結婚を強要されてしまう?!【嫁盗み】の風習

https://pixabay.com/photos/chains-feet-sand-bondage-prison-19176/

今の時代、ほとんどの人にとって結婚とは、当人同士の意思でするもの…。

出会いの形は様々でも、自分の意思で結婚相手は選ぶのが普通ですよね。

ですが…昔の日本には、嫁盗みという恐ろしい風習があったのです。

公開日:2019年9月3日 更新日:2020年1月9日

嫁盗みってなに?

嫁盗み…なんとも聞きなれない言葉ですが、意味合いとしてまさにその言葉通り、嫁…つまり、女性を誘拐して結婚するというものです。

現代の日本では、考えられないことですが、実は、昔は日本だけでなく世界中の至る所に嫁盗みの風習があったといいます。

誘拐して結婚する…なんて言われると特に女性は”ゾクッ”としてしまいますが、全ての嫁盗みが悲惨なものだったという訳ではありません。

中には、当人同士が結婚を望んでいるのに、親や親族がどうしても許してくれないとき最終的な手段として男性が女性を誘拐したという形にして無理やり結婚してしまう…。

という結婚強行突破の方法でもありました。

合意があるならそれでもいい…のですが、そうではない、恐ろしい嫁盗みの風習がつい最近まで残っていた地域が日本に存在するのをご存知でしょうか。

昭和中期まで存在していた?鹿児島県のおっとい嫁じょ

https://pixabay.com/photos/priest-flowers-bouquet-de-fleurs-3147900/

昭和中期といえば、今、50代から60代の人が産声を上げた頃のお話です。

日本は、戦後復興と高度経済成長期に突入しようとしていました。

平成から令和を生きている私たちにとってもまだ地続きの時代です。

事件が起こったのは、昭和34年のことです。場所は鹿児島県大隅半島の肝属郡串良町(現在の鹿屋市)というのどかな田舎町で起こりました。

おっといとは方言で「盗む」という意味、つまりおっとい嫁じょとは、嫁盗みのことです。

ある男性が、ひとりの女性に一目惚れしてしまいまったのです。

その場でプロポーズするわけですが、見事に玉砕、それでもきれなかった男性は、後日、何度もアプローチをしたそうです。

ですが、女性にはその気がなかったらしく、とうとうその女性のお兄さんまで出てきて、きっぱりとお断りされてしまいます。

普通なら、ここで泣きながらお酒でも飲んで忘れるところです。

ですが、どうしても、その女性と結婚したかったこの男性は諦めませんでした。

そして「この際、無理やりにでもなんとかしよう」と決意します。

そこで、自分の親戚に協力を求め、嫁盗みをすることを決断したのです。

嫁盗み=誘拐婚。つまり、女性を無理やり連れ去って説得し、それでもダメなら強姦して結婚しようというとんでもないものでした。

その当時よりもっと昔は、貞操観念が今とは違っていて「強姦されてキズものになったら、他のところには嫁にいけない」という考え方があったそう…。

つまり、無理やりにでも強姦してしまえば、自分のものにできると考えたのです。

https://pixabay.com/photos/pink-rose-on-empty-swing-3656894/

そしてこの男性は、協力者と犯行に及びます。まず、3人で女性に再度、結婚の承諾をお願いしたわけですが、あっさり断られてしまいます。

そこで「家まで送ってあげる」と嘘をついてこの女性を誘拐し、3人かがりで強姦してしまったのです。

時代は昭和30年代ですから、女性は当然、警察にいきます。

ですが、強姦したとうの本人は「これで、結婚できる」と思い込み「女性の家族が挨拶に来るはず」と自宅で待機していたというのです。

ですが、家に来たのは警察…。そして、強姦や傷害で逮捕されてしまいます。

驚愕!裁判での地元住民

https://pixabay.com/photos/japanese-lamp-stone-lamp-granite-2243881/

と、ここまででもなんとも恐ろしい話しですが、この話しの怖さはこれだけではありません。

この後、この男性の裁判が行われるのですが、なんと弁護人は無罪を主張!

そして、地元の住民からは、この男性を擁護し、情状酌量を要求する嘆願書がたくさん提出されたのです。

その嘆願書には「これは昔からの風習だ」「国が慣習に口だしするのか」「自分は子供の頃におっとい嫁じょに向かうときの明かり持ちをしたことがある」というもの。

そして、この嘆願書の提出者の中には地元の学校の校長の名前もあったそうです。

そして、このおっとい嫁じょに主犯の男性の両親もおっとい嫁じょで結婚していたそうです。

つまり、おっとい嫁じょのサラブレッドといえる人間による犯行だったのです。

そして、おっとい嫁じょでは、ターゲットの女性をひとりで強姦することはまず無理ですから、必ず複数人で行われていたといいます。

そして、その協力者も少なからず、おこぼれに預かっていた…そうです。

この地域出身の方によると「一度、目を付けられたら逃げることはほぼできなかった」そう。
自分が結婚したいほど、好きな女性を複数人で強姦してしまう…

それを、近隣の人は気づいていても「風習だから」「伝統だから」といって止めることもしないといわけですから、なんとも恐ろしい話しです。

https://pixabay.com/photos/newspapers-leeuwarder-courant-press-444447/

この事件は、新聞でも大きく取り上げられ驚きを持って全国の人に知られる事となりました。

事件が起こったのは昭和34年ですから、裁判でこんなめちゃくちゃな嘆願書や無罪の主張が認められるわけもなく、被告は有罪と相成りました。

もちろん、現在ではこのよう習慣は残されていません。

ですが、ほんの数十年前まで、これが当たり前だと思う人がいたというのも事実なのです。

まとめ

嫁盗みについてお話してきましたが、いかがでしたか?
嫁盗み…つまり誘拐婚が、残っていてそれを風習だと信じて実行に移した男性とその男性を擁護する地元住民…。

女性が受けた心のキズを思うと恐ろしいというだけでは済まされない事件でもあります。

好きだから、結婚したいから、断られたら強姦すればいいんだ!こんな恐ろしい風習が今の時代に残っていなくて本当によかったですね…。

 

追伸・・・

近年では性犯罪対策はもちろんのこと、児童保護の観点からも「防犯ブザー」の所持が小学校などでは当たり前になってきましたね。

考えるだけでも恐ろしいですが、万が一犯罪に巻き込まれそうになった時には日頃からの備えが命を救うこともあります。

あなたは自分を守る準備が出来ていますか?

1 個のコメント

  • ↓当時の調査で犯人集団のデマだと確定しているもよう

    本件は鹿児島県内のメディアで報じられ、『南日本新聞』では日曜特集のシリーズ「希望する話題」の中で風習そのものについて調査、掲載された[19]。
    それによるとおっとい嫁じょは第二次世界大戦前までは鹿児島県の一部地域で残っていたものの、事件発生当時はほぼ失われていたとされる[19]。
    また風習自体は本来略奪婚ではなく、家庭の事情や経済的な問題からくる合意の上での駆け落ちであったことなどが記されている[19]。
    また、本件はこの駆け落ちであった風習を歪曲したものだとする考えも紹介される[19]。

    ↑結局は署名したのは身内だけで周りは誰も擁護などしていないね