本当に古代遺跡?謎多き龍游石窟
ゲームや小説でもよく登場している「世界の七不思議」だが、現代ではその続きが生まれていることをご存知だろうか。 今回は、「世界の七不思議」の続きに選ばれた建造物の1つである「龍游石窟」についてご紹介する。
ゲームや小説でもよく登場している「世界の七不思議」だが、現代ではその続きが生まれていることをご存知だろうか。 今回は、「世界の七不思議」の続きに選ばれた建造物の1つである「龍游石窟」についてご紹介する。
古代ギリシャの建築物で有名な神殿と言えば「パルテノン神殿」が頭に浮かびますが、フィロンによって世界の七不思議に数えられたエフェソス(現在のトルコ)にあったアルテミスの神殿は、当時の建築技術の限界に挑戦したものであったと言われるほど、巨大かつ美麗なものだったと伝わっています。
世界の七不思議に数えられる建築物の多くは古代ローマ帝国の影響を受けていると言われていますが 現在のトルコ南西にあるボドロムという都市に残されているマウソロス霊廟はペルシャ帝国の時代に造られたと言われています。
世界の七不思議において、建造物の技術や文明の源流となったと言われているのは、マケドニア帝国の王であったアレクサンドロス大王による世界征服でした。 この流れにおいて成立したものはヘレニズム時代と呼ばれており、多くの文明が混じり合った結果として、技術力などが大きく発展したと言われています。
世界の七不思議の中でも最もベールに包まれている存在とされているのが、現代のギリシャ領にあるロードス島にかつて存在したとされる巨大なヘリオス像です。 ヘリオスとは、ギリシャ神話上の太陽神であり、ヘリオス像が立っていたとされる時代には多くの民衆に信仰されていたと言います。
世界の七不思議の建造物の中でもギザの大ピラミッドに次ぐ巨大さを誇ったと言われているのが、エジプトのファロス島に存在したアレクサンドリアの大灯台です。 以前紹介した、「ロードス島のヘリオス像」や「バビロンの空中庭園」を選んだ、フィロンには建造されていなかったという理由から選ばれなかった
世界各地にはその存在の根拠がいくつかは残っているものの、完全な立証がされていないものを含めて世界の七不思議と呼ばれる巨大建造物があります。 これらは紀元前2世紀頃、古代ギリシャの数学者であったフィロンによって選ばれたものですが、それ以前にも他国の壮大な建造物を世界の七不思議に数えていたと言われている人物も存在しています。