イタリアのルネサンス期に活躍した、万能の天才「レオナルド・ダ・ヴィンチ」。
この連載では、彼の誕生から活躍、そして亡くなるまでのレオナルド像を紐解いています。
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今回ご紹介するのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「未完の作品たち」について。
人体の解剖から発明まで、絵画以外の様々な物事にも興味を持っていたレオナルドは、典型的な遅筆の画家だったとされています。
それゆえに、未完成のまま放置され、素描の状態で遺された作品もいくつか残されています。
『荒野の聖ヒエロニムス』
『東方三博士の礼拝』
今回ご紹介する上の2作品を見て分かる通り、背景どころか、主要人物さえも描きかけで終わってしまっているのです。
完成した絵画は、それはもうただならぬ迫力と雰囲気をまとっていたことでしょう。
しかしながら、未完だからこそレオナルドの画家としての才能に気づくことができるという意味で、この2作品も鑑賞する価値があります!
今回は、
- これらの絵画の、一体どこが凄いのか?
- 未完の絵画から分かる、レオナルドの才能とは?
以上のテーマを中心に掘り下げていきます!
人体の描写が天才的!『荒野の聖ヒエロニムス』
レオナルド・ダ・ヴィンチは、人体の構造に非常に興味を持っており、自ら解剖を行うほどの好奇心を掻き立てられていました。
そんな好奇心とデッサン力が存分に発揮された作品が、未完の傑作『荒野の聖ヒエロニムス』です。
『荒野の聖ヒエロニムス』は、その名の通り、聖書をラテン語訳したとされる聖人「ヒエロニムス」が、荒野で修行する様子が描かれています。
ヒエロニムスの足元(絵の右下)にいるライオンは、ヒエロニムスに襲いかかろうとしているわけではなく、
足に突き刺さった棘を抜いて助けたところ、ライオンがヒエロニムスに付き従うようになった
というエピソードに由来しています。
『聖ヒエロニムス』のテーマは、レオナルドだけでなく、他の画家もよく取り上げている有名なシーンです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの人体描写力
『聖ヒエロニムス』を題材にする時は、
- 荒野で修行をしているシーン
- 書斎で書き物をしているシーン
このどちらかが一般的で、レオナルドが描いた『聖ヒエロニムス』は、前者の、より臨場感のある修行のシーンです。
レオナルドが『荒野の聖ヒエロニムス』で切り取った瞬間は、
聖ヒエロニムスが性的な誘惑を断ち切るため、自分の体を大きな石で打つ
という劇的な場面です。
このような劇的かつ動きのある描写こそ、レオナルドの人体描写力・デッサン力が発揮される瞬間でもあります!
まず注目してほしい部分は、苦痛に耐える聖ヒエロニムスの表情です。
未完成ゆえに描ききれていない部分も多々ありますが、デッサンの時点で、ヒエロニムスが痛みに耐え、苦痛に喘いでいる様子がまざまざと思い浮かびます。
もう1つの注目ポイントは、比較的しっかりと描かれている顔から鎖骨・胸あたりにかけての、人体の正確な描写です。
筋肉の付き方から皮膚への骨の現れ方などは、デッサンだからこそ生々しく感じられ、その描写力の高さを実感できます。
結局、レオナルドの『荒野の聖ヒエロニムス』は、遅筆ゆえに依頼通りに完成させることができませんでした。
当時のフィレンツェを統治していたメディチ家のお抱え画家「フィリッピーノ・リッピ」が、レオナルドの代役を勤め、下の『聖ヒエロニムス』を完成させたと言われています。
斬新すぎて依頼主とトラブルに!?『東方三博士の礼拝』
『荒野の聖ヒエロニムス』と同時期に描かれ、同じく未完に終わった絵画が、『東方三博士の礼拝』です。
この絵画は、
イエスの誕生を祝い、東方から3人の博士(賢者、「マギ」とも言う)が訪れる。3人の博士は、
- 高齢のアジア人
- 青年のヨーロッパ人
- 少年のアフリカ人
として描かれることが多く、三世代にわたる全世界の人間がイエスを祝福している。
というワンシーンを描いています。
さて、このストーリーを踏まえて、レオナルドの『東方三博士の礼拝』をもう一度よく見てみましょう。
- 3人の博士は、一体どこにいるのか?
- 祝福しているのは1人だけで、残る2人は?
- 人種や年齢の違いは?
などなど、一般的な『東方三博士の礼拝』からあまりにも離れすぎていることが分かります。
『聖ヒエロニムス』と同じく、代役を勤めたとされるフィリッピーノ・リッピの『東方三博士の礼拝』と見比べてみましょう。
完成した作品ということもありますが、主要人物は誰なのか、一目瞭然ですよね。
典型的な構図や表現に従わないことこそレオナルド・ダ・ヴィンチの魅力ですが、『東方三博士の礼拝』ばかりは、この斬新すぎる構図がトラブルになり、未完となってしまった可能性があります。
依頼主とのトラブル
『東方三博士の礼拝』が未完成に終わった理由は未だにハッキリとしていませんが、考えられる理由の1つが「構図が斬新すぎた」ということです。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、型にはまらないことで知られる画家ではありますが、ほとんどの絵画は、パッと見てその魅力を感じられる「明瞭さ」があります。
しかし『東方三博士の礼拝』は、一般人も紛れる群像の場面でありながら定形から大きく外れていることで、ひと目見ただけでは絵の主題を読み解くことが難しいのです。
この斬新すぎる構図によって、「下絵の段階で依頼がキャンセルになった」という説が、未完の理由として推測されます。
ちなみに、この後に描くことになる『岩窟の聖母』でも、定形表現から逸脱したため依頼主とトラブルになり、長い長い裁判にもつれ込んだエピソードがあります…。
こちらの絵画も、次回以降の連載でご紹介します!
典型的な表現を避けた理由
典型的な表現を避けた理由の1つに、レオナルドは常に「自然体」に着目していたことが考えられます。
「天使が空を飛ぶなら、鳥のような羽が生えていたはずだ」と考えたレオナルドが、『受胎告知』の大天使ガブリエルの羽を写実的に描いたことは有名です。
自然体を常に意識していたからこそ、『東方三博士の礼拝』も、典型的な構図ではなく、ごくありふれた瞬間を描くことを重視していたのだと思われます。
そう考えると『東方三博士の礼拝』は、イエスや聖母マリア、博士たちが群衆に紛れていることにも意味があり、それこそがこの絵画の魅力だと感じますね。
次回「ミラノ時代」に続く…。
次回の連載から、いよいよレオナルド・ダ・ヴィンチの最盛期である「ミラノ時代」に移ります。
『最後の晩餐』を描いたり、絵画以外の才能を発揮して「万能の人」の異名を確固たるものにしたりと、ミラノ時代は、レオナルドが最も自分らしく生きていた時代でもありました。
絵画以外のレオナルドの才能についても、これまでより多く触れていきたいと思います!