映画レッドクリフのモデルになった「赤壁の戦い」の真実とは【前編】
三国志の時代には魏、呉、蜀の3つの国がそれぞれ覇権を争っていた乱世でしたが、赤壁の戦いは後の三国の主役が揃った数少ない戦いの1つでした。 河北の袁紹を降した曹操はすでに中国の北部一帯をほとんど手中に治めており、次に狙っていたのが劉表の治めていた荊州(けいしゅう)です。
三国志の時代には魏、呉、蜀の3つの国がそれぞれ覇権を争っていた乱世でしたが、赤壁の戦いは後の三国の主役が揃った数少ない戦いの1つでした。 河北の袁紹を降した曹操はすでに中国の北部一帯をほとんど手中に治めており、次に狙っていたのが劉表の治めていた荊州(けいしゅう)です。
三国志で覇道を貫いた曹操と日本の戦国時代において第六天魔王を自称した信長。 歴史上の人物で比較される君主や武将は多いですが、曹操と信長には共通点が多いことでも有名です。
三国志の中で劉備と対比され、天下を思うがままに操った悪役として描かれているのが曹操です。 曹操が悪役の代名詞として語られるエピソードの1つには董卓暗殺に失敗して逃亡する際に、旧知の知人一家を手違いから全員殺害してしまった事件が挙げられます。