世界三大リアルチート軍人のひとりでありエースパイロットとして有名な空の魔王・ハンス・ウルリッヒ・ルーデルは、その能力は1人で一個師団に当たるとも伝えられているんです。ドイツでは英雄とたたえられその戦果は世界記録となっているだけででなく、彼の逸話は嘘と虚言にまみれたあのアンサイクロペディアでさえ、多くの本当のことを書かざるを得なかったほど。おそらく彼の持つ記録は今後も塗り替えられないであろうほどの戦時中の逸話は、どれも驚かされるものばかりで彼がいかに人外な人物だったのかをうかがい知ることができます。
ミリオタだけでなく広く一般にその異能っぷりを知られている、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル。今回は彼について迫っていきたいと思います!
ルーデルの運命はパラシュートとの出会いから
オカルトオンラインですでに紹介しているシモ・ヘイヘや舩坂弘など、戦時中に活躍したリアルチートな人物も幼少期や育った家庭環境はごく普通なケースがほとんど。
ハンス=ウルリッヒ・ルーデル(以下ルーデル)の場合は、父がルター派の牧師で地域の教区長という立場で兄弟は上に姉が2人。
そんな彼がパイロットを目指すきっかけとなったのは、8歳のときに母親から与えられたパラシュートのおもちゃとの出会い。パラシュートで降下することや空を飛ぶということに興味を持ってしまったためにパイロットを目指したのです。母親がルーデルにパラシュートをプレゼントしなければ、彼は空に興味を持つことがなく戦争の流れや、それ以降の歴史も変わっていたかもしれませんね。
競争率100倍の難関を突破しドイツ空軍学校に入学
1936年12月にはドイツ軍が戦争に備えて設立したドイツ空軍学校を受験。「戦時中だったことを考慮すると誰でも簡単に入れたのでは?」と思ったら大間違い。このときのドイツ空軍学校の倍率は100倍と超難関な試験だったにもかかわらず、ルーデルは1回であっさりと合格しています。
ルーデル本人は花形として人気のあった戦闘機乗りを望んでいたのですが、校内で卒業前に「全員爆撃隊に編入される」といううわさが流れ、さらにたまたまその場にいた政治家のゲーリングが「新編成されるシュトゥーカ爆撃隊には、青年将校が多く必要」と言ったのを聞いてしまったため、『急降下爆撃隊』へと志願先を変更したのです。しかしフタを開けてみれば、同じ卒業生のほとんどが自ら希望していた戦闘機隊に配属という結果になっていたのでした。
ある意味騙されたのですから、ルーデル自身も恨んでいただろうと思いますが、後に本人が「最初は嫌だったが、すぐにこの上ない幸せと感じる」ようになったと語っているのですから、結果的には良かったのでしょう。
ルーデルは1938年6月にはグラーツにある第168急降下爆撃航空団第I飛行隊に配属されるも、すぐに偵察隊への転属となってしまいます。偵察機のパイロットとなるため、ヒルデスハイムにある空軍偵察訓練校で偵察写真撮影航法についての訓練を受け、翌1939年1月に第121長距離偵察飛行隊へと転属しています。
ルーデルは出撃できないことが何よりも悔しいと語っていたことも
偵察飛行隊配属後はいくつかの部隊を転属していましたが、副官であったり訓練を受けていたため作戦にパイロットとして参加できず、非常に悔しい思いをしていたようで後に以下のように語っているほど。
「出撃命令でエンジンが唸り出すたびに、拳を耳につめこみたくなる。シュトゥーカ隊は、クレタで歴史を作っている。そう思って、私は口惜しさに男泣きに泣いた」
これが後の命令無視をしてでも出撃した要因の一つと言えるでしょう。
そんな中で1941年6月22日、ルーデルに転機が訪れます。ドイツがソ連への侵攻を開始した『バルバロッサ作戦』の開始を聞いたルーデルは急降下爆撃隊員として参戦することを初めて許され、翌月には『一級鉄十字章』を受章するほどまで戦果を挙げたのです。
これがきっかけとなり、『破壊神』とまで呼ばれたルーデルの空の伝説が始まったのです。
ルーデルはヒトラーから信頼されていた
出典:flickr
1945年に入るとドイツにとって戦局は厳しいものになりますが、そんな状況でヒトラーはルーデルのことを信頼していたといわれています。
総統閣下じきじきにジェット部隊の指揮を頼み込んだものの、ルーデルは自分が出撃したいがために「ジェット機についてはよく知らないので」などと嘘をついて断ります。自殺3日前にルーデルを召還していたのですが、ソ連軍がベルリン市内にある着陸場を占拠していたため実現はしなかったのだとか。
もしもルーデルがジェット部隊の指揮をしていたり、総統閣下の召還が成功していたのなら…ドイツ軍は逆転していた可能性も否定できません。
ヒトラーはルーデルの死を恐れていた
戦時中のルーデルの人外な働きぶりは当然ヒトラーの耳にも入ります。しかも上官の命令を無視・書類偽装までして出撃、満身創痍の状態でも再出撃となるといつどこで死んでもおかしくないような状況ですよね。
敵から賞金をかけられるほど恐れられているルーデルが死ぬことで、敵軍の宣伝に利用されると考えたヒトラーは彼の死を恐れていたそうです。
地上勤務にすればいいじゃないかと思う人は多いでしょうが、このとき再三にわたって総統閣下が地上勤務に移るようにと伝えるも、ルーデル本人が断っているんです。『黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章』を授与されるときの条件にも『地上勤務を要請しないこと』という条件まで付けているあたり、やはりルーデルは戦時中爆撃の魅力に憑りつかれてしまっていたのかもしれませんね。
ヒトラーについては、こちらの記事でオカルト方面からの解説をしていますよ!
ルーデルが搭乗した爆撃機
ルーデルが出撃を開始してから終戦までにいくつかの爆撃機に搭乗していますが、メインは次の2機です。
Ju 87 シュトゥーカ
『Ju 87 シュトゥーカ』は、第二次世界大戦中にドイツ軍が使用していた急降下爆撃機。急降下の衝撃に耐えることが可能、そして整備が簡単で反復攻撃まで可能と実用性に優れている機体です。急降下をする際には独自のサイレンに似た音を出すことから、『悪魔のサイレン』という異名も付けられています。
フォッケウルフ Fw190
『フォッケウルフ Fw190』は『Ju 87 シュトゥーカ』に代わり地上支援任務についた戦闘爆撃機。第二次世界大戦では『Bf 109戦闘機』とともに前線で戦いドイツ空軍の主力でした。整備や運用に関する手間やコストが少ないという特徴があり、対爆撃機型や高速偵察機型などいろいろな派生型が作られています。
世界最高記録となっているルーデルの戦果とは?
ルーデルの戦績・戦果は公式に認められているものは実際の数値とは異なります。なぜなら命令を無視してこっそり爆撃しに行ったり、自分が戦場に残るために戦果を他の兵士に譲ったりしているため。公的に知られているだけでも出撃回数は約2530回、被撃墜回数約30回、その戦果は世界最高記録となっていて、これからも塗り替えられることがないであろうと言われています。
- 戦車:519輌
- 装甲車&トラック:800台以上
- 装甲列車:4両
- 戦艦/嚮導駆逐艦/駆逐艦:各1隻
- 上陸用舟艇:70隻以上
- 航空機 9機
ちなみにルーデルは400回・1000回・1600回・1800回・2000回・2400回と、出撃回数の節目に十字章を受章しています。その中でも2400回目に授与された『黄金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章』は、ルーデルのために作られヒトラーが直接ルーデルに授与したもの。
この他にも『戦傷章金章』や『ドイツ十字章金章』などをドイツから授与されていますが、ハンガリーから『勲功章』、イタリアからは『武勇章銀章』を授与されています。
自分の戦果を他人に譲ることもあった
戦時中の戦果を他人に譲る兵士はそういませんが、ちょっと異端児だったルーデルは自らの戦果を仲間たちの戦果として報告していたという話があります。当時戦友だったという人物などの証言からもこの話は有名なのですが、これが本当だとしたらルーデル個人の戦果はさらに上がりますね。
そしてなぜ彼は仲間に戦果を譲ったのか気になりませんか?
恐らく戦果を正直に報告することで自分の階級が上がってしまい、指揮官クラスなどへと昇進することになれば実際に戦場に出撃できなくなってしまうため、それを避けるためだったのではないでしょうか。
ソ連軍からは賞金をかけられていたルーデル
その驚異的な爆撃能力から当時のソ連大統領・スターリンからも恐れられ『スツーカの悪魔』とも呼ばれたルーデル。ソ連国民やソ連軍最大の敵と認められてからソ連は賞金をかけていました。その金額は10万ルーブルで、2020年4月現在では144,190.52円ですが、当時の金額で換算すると5,000万~1億ほどと大金になります。
1個人に対して国が賞金を懸けることは、戦時中といえど滅多にありません。それほどソ連軍はルーデルの存在が戦争の結末を左右すると恐れていた証拠ですね。
ルーデルの異端児っぷりが分かる逸話
アンサイクロペディアでさえ嘘を書けなかったルーデルの異端児っぷり。今回はその中から代表的なものをいくつかご紹介しましょう。
休暇を返上してまで戦いに出たかったルーデル
「そんなにソ連が憎いのか?」と本人に聞きたくなるほど、ルーデルは休む間も惜しんで戦場に出ています。その異常さは出撃回数を見れば分かるのですが、わずか半年で400回を突破しているんです。上官に自分の休暇を減らしその分出撃回数を増やしてくれと懇願し、それができないとなると提出書類を偽造してまで出撃。
一体何が彼の闘争心を掻き立てていたのかと考えてみると、やはり自国の勝利のためだったのかと思う人が多いかもしれません。しかしちょっと見かたを変えると戦場に赴くスリルと爆撃成功時の快感でアドレナリンが過剰分泌され、ハイな状態になっていたのかもとも思えるのですが…。
仲間を助けるために敵地強行着陸を行なう
ルーデルは爆撃だけでなく仲間を救出するために4回も敵地内にて強行着陸をしています。うち1回は部下の乗っていたスツーカが不時着したための救出だったのですが、部下と合流したものの離陸時に地盤が悪く横転してしまい、相棒のヘンシェルと部下の4人で敵地に取り残される羽目に。
直近の味方陣地へ行くために水温わずか3~4℃の川を泳いで渡るという強硬手段に出たのですが、言い出しっぺのヘンシェルは途中で力尽きてしまいます。
この件が元でその後、ルーデルに対して『味方の飛行場以外で着陸することを禁止する』という命令が出るという前代未聞の事態に。しかしこの事件後1944年夏ごろに副官のヘルムート・フィッケル少尉&相棒を救出した際は降下したものの、地表を滑走することで止まらない状態を維持し、2人を救出して乗載し離陸という離れ業をおこなっています。
右足を失っても医師の話を無視して戦場へ
ルーデルは1945年2月に5回目の負傷で右足を失っています。当時の相棒はガーデルマンだったのですが、ルーデルが「足がなくなった」と言えば「足が吹っ飛んだら話なんかしていられませんよ」と言いかえしていたのだとか。実際には意識を失いかけていたルーデルが気絶しないよう、必死で話しかけていたのでしょう。
不死身ではないかともいわれるルーデルも、さすがにこのケガで入院することになりますが、見舞客には「脚はどうでもいい、しばらく戦車を撃破できないことが悔しい」と言っていたのだとか。
もしかして彼はナチスに兵器として洗脳でもされているのか、とまで疑いたくなる病的な戦闘好きだったようです。そして入院していることに我慢できなくなって、担当医からは「無理をすると命の保証がない」と言われている状態で書類を偽装してまで出撃しソ連軍を爆撃したのだというのですから、すごいとしか言いようがありませんね。
この他にも現在に伝えられている逸話には「ソ連軍の将兵の約100人に3人がルーデルの被撃破経験者」、「至近距離(100m以内)で銃器で襲撃される」、「合流するはずの装甲列車がすでにルーデルによって撃破された後だった」、「ベルリン・モスクワ間ではルーデルに襲撃される確率が150%(遭遇率100%なうえに、撃破され撤退最中に再襲撃される確率50%)」など数えきれないほど出てきます。
彼の異端っぷりや当時の様子をもっと詳しく知りたいのであれば、ルーデルの執筆した自伝『急降下爆撃』を読むことをおすすめします。
ルーデルはナチス党員ではなかった?
第二次世界大戦中のドイツといえば、ナチスを思い浮かべる人がほとんどではないでしょうか。しかし当時のドイツ軍に所属していた人物が全員ナチス党員というわけではありません。ヒトラーが信頼していたということから、ルーデルがナチス党員と思い込んでいる人もいるようですが、実際には非ナチス党員なんです。
戦後は戦犯とされ拘束された戦友を救出したり、支援するための『ルデル・クラブ』を結成しています。一部ではカルト的、またはナチス残党による秘密結社と言われていますが、こちらのクラブは真面目にドイツ軍人を支援する組織として活動していました。
ナチス・ドイツにつていはこちらの記事をチェック!
第二次世界大戦終戦後は静かな余生を過ごしていた
空の魔王と呼ばれソ連から恐れられたルーデルですが、戦時中の戦績や戦果からも戦犯に該当するものがないため、1946年4月に軍人病院から退院・釈放という扱いになり、輸送関係の仕事で働いていました。
平穏な生活をしていたにもかかわらず、その功績は世界中に広まっていたために、アルゼンチン政府から非公式の招待状を受け取ったルーデル。1948年にアルゼンチンに渡り、航空機産業の顧問として任命され政府との契約が切れる1953年まで勤務します。
その後は西ドイツに帰国し、スポーツや登山などを趣味としながら武器販売やコンサルタントなどを行なう実業家として静かな余生を過ごしていました。1982年12月に脳内出血により亡くなりましたが、ドイツの英雄的存在だったため軍人だけでなくネオナチまで押しかけひと騒動あったようで、お墓の正確な場所は非公開とされています。
戦闘機開発に関わっていた
2002年に業績不振により経営破錠したアメリカのフェアチャイルド社。実はこの会社は『A-10サンダーボルトII攻撃機』を設計するときに、対地攻撃の第一人者としても知られているルーデルを顧問に迎えているんです。設計の一部はルーデルの意見に基づいているとされており、湾岸戦争で大活躍という結果を残しています。
ルーデルが登場する創作作品
シモ・ヘイへや舩坂弘のようにリアルに人間離れした能力を持っていり、異端児扱いされるような人物は漫画や映画のネタにされる運命にありますが、ルーデルも例外ではありません。
ムダヅモ無き改革
元総理大臣・小泉純一郎が各国首脳や歴史上の人物相手に、『麻雀で日本や世界の運命を決める』とんでも漫画!
ナチスが月面に作った四帝国側の人間とし、スコルツェニーのおひきとしてーデルが登場しますが、主人公をはじめとした主要キャラのチート能力がすごすぎて、ルーデルがそこまで異能とは思えないかも?
ギャグ満載でリアル麻雀ルールを知らなくても楽しめます。ちなみに私はこの作品でルーデルの存在を知りました。
さらにアニメ化もされていますが、アニメは効果音や音声効果でより面白みが増しています。しかし残念ながらアニメの方ではルーデルは登場しません。
リィンカーネーションの花弁
舩坂弘やシモ・ヘイへの記事でも紹介しているこの作品。主人公サイドの敵としてルーデルが登場します。舩坂弘との不死者対決はみものですよ!
蒼空の魔王ルーデル
こちらはルーデルが主人公のミリタリーアクション漫画で2019年3月に連載が終了しており、コミックは全5巻。この作品ではルーデルは「死の影」を見る特殊能力を持っているという設定で、自分自身が「死の影」から逃げるために戦闘機に乗っているという設定になっています。
まとめ
ソ連だけでなくヒトラーすら恐れていたという空の魔王・ハンス・ウルリッヒ・ルーデル。彼はなぜあそこまで戦場に出ることを望んだのか、その本心は誰にも分りません。
ナチス党員ではなかったもののやはり祖国を思って、自分の身体を犠牲にしてでも敵国を再起不能に陥れたかったのかもしれませんね。彼の人外撃墜王としての逸話は今回紹介しきれませんでしたが、興味があるのなら自伝を読んだりネットなどで調べてみることをおすすめします。また彼の相棒となった人物や上官なども、調べてみると意外な一面が見えることも。
三大リアルチート軍人、シモ・ヘイへと舩坂弘についてはこちらの記事をどうぞ!