キリスト教や仏教、その他様々な宗教は古来から存在しており、人類とは切っても切り離せない存在です。
それぞれの宗教には「神」といわれる存在がいるのですが、ぶっちゃけその存在を信じていますか?
この答えは人それぞれだと思いますが、神を信じるか否か、その答えを導きだそうとした人物がいます。
今回は、そんな「神」という存在を考える思考実験「パスカルの賭け」について紹介します。
思考実験:「パスカルの賭け」とは
「パスカルの賭け」とは、17世紀のフランスの哲学者、ブレーズ・パスカルが著書「パンセ」の中で提唱した思考実験です。
パスカルといえば数学者としても有名で、天気予報などでよく耳にする「パスカル(Pa)」の元となった人物ですね。
パスカルの賭けの内容は、こうです。
「神は存在するか、存在しないか」という賭けを考える。
神は「存在する」または「存在しない」の2つの選択肢に分かれる。
まずは、神の存在を信じ、神の命令に従うとする。すると、
- 神が存在する場合→永遠の命を得られる
- 神が存在しない場合→いつかは死ぬが、生前は信仰の安らぎを得られる
次に、神の存在を信じないとする。すると、
- 神が存在する場合→永遠の業火に焼かれ、地獄で苦しむ
- 神が存在しない場合→自由気ままに暮らすが、信仰による安らぎもない
さあ、あなたはどちらに賭けるか?
この思考実験は、神を信じることによって信仰者に利益があるか、といった打算的な賭けを考えています。
神を信じた方が利益が大きい
つまり、「神が存在する」ほうに賭けたとき
- 最も良い結果→永遠の命を得る
- 最も悪い結果→有限の命
「神が存在しない」ほうに賭けたとき
- 最も良い結果→有限の命
- 最も悪い結果→永遠の地獄
となるのです。
これだけ見ると、神の存在を信じた方が明らかに利益が大きく見えます。
神を信じるのは”保険”?
特に私たち日本人は、何らかの宗教を信仰していながらも礼拝に行ったり、その宗教の教えを日ごろから守っている人はあまりいません。
それでも私たちは信仰を完全にやめることはしませんよね。
これは前述の考えのように「万一の時に備えて、神と最低限のかかわりを持っておこう」という、いわば”保険”のようなものなのです。
信仰する神はひとつではない
「神を信じるか否か」という点で賭けを考えてきましたが、賭けごとはもちろん、結果が2通りあって成立するもの。
しかしこの場合、同じく「神を信じる」といってもキリスト教の神なのか、仏教の神なのか、ヒンドゥー教の神なのか…
仏教の神を信じたとして、実際に天国の主がキリスト教の神だったら意味がありません。
だからこそ、この賭けは単純ではないのですね。
日本人はこの”保険”に頼りがち?
とりわけ、この「とりあえず神を信じる」といった”保険”をかけているのは日本人に多いのではないでしょうか。
初詣は神社に行き、葬儀や法事は仏教にならった方式で、クリスマスは国民全体で祝う…
「神」という存在と日常を共にしながらも、その信仰の対象は定まっていない。
そんな国民性の裏には「万一に備えて、とりあえずいろんな神様信じとけ」といった心理も少なからずあるのかな、と思います。
数ある宗教の中で、何を信じるか
それではいざ自分がどの宗教を信仰するか、その選択肢はほぼ無限にあってどれを選ぶのも自由です。
しかしこのパスカルの賭けによって、打算的にいうと何を信じればよいか、ある程度見えてきます。
選択肢は2つではない
もっと現実的な問題として、この賭けの選択肢はたった2つではありません。
他にどんな選択肢があるのかきちんと理解することが重要です。
ひとつは、他の宗教と敵対し、自らのみを信じさせ、それ以外すべてを罰する神。いわゆる原理主義的なものです。
もうひとつは、自分で罪を償う機会を与えてくれる神。融通の利く神とでもいいましょうか。
他にもある様々な選択肢の中で、神という存在を打算的に見るということがこの思考実験から学べます。
まとめ
「パスカルの賭け」は、神を信じるという行為を賭けと考え、打算的な最適解を求める思考実験でした。
日本人は特に宗教に対する関心が浅く、ともすれば悪いイメージを持っている人もいるのではないでしょうか。
しかし、この思考実験によれば「神を信じる」という行為は打算的に考えると意外と理に適っている部分もあるんです。
宗教に正解はありませんが、自分なりに考え直してみてはいかがでしょうか。