"すぐ傍にいたはずの息子がまるで一瞬のうちに消えた"

朝の散歩から帰ってきた父と子。玄関前にいたはずの我が子が、ほんの束の間目を離す間に忽然と姿を消した。そのときなんの物音もせず、その後の手がかりは何もなく。
それはまさしく神隠しのようであった―。

この年の1月、昭和が64年で幕を閉じ、新たな時代が訪れたばかりの日本国内。
「平成」="平和の達成"を願うかつての現代日本において、まるで怪談のような出来事が起こったのです。


本記事筆者 テンペ・ワゾウスキによる【考察シリーズ】第5弾。今回もまた、未解決事件の真相に迫ります。

『松岡 伸矢くん行方不明事件』の概要

事件が起きたのは1989年(平成元年)。
この事件の被害者となった松岡 伸矢くん(当時4歳)。茨城県牛久市に住む松岡さん一家の長男であった。松岡さん一家の家族構成は、父・正伸さんと妻・圭子さん、長女、伸矢くん、次男。5人家族であった。

正伸さんは国産の電算機器関連会社に勤めるソフトウェア技術者であり、連日の深夜残業や休日出勤で忙しい毎日を送っていた。そこで家族との時間を確保するために、正伸さんはこの年の初めにちょうど外資系のコンピュータ会社に転職したばかりであった。
そんな中、3月5日に妻・圭子さんの母が急死。翌6日に一家は徳島県小松島市で営まれた葬儀に参列した。その後、一家は圭子さんの親戚宅を訪ね、ここに宿泊した。

妻・圭子さんの親戚宅

葬儀当日、一家が宿泊した圭子さんの親戚宅は徳島県美馬郡貞光町(みまぐん さだみつちょう)にあり、葬儀が行われた小松島市から車で1時間ほどの距離。
元々は村であり、合併して貞光町となった。同町の中心となる集落は、貞光川と吉野川が合流する地点に立地するいわゆる谷口集落となっていた。親戚宅もこの集落内にあったと推察できる。
貞光町全体でもその人口は数千人程度であったため、親戚宅周辺は非常にのどかな環境であったと思われる

「谷口(たにぐち)集落」とは固有名詞ではなく、河川が山間部から平野に出るところにできた集落のことをいう。「渓口(けいこう)集落」ともいう。

尚、親戚宅は山間部の私道(林道)の終点付近に位置していたといわれている。つまり、行き止まりの地点であり、その道の先に人家はない(周囲に人が住んでいない)と思われる。この私道は山の斜面に沿って延びており、親戚宅は坂の途中に建っていた。標高は200mほどである。

貞光町はその後2005年に合併し、現在はつるぎ町となっている。


現 つるぎ町 (イメージ)
画像引用:にし阿波暮らし「四国徳島散策記」

7日。8時頃、正伸さんは自身の子ども3人と従兄弟(いとこ)の子どもを連れて近所まで散歩に出かけた(先述のとおり、親戚宅は山間部にあるため、この散歩はさながら山歩きのようであったかもしれない)。
ちょうど朝食前であったため、正伸さんはこの散歩を10分ほどで切り上げ、親戚宅へ折り返している。このとき子どもたちははしゃぎながら、全員正伸さんについてきていた。
そして親戚宅に到着。子どもたちは家の中へ入るが、伸矢くんだけがまだ玄関先にいた。その様子から正伸さんは伸矢くんが"まだ散歩したい"のだと感じたという。そこで正伸さんは抱きかかえていた次男(当時2歳)を家の中にいた圭子さんに渡し、伸矢くんの様子を窺うため、玄関の外へ出た。すると、そこにあるはずの伸矢くんの姿が消えていた。この間、僅か40秒ほどであった―。


以上、【パート1】となる本編では、『松岡 伸矢くん行方不明事件』の概要をお伝えしました。事件のさらなる詳細はパート2】にて。