【世界の七不思議】アレクサンドリアの大灯台と海に沈んだ残骸
世界の七不思議の建造物の中でもギザの大ピラミッドに次ぐ巨大さを誇ったと言われているのが、エジプトのファロス島に存在したアレクサンドリアの大灯台です。 以前紹介した、「ロードス島のヘリオス像」や「バビロンの空中庭園」を選んだ、フィロンには建造されていなかったという理由から選ばれなかった
世界の七不思議の建造物の中でもギザの大ピラミッドに次ぐ巨大さを誇ったと言われているのが、エジプトのファロス島に存在したアレクサンドリアの大灯台です。 以前紹介した、「ロードス島のヘリオス像」や「バビロンの空中庭園」を選んだ、フィロンには建造されていなかったという理由から選ばれなかった
世界各地にはその存在の根拠がいくつかは残っているものの、完全な立証がされていないものを含めて世界の七不思議と呼ばれる巨大建造物があります。 これらは紀元前2世紀頃、古代ギリシャの数学者であったフィロンによって選ばれたものですが、それ以前にも他国の壮大な建造物を世界の七不思議に数えていたと言われている人物も存在しています。
歴史にはしばしば出身の分からない人物や謎を残して亡くなってしまう人物があらわれます。 今回紹介する「カスパー・ハウザー」と呼ばれた青年もそんな正体不明の人物の1人です。 1828年5月、当時のバイエルン王国ニュルンベルクのウンシュリット広場で言葉の喋れない少年が発見されました。
中世ヨーロッパで現実に行われた虐殺の歴史の1つに「魔女狩り」というものがあります。 おそらく、皆さんも1度は聞いたことがあると思いますが、「多くの女性が魔女狩りによって亡くなった」というくらいの認識ではないでしょうか?
ジャンヌ・ダルクの戦友と呼ばれた諸侯の中でも「救国の英雄」とまで呼ばれるほどの活躍を認められたジル・ド・レ。 以前の記事でもジャンヌ・ダルクの戦友として紹介しましたが、同時代の貴族において、ジル・ドレほどジャンヌ・ダルクを失った影響を受けた人物は居ないのではないか?
オルレアンを解放したジャンヌ・ダルクは、当初からの声の指示であった「シャルル7世のランスでの戴冠式」を目指します。 オルレアン解放戦で敗北したイングランド軍はロワール川を中心とした各拠点に逃げ込んでいました。解放の勢いは止まらずにフランス軍はこれらの残党を次々と攻め落とし、イングランド軍を追い込んでいきます。
シャルル7世との対面を果たし、その後の異端審問でもジャンヌ・ダルクを本物の神の声を聞いた少女だと判断したシャルル7世とアルマニャック派の貴族達は運命の戦場となるオルレアンへ彼女を送り出すことを決断します。
日本最強の剣豪や伝説の侍など、日本人であれば知らない人は居ないほど、”有名な剣士”と言えば、「宮本武蔵」がその一人ではないでしょうか? 日本でも有数の強さの象徴であり、彼の生涯不敗伝説は今後も語り継がれていくでしょう。
ジャンヌ・ダルクは英仏百年戦争の後期に登場したフランスの英雄であり、軍人、敬虔なカトリック教徒、そして悲劇のヒロインでもあった女性です。 現在でも多くの人々に信奉されており、カトリックでは聖人とも認定されているにも関わらず、実際にジャンヌ・ダルクが歴史の表舞台で活躍したのは約2年ほどでした。
海難事故と聞くとすぐに思いつくのは映画にもなった豪華客船「タイタニック号」の処女航海での沈没でしょうか? 船や海に関する不思議な話や都市伝説は非常に多いですが、そんな中でも1940年代後半に起こったとされるオーラン・メダン号の怪事件は非常に恐ろしいです。
四国地方の香川県善通寺市には弘法大師空海の故郷であるとされている「善通寺」があります。 市の名前になるほど地元では有名なお寺であり、四国八十八ヶ所の中の1つにもなっており、昔から多くのお遍路さんなどで賑わっていました。
オカルトオンラインで扱った「ナチスドイツ」および「ヒトラー」についての記事まとめページ ※今後も同カテゴリの記事は追加予定です※
こちらのページではこれまでに紹介してきた「宇宙人アヌンナキとミッシングリンク」の記事についてまとめています。 人類の創造説には進化論、創造論など宗教的な考えやアカデミックな考え方など様々なものがありますが、
1999年以前、ノストラダムスの大予言が大流行し日本でも多くの人類滅亡論が唱えられてきました。 実際には1999年には何も起こらなかったため、一時的にこの話題は落ち着きを見せます。 が、そのすぐ翌年である2000年には全世界規模で問題となった「2000年問題」が浮上しました。
前編では私が17歳~18歳の頃に出会った陰陽師さんと、当時の摩訶不思議な出来事について紹介しました。 そして、いよいよ最終話になりますが 前編で、私と陰陽師さんが一切会話していないことにお気づきでしょうか? 一応さらっとは触れたのですが、ハッキリ言ってむしろ避けられたと言っていいです。
2007年8月20日のこと。 カナダのジェデダイア島という島で1人の少女が浜辺に打ち付けられた1つのスニーカーを発見しました。 片方しかなかったそのスニーカーをよくよく見ると、靴下が残っており、さらに人間の片足首が残っていたのです。
「映画」というエンターテイメントの始まりは、かのエジソンが作った世界初の映画館と呼ばれる「キネト・スコープパーラー」だとする説が多いですが、実は同年代のフランス人であったルイ・ル・プランスという人物によって、"動く写真"の撮影機は
これから語る奇妙な出来事は約15年ほど前にオカルトマトが四国地方、徳島県のとある地域に住んでいた頃に実際に体験した現代の陰陽師と犬神についてのお話です。 その前に。 ごく最近、徳島県の民家からニホンオオカミの物だとされる骨が発見されたというニュースがありました
ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したことによって、第二次世界大戦の火蓋が切って落とされたのは歴史的な事実であり、その後のポーランドを含む数多くのユダヤ人がその生命を奪われた。
さて、ここまではファティマの予言を授けられた子どものうち、唯一長命であったルシアに関する都市伝説などを紹介してきたが、本記事ではファティマ第三の予言そのものに関する陰謀について触れていきたいと思う。 少なくともルシアは予言を授けられた幼少期から1957年にかけて