ヨーロッパを中心に全世界を巻き込んだ第一次世界大戦は、現在でも歴史を語る上では欠かせないテーマとして挙げられている。
もちろん、このことは日本人であれば誰でも知っていることであり、そのきっかけがオーストリア皇太子の暗殺というサラエボ事件であるということも知っているはずだ。
しかし、実はそれだけが原因では無いということをご存知だろうか。
今回は「死の商人」や「第一次世界大戦を引き起こした男」など呼ばれる「バジル・ザハロフ」について紹介する。
貿易商人かツアーガイドか客引きか
バジル・ザハロフは、1849年にトルコ(当時はオスマン帝国)で、ギリシャ商人のもとに生まれた。
少年になった彼は、イスタンブルにて貿易商を営んでいた叔父のもとで働いた。
しかし、他の情報によるとツアーガイドとしても働いていたようだ。
また、他の情報によると売春の客引きだったという情報もあり、どうやら様々な仕事を行っていたと思われる。
このような生活は長く続くことはなく、彼は貿易商としての資金を横領しイギリスの首都であるロンドンへ逃亡。
結局のところ逮捕されてしまうものの、裁判では正当に受け取るはずたった利益の一部だったと主張した。
早くも見え始めた死の商人としての顔
横領事件にケリを付けた24歳のザハロフは、アテネへ移動。
そこで知り合った政治ジャーナリストから、軍事企業であるノルデンフェルト社のアテネ支店主任のポストを紹介された。
政治ジャーナリストがザハロフを推薦した理由は、彼が持つ巧みな雄弁術を評価したためと言われている。
当時のギリシャでは、ロシアとオスマン帝国の戦争が終わった後の影響で軍事拡大の機運が高まっていた。
しかし、当時は数多くの軍事企業がギリシャへの展開を目論んでおり、大規模とは言えなかったノルデンフェルト社はどうすればいいのか悩まされていた。
主任となったザハロフは、ここであるアイデアを思いつく。
それは、当時まだ珍しかった潜水艦を売ろうというアイデアだった。
以前から小型の潜水艇は使われていたものの、大型の潜水艦に関しては1860年代に発展していたものであり、また大きく世界に展開しているものでは無かった。
また、ノルデンフェルト社は独自で開発するほど潜水艦における分野ではトップクラスの技術を持っていた。
この潜水艦をギリシャ政府に売るというアイデアは大成功。
そんな成功の一方で、彼は密かに敵国であったオスマン帝国にも武器を販売していた。
実際、オスマン帝国海軍はノルデンフェルト社の潜水艦を購入しており、世界で初めて水中からの魚雷発射に成功。
オスマン帝国へ潜水艦を販売した時期は少し異なっているものの、この敵味方関係なく販売する潜水艦商売は、ザハロフの歴史を語る上で最も悪名高いものの1つと言われている。
ちなみにノルデンフェルト社を紹介した政治ジャーナリストはステファノス・スクルディスという人物であり、後に第34代ギリシャ首相になった。
軍事企業が渦巻く世界の中で
ノルデンフェルト社で成果を挙げたザハロフは、次にハイラム・マキシムに目をつけた。
ハイラム・マキシムは世界初の全自動式機関銃であるマキシム機関銃を開発した人物であり、マキシム社という軍事企業を立ち上げていた。
ザハロフはマキシム社を妨害して売れなくさせ、ノルデンフェルト社と合同会社にすれば莫大な利益が上がると画策。
マキシム機関銃のデモンストレーションは3回行われたものの、全てザハロフの作戦によって失敗した。
当時期待されていたマキシム機関銃は失敗によって全く売れなくなってしまい、作戦通りマキシム社はノルデンフェルト社と合併せざるを得なくなった。
合併によって生まれたマキシム=ノルデンフェルト社は、ザハロフを主力として積極的に機関銃を販売。
合同会社になった後、世界各国で機関銃は飛ぶように売れ、ザハロフは一気に大金を稼いだ。
後にマキシム=ノルデンフェルト社は、1897年にイギリスの軍事企業であったヴィッカース社に買収。
その際、ザハロフは代理人及び大株主として武器商人の権力をさらに高めていった。
第一次世界大戦はザハロフが原因?
ザハロフの活躍によって巨大化していたマキシム=ノルデンフェルト社を買収したヴィッカース社は、当時ヨーロッパにおける巨大軍事企業であったクルップ社やシュナイダー社などと肩を並べる存在になった。
そして彼らは、敵味方関係なく世界各国で膨大な武器を売り始めることになる。
既にマキシム機関銃を世界各国で売りさばいたザハロフは、ヴィッカース社の代理人という新たなステージで、ヨーロッパやアフリカ、南米へ武器を販売。
こうして着々と第一次世界大戦が引き起こされる準備が整ってしまった。
特にこの影響を強く受けたのがバルカン半島だ。
バルカン半島は様々な民族が済む地域であり、第一次世界大戦前は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるほど国際的に危険な状態であった。
そんな中、大量の武器がバルカン半島に供給されてしまい、さらに危機的状況に。
最終的に、1914年のサラエボ事件によって地獄のような第一次世界大戦が勃発。
第一次世界大戦の勃発は様々な要因があるが、その1つとしてザハロフの暗躍がある。
また、ザハロフは自分で立ち上げた諜報機関を通じて第一次世界大戦を引き伸ばすように世界各国へ工作していたという話もある。
そのようなことを考えると、ザハロフは「第一次世界大戦を引き起こした男」というよりも、「第一次世界大戦を引き伸ばした男」と言うべきかもしれない。
おまけ情報だが、日本の軍事業界にも手を伸ばしており、ヴィッカースへ発注した巡洋戦艦「金剛」を巡る賄賂事件(シーメンス事件)の背後にいたのではないかと推測されている。
イギリス政治に介入した影響で…
彼は自分の諜報機関を通じて、イギリスのロイド・ジョージ首相やトルコのハミド2世、ギリシャのヴェニゼロス首相などと緊密な関係を結ぶようになる。
特にザハロフとの関係によって苦しめられた人物がロイド・ジョージ首相だ。
第一次世界大戦が終戦した後、トルコとギリシャの戦争が勃発。
トルコ軍はギリシャ軍に勝利し、中立地帯としてイギリス軍が守っていたチャナクという地域まで攻撃しようという姿勢を見せていた。
この動きに対し、ロイド・ジョージはトルコに対して軍事的に脅迫。
脅迫は成功したものの、「国が疲弊している時にまた戦争をしようとしている」と国民から非難されて退陣に追い込まれた。
この退陣までの動きを影で操っていたのがバジル・ザハロフと言われている。
バジル・ザハロフはロイド・ジョージの側近と言えるほどの関係を結んでおり、自分の思い入れ深い土地であるためなのか、ギリシャを守るためにロイド・ジョージに対してギリシャ援助をすすめた。
この結果、ロイド・ジョージは退陣する羽目になった。
しかし、ロイド・ジョージの背後にいたザハロフもイギリス議会で追求されてしまい、業界から引退。
最後はモナコで晩年を過ごすことになった。
ロスチャイルドとの関与は本当なのか?
バジル・ザハロフの歴史では、ロスチャイルドが関与することがある。
都市伝説ではお馴染みのロスチャイルドであるが、実際ザハロフとの関連性はあったのだろうか。
「ロイド・ジョージをザハロフと一緒にロスチャイルドが操っていた」という意見もあれば、「マキシム社とノルデンフェルト社を合併させる時にロスチャイルドが関与した」という意見もある。
都市伝説好きであれば前者を支持したくなるかもしれないが、英語版ウィキペディアでは後者しか記載されていない。
どちらにしても、バジル・ザハロフとロスチャイルドは何かしらの関係があったことということは言えるだろう。
神秘の男バジル・ザハロフ
今回はバジル・ザハロフの歴史について紹介したが、今なお具体的な歴史が判明していない部分もある。
死ぬ直後には日記といった自分に関する資料を燃やしており、その上所属していたヴィッカース社の重役名簿にも記載されていない。
そのような謎多き人物であるため、彼は「死の商人」とは別に「神秘の男」とも呼ばれている。
バジル・ザハロフは第一次世界大戦の軍事業界を語る上では欠かせない存在であるが、ハッキリと彼の正体が分かるのはまだまだ先の話なのかもしれない
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https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/671.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/デビッド・ロイド・ジョージ#政権崩壊
https://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/81b377e29c15de433b1f54fb04a1dcc1
https://en.wikipedia.org/wiki/Basil_Zaharoff
https://ja.wikipedia.org/wiki/バジル・ザハロフ
荒井 政治著(1981) 「イギリスにおける兵器産業の発展 : 第1次大戦前の ヴィッカース社を中心に」『關西大學經済論集1巻2号』