神社に続いて日本人にゆかりのある文化と言えば、夏場のお祭りでおなじみの「お神輿」ではないだろうか?

現在ではお神輿の形状も地域によって様々なものがあるが、基本的にお神輿とは神道に由来する行事の1つであるそうだ。

担ぎ棒の上にいわゆる「輿」があり、ここは神霊が移動するための待機場所だと言われている。

神輿の形状は地域によって違うが、正確にはこの「輿」を担ぎ上げて移動する物を指すという。

また、輿の上部にある鳥は鳳凰であり、両羽を広げている形状が一般的なのだ。

地域によっては引いたりする物も見られるが

本来の神輿とは神道に由来した神霊を移動させるための道具であり、時代によっては天皇や神器、依代などを乗せていたとされている。

この神輿も「日ユ同祖論」では古代ユダヤの聖櫃(アーク)と比較され、共通点が多く見つかる。

日本の神輿の起源

 

 

画像引用元:日吉大社の神輿

日本の神輿の起源として最古に確認出来るものは720年の奈良時代、元正天皇の時代に起こった九州からヤマト朝廷に対しての反乱である「隼人の乱」だとされている。朝廷は宇佐八幡宮に勅使を出して鎮圧と隼人の征伐を祈願したという。この時に八幡神から神託が降りて、作られたのが神輿の原型であると言われている。

その後、東大寺を建てた聖武天皇時代には今の神輿の原型となる形になり、平安時代に移ると各地で神輿が作られていったそうだ。

ここで注目したいのは、こういった文化が起こっているのが、渡来人が来た前後であるという事である。

特に、大きな権力を持ったことで知られる謎の渡来人「秦氏」などはその出自が不明とされているが、旧約聖書に残るノアの方舟で有名なノアの息子の1人、現在の黄色人種の祖先と言われている「セム」の流れであるという説もある。

詳細は渡来人全般で別途紹介するが、日本の文明の起こりと渡来人の到来は重なることが多い。

古代ユダヤの聖櫃(アーク)との共通点

画像引用元:契約の箱

上記画像はフランスのサントマリー大聖堂にある契約の箱のレリーフであるが、旧約聖書にはそもそもアークの作られた経緯なども記されている。

モーセがエジプトから脱出してすぐにアカシアの木を使用して作られたアークは、長さ130センチ、幅と高さがそれぞれ80センチであり、箱の下側四隅に脚が付けられていた。これらは純金で覆われており、直接手を触れない為に移動用として2本の棒が取り付けられたという。

さらに日本の神輿には鳳凰が両翼を広げていることが多いが、アークの上部には智天使であるケルビムが対になって置かれた。もちろんこの天使にも羽が付けられていたことは想像に難しくない。

日本の神輿は神霊、天皇、神器、依代が移動するための物であったと言われているが、アークはモーセが神と契約した際に託された三種の神器(マナの壺、アロンの杖、十戒の石版)を収めて持ち運ぶ為に作られた。

つまり、人の手では触れてはいけない「物」を移動させるという点で、日本の神輿とアークは同じ性質を持っていると言える。

しかも、これだけ形状も似通っているのである。紀元前1290年頃のアークと日本では奈良時代に始まったとされる神輿がここまでの共通点を持っていることの方が、圧倒的に不自然ではないだろうか?

また、「人の手に触れないために」という意味合いが同じであることもある種の文化的な一致、または宗教的な一致を感じてしまう。

平安時代などを描いた映画などでも見られるが、「輿」に声をかけることはあっても、人の乗り降りなどは乗っている人自身がおこなっている事が多い。

日本の祇園祭とユダヤのZION祭り

毎年、7月17日に行われている日本屈指の観光祭りである京都の祇園祭(ぎおんまつり)。

実は、ユダヤにはZION祭りという風習があり、これも同じく毎年7月17日に行われている。

さらに、京都市の下京区四条鳥丸西入の山鉾「函谷鉾」の前掛けは旧約聖書の創世記の一場面を描いた16世紀末のタペストリーであり、中京区室町通六角下ルの山鉾「鯉山」の見送りは古代ヘブライのダビデ王を描いた有名な図であるという。

何故、日本の祭りに古代イスラエルの痕跡が入っているのであろうか?

知れば知るほど、日本とユダヤ文化の共通点が浮かび上がってくる。

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