ウカノミタマはスサノオの子とされています。

よく勘違いしがちな問題なのですが稲荷神社に像が作られている「キツネ」は、キツネ自体が神様だとする説はほとんどないのです。

「お稲荷さん」という呼び方は身近で聞いたことがある人も多いと思いますが、これにもいくつかの説が唱えられています。

通説では「神道を起源とした(秦氏)稲荷信仰」の他に、「仏教伝来の稲荷信仰」と「民間伝承による稲荷信仰」と大別して3つの起源があったとされています。

仏教伝来の稲荷信仰は空海が起源だった

四国地方に八十八ヶ所の霊場(お遍路)を作ったことで有名な真言密教の開祖である空海は弘法大師様という別名でも知られています。秦氏との知名度比べで言えばおそらく圧倒的に空海の方でしょう。この辺りにも秦氏の神秘性を感じられますが、ここでは空海がもたらしたとされる「稲荷信仰」について紹介していきます。

平安時代初期に中国から真言密教を持ち帰り、日本でも数々の神社仏閣に関わっていた空海ですが、実は仏教伝来の稲荷信仰にも秦氏が登場するのです。

秦氏の神道による稲荷信仰については先に紹介していますが、この時に登場した三ヶ峯があったのが稲荷山です。同時代に空海は京都の南に東寺というお寺の建立に関わっていたといいます。この東寺を建造する時に、材木をあの稲荷山から提供したのが「秦氏」だったそうです。この出来事がきっかけで仏教上でも稲荷神が東寺そのものの守護神としてみなされるようになりました。その後、空海自身が稲荷神に直接守護神となるように交渉した結果、仏教にも稲荷神が混ざることになったとされています。

仏教上では、この守護神になった稲荷神と習合した仏教の神「荼枳尼天(だきにてん)」 を中心に信仰しており、この信仰の広まりには真言宗が関わったとされています。

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民間伝承による稲荷信仰の広がり

民間伝承による稲荷信仰とは、秦氏や空海の宗教的な信仰に加えて「当時の民間で信仰されていた神様」が徐々に融合していったことによって広まったと言われています。いわゆる土着信仰であったり、その土地によって信じるものは違っていても、特に農民たちにおいては作物の出来は生き死にを左右する重大な問題でした。

この民間で信仰されていた中には狐神もいたことから、稲荷信仰では一部キツネを神様だとする神社もあるそうです。

いずれにせよ、各地の民間で信仰されていた神様と融合していった結果、特に江戸時代には商人によって商売繁盛の神様としても信じられるようになったそうです。ここからお稲荷さんという存在の信仰は豊作祈願だけに留まらず、万能の神様として信仰されていったというのが民間伝承による稲荷信仰の広まりだったようです。

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稲荷信仰におけるキツネの存在

民間伝承ではキツネの存在が一部神様として伝わったことがあるらしいのですが、実はキツネという存在が神社にあるのはいくつかの説があります。

伏見稲荷で主神とされているウカノミタマには別名があり、それを「ミケツノカミ」と言います。日本の神様の名前を調べるとよく分かるのですが、同じ神様であっても呼び名が違っていたり漢字が微妙に違っていることは意外と多いのですが、このミケツノカミを「三狐神」と書いたことからキツネが祀られることに繋がったとう説が有力です。

キツネは古語では「ケツ」という呼び方であったらしく、そのまま文字にされてしまったのでしょう。

他にも、秦氏の関わった稲荷山で土着の神様としてキツネが信仰されていたという説などもありますが、面白い説としては狐神の由来にある、鳥羽上皇に仕えたとされる玉藻前(いわゆる妖狐玉藻とも同一説あり)や源義経を助けたとされる源九郎狐(げんくろうぎつね)などは狐そのものが神様として扱われているのです。

稲荷信仰にはやはり秦氏が関わった形跡が多い

ここまで、稲荷信仰の広がりについて紹介してきましたが、やはり信仰の根幹にあるのは「秦氏による起源」と秦氏一族の助力や関わりが大きく感じますね。

日本の仏教上では開祖の1人として知られている空海と秦氏のつながりなど、知らない人にとっては驚くような関係性も稲荷信仰を掘り下げると見え隠れします。

このように秦氏は歴史の表には中々存在を感じさせませんが、意外にも身近なところでその存在や影響力を残しているのです。

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