1992年4月29日、大阪府熊取町で17歳の少年Aがため池に落ちて死亡したのを皮切りに、3ヵ月という短い期間のうちに7人もの若者が自殺をするという事件
少年Aの死から一か月後、Aの友人である少年Bが心不全で亡くなります。また、六日後、AとBの友人である少年Cが玉ねぎ小屋で首を吊って死んでいるのが見つかりました。Cの自殺から六日後、今度はCの友人だったDが自宅の納屋で死んでいるのが見つかります。Dには妊娠した婚約者がおり新生活を送る家も決まったばかりでした。その一週間後、Dの死の知らせを聞き他県から熊取町に来ていた友人のEが何故か農作業用の小屋で首を吊っているのが見つかりました。Eは手首を後ろで縛られた状態で首を吊っていました。Eの死から一週間後、岸和田市の職員Fが栗の木で首を吊っているのが見つかりました。さらに一週間後、大学生のG子が道路購に挟まった状態で発見されます。G子は首と胸をナイフで刺されておりました。これらをすべて自殺事件として処理していますが、あまりにも不審な点が多いため自殺ではなく殺人事件だったのではないかといわれています。