今回は「弁天池」の「牛女」について紹介していきます。
弁天池とは兵庫県西宮市にある鷲林寺にある池です。
この地は歴史が深くルーツは織田信長の時代まで遡ります。
それを踏まえて今回は「弁天池の牛女」について紹介していきたいと思います。
弁天池のある鷲林寺は歴史が深かった
真言宗の寺院であり開基は弘法大師(空海)とされ、天長10年(833年)に建立。
織田信長に反旗を翻した荒木村重の乱の際に焼失しました。(この時の兵火から逃れた僧侶が有馬温泉で宿を開いたという伝説も残る)。
その後小堂で本尊を護り、昭和時代になってから復興したのでした。
引用:日本伝承大鑑
弁天池の伝説
この地には「牛女」という伝説が残っています。
牛女とは、頭は女で体が牛という何とも不気味な得体の知れない何かのことを指しています。
しかし、この伝説は語る人によっては伝説の内容に多少のずれがあるため二つ紹介したいと思います。
それに加えてもうひとつ面白い伝説を発見しましたので紹介いたします。
牛女の伝説①
時代は戦国時代まで遡ります。
織田信長勢に追われていた城主の姫が助けを求めこの寺に逃げ込んだものの、敵勢により放火されてしまいあまりの熱さに姫は池に身を投げたという話です。
今でも深夜の丑三つ時にこの場所に来ると牛の蹄の音が階段を上がってくるというミステリースポットとして知られているのです。
牛女の伝説②
先ほど同様、時代は戦国時代まで遡ります。
織田信長がまだこのあたりの地域を支配していた時の時代。
反発した戦国大名への見せしめとして寺に火をつけ、あまりの熱さに耐えかねた娘が弁天池に身を投げたという話です。
牛女以外にも伝説がある
この寺には「武田信玄の墓」と伝わる七重石塔があります。
しかし、その場所は寺からかなり離れていて、なぜこの場所に作ったのかは不明のままです。
しかも、その様式の石塔は鎌倉時代に作られたものと推測されたのです。
武田信玄が亡くなったのは1573年5月13日で死因は結核でした。
このように考えると墓が作られた年代と武田信玄が亡くなった時代の辻褄が合わなくなるのです。
案内板に記されていること
弁天池の寺とすぐ近くの甲山の寺は入り口の説明文を読むと戦国時代、沢山の
堂宇と僧兵を抱える宗教武装集団だったようだ。信長が石山本願寺を目の敵
にしているのを見て荒木村重と組んで信長軍と激突したそうだ。
結局、多勢に無勢。両寺は信長軍に包囲、放火され廃寺になったらしい。
寺の跡地の池に夜な夜な村重の娘の幽霊がでて村人を怖がらせたので
釣り鐘を池に沈めて娘の霊を封印したとある。
弁天池の怪奇現象
この地の祠を午前2時に反時計回りに3回回ると帰り道に「カツ・・・カツ・・・」と牛の蹄(ひづめ)の音が聞こえてきて振り返るとそこには「頭は女で体は牛」の牛女が追いかけてくると言われています。
正体は先ほど紹介して通り、織田信長勢に命を狙われていた城主の娘だと言われています。
この伝説は昔から語り継がれていますが、実際にこの池を訪れた人は人が死ぬほど深い池ではなかったと言われています。
しかし、歴史が深い場所であるのは確かだが、その地は雰囲気がある場所なので長居する人はあまりいないんだとか・・・
まとめ
いかがだったでしょうか?
この地には戦国時代から続く面白い伝説がありましたね。
最後におさらいをしましょう。
戦国時代に敵勢から追われ火を放たれ熱さに耐えかねた娘が池に身を投げた。
その後、牛女として人々を驚かせている。
深夜の丑三つ時にこの場所に来て、祠の周りを三周するとこの牛女は現れる
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溜池の「水抜き」のボランティアをしたことがあります。水田に水を引く溜池は2-3年に一回
水抜きしないとすぐに泥やゴミが溜まって水深が浅くなり貯水量が極端に減り放置すると草だらけの
沼地になります。「弁天池」も今も「池」としてあることから信長時代は溺死に十分な水量があったと推測されます。