【未解決事件】『長岡京ワラビ採り殺人事件』を徹底解説 -1- 【考察シリーズ】
1979年(昭和54年)5月23日、京都府長岡京市の山中で主婦2人が殺害された。 この事件の被害者となったのは、明石 英子さん(当時43歳)と水野 恵子さん(当時32歳)。年齢が離れている2人であるが、これは同じパート先に勤める同僚の関係であったためである。 事件当日、明石(あかし)さんと水野さんはパート勤務を終えた後―
1979年(昭和54年)5月23日、京都府長岡京市の山中で主婦2人が殺害された。 この事件の被害者となったのは、明石 英子さん(当時43歳)と水野 恵子さん(当時32歳)。年齢が離れている2人であるが、これは同じパート先に勤める同僚の関係であったためである。 事件当日、明石(あかし)さんと水野さんはパート勤務を終えた後―
伸矢くんは朝の散歩に父親と出かけ、その後前日から宿泊していた親戚宅の玄関前にて忽然と姿を消したわけである。 おそらく松岡さん一家が親戚宅に滞在していることが何者かに知られていて、散歩の様子もどこからか監視されていた。そして玄関先にひとり佇んでいた伸矢くんは、ふらりとそこから離れたが、このとき親戚宅の陰に潜んでいた何者かに連れ去られた。
-事件の状況整理-「伸矢くん失踪現場となった親戚宅は林道の終点付近に位置しており、その周辺は外部からの出入りがほとんどない」 これは裏を返せば、人の目が少ないともいえる。ましてや事件発生時は朝の8時頃、さらに民家の密集していない集落。周辺屋外の人は少ないはず。悪意を持った人間が拉致を実行するのには適した状況ではなかったのか。
-かつて昼の情報番組に出演していた- 実はこの和田さん、2018年1月の『緊急!公開大捜索SP '18春(以下 公開大捜索)』(TBS)出演以前に、アイドルグループ「AKB48」のマニアとして『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)に出演している。そのほか、新聞社の取材にも応じていたことも明らかになっている。
2018年1月31日のテレビ出演で突如、"伸矢くんである"と注目を集めた和田 竜人さん。 同年2月3日、自身のFacebookで和田さんとの親子関係を調べるため、DNA鑑定を行ったことを発表した父・正伸さん。それから3日後、DNA鑑定の結果が徳島県警から伝えられたことをFacebook上で報告しました。結果は―
2018年1月31日に放送された『緊急!公開大捜索SP '18春』(TBS)。この放送後、"失踪した伸矢くんである"と世間の注目の的となり、時の人となった和田さん。 これを受け、伸矢くんの父・正伸さんは和田さんのDNA鑑定を行う決断を下します。ところが...
-1998年 レンタルビデオ店従業員による証言 (中国地方)- "伸矢くんの想像写真にそっくりの少年が店に来た。男の子の手首には傷があった。彼は映画「タイタニック」のポスターを買っていったが、このとき少年は店の出入り口付近にいたヤクザ風の男にポスターを見せ、(これでいいの?)といったように確認してからレジに来た"
事件後、父・正伸さんは会社を辞める決心を固め、自営業に切り替えている。これは捜索の時間を少しでも多く確保するためであった。それからというもの、正伸さんは実に50回を超えるテレビ出演で視聴者に情報提供を呼び掛けた。その中で、正伸さんは自宅の電話番号も公表している。
伸矢くんの失踪―。これは当初、迷子であると思われていたが、家族をはじめとした周囲の人間は次第に事態の重さを感じていった。 その後、家族や親類が周辺を捜索、さらには地元消防団もこれに加わったが伸矢くんは見つからなかった。やがて一家は警察に通報。朝の散歩からおよそ2時間後、10時頃のことであった。
-すぐ傍にいたはずの息子がまるで一瞬のうちに消えた- 朝の散歩から帰ってきた父と子。玄関前にいたはずの我が子が、ほんの束の間目を離す間に忽然と姿を消した。そのときなんの物音もせず、その後の手がかりは何もなく。 それはまさしく神隠しのようであった―。
舞ちゃんは人一倍怖がりかつ慎重な性格なので、いくらKの誘いであっても暗い深夜に遊びに出ることはあり得ない。
22時30分頃【重要考察ポイント】 母ヨシ子さん 舞ちゃんの眠る姿を確認⇒2階の洗面所窓からKが南へ歩いていく姿を目撃⇒入浴
『石井 舞ちゃん行方不明事件』―。文字通りこれは事件である。 となれば必ず犯行を行った人物がいるわけであるが、事件当時の状況やさまざまな証言、現場検証などから総合的に鑑みれば、この事件の黒幕として最も疑わしいのはやはりKである。そう考える理由は以下のとおり。
-釈放当日 Kの気になる行動- 釈放後、Kは交際相手である賢一さんの姪とラブホテルでシンナーを吸引している。このときKは「いま探してるところに舞ちゃんはいない」というまるで舞ちゃんの所在を知るような意味深な発言をする。これに恐怖を覚えた姪はその後Kと別れている。
-Kが語る 事件当時の自身の行動- 24日 22時30分頃 -Kの証言- "友人に電話をするために公衆電話へ向かった。 そして友人に会いに行くために所有の車で郡山へ向かおうとするが、バッテリー上がりによって車が動かなかった。そして周辺をうろついた。
-7月25日 午前中(事件発覚直後)- 通報を受けた三春警察署が舞ちゃんの捜索を開始。 事件当時の行動から最も疑わしいKはこの日のうちに連行され、事情聴取を受ける。事情聴取でKは事件について「何も知らない」と答える。
-この日のKについて- 前日(23日)、Kは賢一さんにこの日仕事に出るように頼まれている。そのため、当初この日はKの仕事が休みであった可能性があり、Kはこれが気に食わなかったと考えられる。 また、時間は定かではないが、この日Kがシンナーを吸引していたことが明らかになっている。
本記事で考察する『石井 舞ちゃん行方不明事件』。 この事件については各方面でさまざまな憶測が飛び交っていますが、本記事では舞ちゃんが自ら家出した説は否定。その上で、この事件の関連人物をご紹介します。
-深夜に自宅から娘が消えた- 時は平成初期。眠っていたはずの少女が夜更けに突如、行方不明となりました。事件からおよそ29年、少女の発見につながる有力な情報はなく、事件は未だ解決の端緒をつかむことができずにいます―。(2020年6月現在)
コーヒーの淹れ方の講習を受けるために、自宅からアルバイト先であるパン屋(本店)へと向かった千田 麻未さん。そのまま行方不明となったことで、この日麻未さんと会うことになっていたパン屋のオーナーに疑いの目が向けられることになります。 警察は麻未さんの失踪に対し、"事件性あり"と判断。拉致事件(もしくは殺人事件)として捜査を開始。