あまりナチス・ドイツの成り立ちを知らない人には意外な事実かもしれないが、ヒトラーの独裁政治や初期ナチスドイツは、政治的には国内を安定させることによってドイツ国民から圧倒的な支持を受けていた。

現実に当時ドイツで困窮していた経済は回復し、国民には仕事と食料が行き渡った。そして有名なヒトラーの演説力によって、ほとんどのドイツ国民はナチスドイツの政治方向を疑うことがなかったのだ。むしろヒトラーの熱弁にあてられた国民の方が多かったとも言われている。

しかし、一方でヒトラーが逮捕、収監されるキッカケになった「ミュンヘン一揆」の頃から既にナチ党の拡大に対して警鐘を鳴らす男がいた。

それが人智学と呼ばれる哲学、思想を合わせたシュタイナー教育の創始者である「ルドルフ・シュタイナー」である。

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ルドルフ・シュタイナーとは?

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC

シュタイナーという人物を簡潔にまとめるのは非常に難しい。

何故なら現在でも世界に約500校ほどあると言われているシュタイナー教育(全人教育)の創始者ではあると同時に、神秘思想家として霊的な力を持っていたり、最初は20代でゲーテの研究者として名前を上げた哲学者でもあった。

人智学やその基礎になった神智学、また、その他の分野にも大きく関わっていたシュタイナーの全てを紹介してしまうと、もはや10ページでも収まらなくなる規模になってしまうので、ここではシュタイナーとナチスに関連したことに絞って紹介していこうと思う。

超感覚的世界での攻防と予言

シュタイナーが研究していたのは単純な教育問題や物質的、政治的な問題ではなかった。シュタイナーが創立した「人智学」は、元々シュタイナーがドイツで活動していた頃にドイツの神智学メンバーとの交流を経て発足したものであった。

神智学とは1890年代にアメリカで発足した神秘思想家団体であり、近年のオカルティズムの起源となったとも言われている。

こういった団体や人物に関わる以前より、シュタイナー自身も物質的な世界ではなく、いわゆる人間の五感を超えた精神領域で物事を捉えるようになっていた。神智学においてもシュタイナーが交流したメンバーに対して様々な考え方を説いていた方が多かったと言われており、霊的な思考力や分析力は抜きん出ていたという。

そんなシュタイナーがドイツで見たのが、まだ当時無名に近かったナチ党の母体である「トゥーレ協会」であり、ヒトラーも逮捕されたミュンヘン一揆であった。

さらにこのミュンヘン一揆の前の年末である1922年12月31日には、シュタイナーが自らが設計して建てた「ゲーテヌアム」という建物で800人を前に講演をしていた際に、熱心なナチス信者によって放火され、全焼するという事件が起きている。

これには様々な理由があるが、シュタイナーの唱える人智学はいわばナチ党の母体であるトゥーレ協会にとっては非常に邪魔なものだったと推測されている。

※シュタイナーの考えでは「光の霊」「闇の霊」という概念があり、闇の霊は人種や血による古い衝動を蘇らせようとしているとしていた。つまり、アーリア人の純血主義を唱えたヒトラーは「闇の霊」であるということになる※

当時の勢力で言えば、政治的にも地位的にも圧倒的にシュタイナーの方が上であった。

しかし、その根本にはお互いが神秘思想家、オカルティストであるという対立が生じており、特にトゥーレ協会でのヒトラーの精神的な指導者であったディートリヒ・エッカートはシュタイナーの霊的な力と分析力を非常に警戒していたという。

こうした諍いなどがあった後、ミュンヘン一揆が発生したのである。

ミュンヘン一揆はヒトラー研究の中でよく取り上げられる事件ではあるが、実はミュンヘン一揆当時のヒトラーはそこまで力を持っていなかったし、トゥーレ協会そのものも大きな存在ではなかった。

しかしシュタイナーは「今後、この団体(トゥーレ協会)が大きな勢力を持つようになれば中部ヨーロッパに大きな不幸がもたらされる」と弟子達に語っていたという。

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シュタイナーによるハーケンクロイツの分析と警告

前述の通り、シュタイナーはナチ党として台頭する以前からトゥーレ協会の底の底を読んでいたのである。

トゥーレ協会は元々はゲルマン民族至上主義を掲げたオカルティストの集まりであり、ヒトラーも軍部の命令によって内部潜入することになったのである。しかし、ディートリヒ・エッカートなどの考えに同調し、あっという間に組織の中枢メンバーとなった。ミュンヘン一揆の際に警官隊からの攻撃によってエッカートが再起不能になると、その後は中心メンバーとしてナチ党の合法的な政権獲得へと向けて動いている。

シュタイナーはトゥーレ協会が「何をしようとしていたか」について霊的な部分で把握していたと言われており、「ハーケンクロイツを中部ヨーロッパに持ち込もうとしている集団がいる。彼らはこのマークの意味を知っており、この印には効果がある」ことも断言していたという。

つまり、シュタイナーは常にナチ党が何をしようとしているか、またナチ党の勢力拡大によって中部ヨーロッパがどうなるかを見通していたということである。

しかし、その警告もむなしくシュタイナーは1925年に亡くなってしまう。

オカルト世界での内戦

ここまで解説したようにシュタイナーとナチ党(ナチス・ドイツ)は常に対立構造にあった。

しかし、シュタイナーはヒトラーとは同世代ではなく、どちらかと言うとトゥーレ協会の思想的なリーダーであったディートリヒ・エッカートと同じ時代を生きた人であった。これはある意味で霊的な内戦に近いものであり、シュタイナーはエッカートを、エッカートはシュタイナーを常に警戒していたのである。

歴史に”もしも”は通じないが、シュタイナーの声がもう少し広がっていれば、あるいは弟子によってまだ小さな勢力であったナチ党への警告が続いていればナチ党の一党独裁は起きなかったかもしれない。。

参考出典:ヘルマン・ラウシュニング著書「永遠なるヒトラー」

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