中川昭一元農林水産大臣の死の真相と泥酔記者会見の真相

2009年10月3日にある政治家がこの世を去りました。

中川昭一さんという政治家で自民党の党三役や、農林水産大臣、経済産業大臣、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融担当)を歴任してきました。

享年56歳という若さで亡くなった日本の政治家”中川昭一”さんの死の真相と泥酔記者会見についての考察です。

 

中川昭一さんってどんな人?

画像引用:The Press Office – tg26: Treasury Releases Photo from Geithner, Nakagawa G-7 Finance Ministers and Central Bank Governors Bilateral Meeting, パブリック・ドメイン, リンクによる

 

中川昭一さんの選挙区は北海道、父親は中川一郎さんでお父さんも政治家でした。父親の中川一郎さんも 初代農林水産大臣や科学技術庁長官を歴任した政治家でした。

そんな父親のもとで育った中川昭一さんもまた、政治家の道を歩むことになるのですが、父親である中川一郎さんが在職中に急死・・・そして、息子の昭一さんが自民党の公認を得て立候補し初当選を果たします。

小泉政権や第一次安倍政権、麻生政権で入閣し、将来は総理大臣も夢ではないと言われていた政治家だったのです。

中川昭一さんの泥酔記者会見とは

中川昭一さんと聞くと「泥酔記者会見」を思い出す人もいらっしゃることでしょう。確かに、中川昭一さんはお酒が好きなことでも知られていました。

ちなみに泥酔記者会見はこちら・・・確かに酔っているような具合が悪そうな感じに見えます。

この記者会見を見ていると「なんかとんでもないやつ」だと思ってしまいますが、実は中川昭一さんはこのとき泥酔するほど飲酒はしていなかったそうです。

後からこの記者会見のことを追求されたときに「泥酔状態であったことを否定」しています。そしてこの泥酔記者会見の原因は風邪薬だった・・・と。

そして、この記者会見の直後にはバチカン美術館で迷惑行為をしていたことも報道されました。ですが、中川昭一さんこれを否定し、同行していた和田誠さんも「お酒の臭いはしなかった」「迷惑行為はなかった」と証言しています。

このように、第三者が証言していること、そして、大臣ともあろう人が泥酔して理性を失うほどに飲酒した後に記者会見をするとは思えません。

もし、バチカン美術館でトラブルがあったならも美術館側からも何かしらの証言があったことでしょう。

 

ちなみに、同行していた和田誠さんはお酒が苦手だそうで、お酒の臭いにはとっても敏感・・・。繰り返し「事実ではない」と証言したもののマスコミはこの証言を取り上げることはほとんどありませんでした。

 

自宅での死の真相

問題になった記者会見から約8ヶ月後のことです。中川昭一さんは2009年10月3日に自宅で亡くなっているのを家族によって発見されました。

持病があったというわけでもなく・・・元気だったのに突然の訃報・・・。死因も不明で「どうしてこんなことなにってしまったのか」とたくさんの人を驚かせました。

 

 

麻生太郎副総理は安倍首相と盟友とよばれる仲だった中川昭一さんの突然の死・・・。そして、先ほどご紹介した不自然な泥酔記者会見。

 

ちょっと「おかしいな」と思ってしまいませんか?

 

そもそもあの記者会見が行われたこと自体おかしいんです。

まず、中川大臣が通常の状態ではないことは周囲の人はみんな解っていたことでしょう。

そして、あのまま記者会見をしたら大変な騒ぎになることは解るはず。なのに記者会見の場に中川昭一さんを送り出すことじたいがおかしいんです。普通なら誰かが止めるはずです。

だけど、記者会見は行われ世界中に中川昭一さんのあの記者会見を報道されたのです。そこにはどんな意図が働いていたのでしょうか・・・。

 

不自然すぎる泥酔記者会見と死の真相とは

まず、泥酔記者会見には不自然な点があります。

  • ワインを1杯程度しか飲んでいなかった
  • 同行していた和田誠さんも「お酒の臭いはしなかった」と証言している
  • バチカン美術館での迷惑行為はなかった

 

という点です。まず大臣が大切な記者会見やG7で泥酔するほどお酒を飲むと言うことは考えにくいですよね。

ですが、あれほど泥酔していたらまわりが記者会見を止めると思いませんか?だけど、あの記者会見は行われたのです。実はこのG7で中川昭一さんはアメリカに対して「国債の購入拒否」「アメリカの金融に対する批判」をしていたのです。

日本のためにアメリカからの国債購入を断った!これって実は凄いこと、ヒーローと言っても良いくらいの勇気ある決断です!

ある説によると、国債の購入拒否された上に批判されたアメリカが「中川昭一を消せ」という命を出した・・・そして、ワインに薬が混入された・・・。と、誰が薬を入れたのかに関しては様々に説がありますが、ある日本人女性記者が会見前に「面白いことがおこる」と触れ回っていたとか。

 

そして、突然の死・・・もちろん、どんな人でも急死する可能性はありますが、問題になった記者会見が2009年2月14日そして、亡くなったのが同年10月4日でした。

アメリカからの国債の購入をきっぱりと拒否した中川昭一さん・・・あの記者会見の黒幕は誰なのか、そして、その約半年後の急死・・・。

実は、亡くなる数日前からちょっと具合は悪かったんです。予定をいくつかキャンセルしていたのも事実です。ですがこれ、ある説によるとポロニウムという放射性物質による内部被曝ではないかとも言われています。ポロニウムは摂取してから時間をかけて身体を蝕む放射性物質として知られており、殺人に使用されたケースもありました。

真実は誰にも解りません。ですが、もし、この死の真相が公式見解とは違うものだっとしたもそれが、明かされることはないでしょう。

 

まとめ

中川昭一さんの泥酔記者会見と死については多くの不自然な点があります。

アメリカからの国債購入拒否した直後のあの記者会見と突然の死・・・。自虐的な日本の歴史認識をあらためて日本のために働いてきた政治家を亡くしてしまったことは日本とって大きな痛手です。

 

 

参考資料:中川昭一G’G’泥酔会見~暗殺理由!罠と真相に麻生太郎・安倍晋三は?

      Wikipedia

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