「出雲大社には怨霊が封印されている」
そんな話を聞いたことはありますか?
出雲大社は島根県出雲市にある神社です。縁結びの神様として有名な「大国主命(オオクニヌシ)」が祭神で、日本全国から毎年多くの参拝者が訪れます。
「大社(おおやしろ)」と呼ばれるだけあって、本殿の高さは24m、大屋根の面積は180坪と破格の大きさを誇ります。
ところが古代の本殿はさらに大きく、高さは48mだったといわれています。これは15階建てビルの高さに相当します。
実際に平安時代の『口遊』という当時の教科書には建造物の大きさランキングが載っていて、「1位が出雲大社、2位が東大寺の大仏殿、3位が平安京の大極殿」と書かれています。当時の大仏殿の高さは約45mでした。
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そんな出雲大社の祭神の大国主命は、実は日本屈指の怨霊でした。
この大怨霊を封印するために、古代の人々はこれだけ巨大な神社〈結界〉を作った……ということは、意外に知られていません。
今回は日本神話と古代史に隠された、出雲大社の怨霊伝説について解説します。また後半では、皆さんの地元の神社に怨霊が封印されているかを見分ける方法も紹介します。
キーワードは、国津神と御霊信仰です。
怨霊の理由1:大国主命は渡来系弥生人に滅ぼされた縄文人の王
日本神話と古代史のつながりについては、コチラの記事でくわしく紹介しましたね。
狩猟採集民の縄文人が1万2000年以上にわたって治めていた日本列島に、中国大陸から大量の渡来人が移住。彼らは稲作農耕民で弥生人と呼ばれることになります。
渡来系弥生人の一族は縄文文化を破壊し、天皇として即位。大和朝廷による支配は、象徴というかたちに変わったものの現代まで続いています。
この弥生人と縄文人の戦いは、日本神話にも描かれています。有名な「国譲り神話」です。
もともと日本を治めていた「国津神(くにつかみ)」のもとに、高天原から「天津神(あまつかみ)」が現れ、日本の統治権を奪おうとします。
国津神のリーダーである大国主命はそれを拒否。国津神と天津神で相撲をとることにします。
その結果、国津神は敗北。
大国主命は日本の統治権を天照大御神に譲ります。ですから日本神話の最高神は天照大御神なのです。
これは、天皇家の祖先である渡来系弥生人の一派と、縄文人たちとの戦いを神話化したものといわれています。大国主命は、当時の日本を治めていた縄文人の王様だったということですね。
「和を以て貴しとなす」という幻想
弥生人と縄文人の戦いとはいっても、大規模な戦争があった痕跡は見つかっていません。渡来系弥生人の日本征服についてもコチラの記事でくわしく紹介しています。
縄文人のほとんどは稲作農耕文化(弥生文化)を受け入れ、大和朝廷に服従しました。弥生人も、同化した縄文人を同じ民族と見なしました。
ですから、イギリス人がアメリカ大陸の先住民(インディアン)を大量虐殺したような歴史は、日本では起こらなかったとされています。
これは日本人が「和」をもっとも重要視したからです。「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の言葉は有名ですね。
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ですがそれはあくまで民の話。いくら平和主義者の日本人といえど、敵軍の武将や王様を無罪放免にするほど甘くはありません。
相撲に負けた建御名方神(タケミナカタ)は両腕を引きちぎられた挙句、長野の地下に幽閉。その兄弟の事代主神(コトシロヌシ)は天照大御神を呪って入水自殺。大国主命も当然処刑されたのですが、一説では自殺させられたという説も。
では、なぜ渡来系弥生人は、敵軍の王である大国主命のために出雲大社という巨大な神社を建てたのでしょうか?
怨霊の理由2:出雲大社と大国主命は御霊信仰(荒神信仰)
日本人(渡来系弥生人)は、とにかく怨霊を恐れました。悲惨な最期を遂げた者や、無念の死を遂げた者は必ず怨霊となって、祟り(たたり)や災いをなすと考えたからです。
日本人が「和を以て貴しとなす」というポリシーで虐殺を最小限にとどめたのは、平和を愛したからではなく、怨霊を恐れたからなのかもしれません。
そこで日本人は、恐ろしい怨霊を神様として祀(まつ)ることで、その魂を鎮(しず)めるだけでなく、怨霊の持つ霊力を逆にプラスのエネルギーに転換しようとしました。
これが「御霊信仰」です。御霊(ごりょう)は「荒神(こうじん)」とも呼ばれます。
有名な御霊信仰には、天神様が主祭神の「北野天満宮」があります。
天神様は学問の神様として愛されていますが、天神様の正体は、日本三大怨霊の「菅原道真」です。
国の統治権をいきなり奪われた王様なのですから、大国主命も当然恐ろしい怨霊になると渡来系弥生人は考えました。
ですから大国主を日本神話に取り込んで神様とし、出雲大社という、当時最大級の神社で祀ったのです。
大国主の「因幡の白兎」神話は有名ですね。
怨霊の理由3:出雲大社の西向き構造と参拝方法は怨霊を封印するための結界
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出雲大社に行ったことのある人は知っているとは思いますが、本殿の構造が普通の神社とは違っています。
参道に対し、神座(神様のおわす場所)が真横(西)を向いて設置されているのです。本殿正面には、大国主命は祀られていません。
そのため本殿から西に回って、ちゃんと神様の正面から拝むのが、正しい参拝の仕方とされています。
これは、「怨霊は直線にしか移動できない」という言い伝えがあるからです。
神社の鳥居は「結界」といわれています。「神様のおわす神域を守るための結界」であると同時に、「神社に封印されている怨霊を外に出さないための結界」でもあるのです。
東北や沖縄では、「怨霊や魔物は直線にしか移動できない」という言い伝えを今でもよく耳にします。
怨霊が封印されている神社の見分け方
つまり出雲大社は、御霊として神社に封じ込めた大国主命の怨霊が、参道から外の世界に出てこられないように造られているのです。
先ほどお話した北野天満宮でも、参道は左に直角に折れ曲がり、その先に本殿があります。菅原道真の怨霊を封じ込めるためです。
今回は出雲大社に怨霊が封印されている理由や、大国主命の秘密について紹介しました。学問の神様や縁結びの神様としてお参りしてきた神社が、実は怨霊を封印したものだたったなんて、恐ろしい話ですよね。
しかし、この御霊信仰特有の構造を知っていれば、怨霊を封印した神社を簡単に見分けることができます。
ぜひ一度、地元にある神社を確認してみてください。
もし、鳥居と参道の直線状に本殿や神座がなかったら……その神社には、壮絶な最期を遂げた怨霊が封印されているのかもしれません。
そんなところでお参りしてしまったら、願いがかなうどころか、祟りがあってもおかしくありません。
あなたが知らないだけで、怨霊は身近な場所に潜んでいます。
このことを知ってしまったあなたの日常は、きっと今までとは違った非日常に変わってしまうでしょう。