どんな困難にも負けずに今の姿まで再建されたのはそれだけ人々の思い入れが強く、広島東照宮自体がパワーがあるから

広島東照宮は明治維新後には荒れ果ててしまいましたが、明治の終わりごろには見事に建て直しが行なわれました。太平洋戦争の時は参道の近くに兵の訓練場があったり、境内には通信のための施設があったそうです。戦争中は火災も発生したようですが、任務に就いている通信兵が協力して消火活動をしたおかげで全焼そして全壊を免れたそうです。そして広島東照宮は原爆で被爆した建物の1つになります。広島東照宮は避難所にもなっていたので原爆の時はたくさん人が押し寄せ大混乱になりましたが、通信兵や救護隊などが対応したおかげで大事に至らずに済んだそうです。原爆が落ち着いた翌年は仮の参拝所を設置したそうです。 [cc id=5874]

広島県広島市東区二葉の里2-1-18 [map lat=”34.4035499″ lng=”132.4756634″ width=”800″ height=”600″]
オカルトオンライン編集部

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