白い死神と呼ばれたリアル・ゴルゴ13!シモ・ヘイヘ

第二次世界大戦で活躍したスナイパー、シモ・ヘイへは、舩坂弘ハンス・ウルリッヒ・ルーデルとともに3大リアルチート軍人と一部では呼ばれています。故郷ではその戦果を『コッラーの奇跡』として現代まで語り継がれていますが、その当時敵軍だったソ連(現ロシア)からは『白い死神』・『災いなす者』と恐れられ、日本ではその業績と所属から『リアル・ゴルゴ13』とまでいわれているんです。

狙撃手であったシモ・ヘイへがなぜそこまで恐れられたのか、彼のことを今初めて知ったという人は不思議に思うでしょう。彼の狙撃率は100%で戦車や戦艦までをも撃沈し、たった約100日間で約500人以上の敵兵を倒しているんです! 

今回は人類史上まれにみるスナイパー、シモ・ヘイへに迫っていきたいと思います!

シモ・ヘイへはごく普通の一般人だった

出典:infoescola.com

シモ・ヘイへはロシアとフィンランドの国境付近にあるラウトヤルヴィという小さな町で生まれ育ちました。軍人の家系というわけではなく、兵役に就く前は農民としてそして猟師として生計を立てていたんです。一度兵役に就いたものの義務を果たした後は予備役とされていましたが、猟師として日ごろから銃を使用していたのもあってか地元の射撃大会では入賞を果たしているほどの腕前でした。 

余談になりますが、日本では『シモ・ヘイへ』と発音しているのが一般的な彼の名前、フィンランドの発音にすると『シモ・ハユハ』または『シモ・ハウハ』と発音するそうですよ。

小柄で冷静で物静な人物像

出典:Wikipedia「シモ・ヘイヘ」

敵軍から恐れられたシモ・ヘイへの身長は154cmと小柄で、その人物像はとても落ち着いていて、つつましい性格だったといわれています。戦後はインタビューなどにも応じていますが、聞かれたことだけに答えるだけで多弁にはならなかったとか。自分自身のことについて、周囲にあれこれ話すタイプではなかったようですね。寡黙なところもリアル・ゴルゴ13といえるでしょう。

武器はモシン・ナガンM28

100日間の戦闘で彼が使用していたのは、敵である軍ソ連が開発していたモシン・ナガンM1891を改良して作られた『モシン・ナガンM28』120cm以上もの長さがある銃でしたが、彼は自分の手足のように扱っていたと伝えられています。『殺戮(さつりく)の丘』で使用したサブマシンガンは、『スオミ KP-31』です。

彼の目覚ましい活躍が知られるようになると、彼専用に調整された特性のモシン・ナガンを与えられ戦場で戦うことになるのでした

「白い死神」と恐れられたシモ・ヘイへの戦績

一度は予備隊員として軍を離れたものの、フィンランドの防衛の要となった『冬戦争(1939~1949年)』で、予備役兵長として招集されることに。カワウ中隊(フィンランド国防陸軍の第12師団第34連隊第6中隊)に配属、故郷に近いコッラー川で防衛任務をこなすことになりますが、このときの指揮官は『モロッコの恐怖』として名高いアールネ・ユーティライネン中尉と、なかなかの組み合わせ。

シモ・ヘイへの能力を最大限に発揮すべく狙撃兵として任務を与えていなければ、歴史は変わっていたかもしれません。シモ・ヘイへはアールネ・ユーティライネン中尉の期待に見事応え大活躍しましたが、敵から畏怖の対象とされた実話や戦果には次のようなものがあります。

シモ・ヘイへの驚異の戦績
  • スコープを1度も使用していないにもかかわらず100%の狙撃率
  • 敵軍のスコープの反射で相手を発見し撃退
  • 約150mから16発/1分という射撃に成功
  • 300m以内は確実に頭部を撃ち抜き、最長450m以上から狙撃を成功させる
  • 戦車や戦艦の大砲を狙い撃破してしまう
  • サブマシンガンを使用した『殺戮の丘』の戦いでは、記録上に残っているだけで200人以上の敵兵を殺害
  • 戦闘開始から約100日で敵兵を約542人狙撃、うち138人はたったの5日間
  • ソ連軍スナイパーに狙撃され意識不明になるも終戦直後に意識を取り戻し、兵長から少尉という5階級特進の栄誉を授かる
  • 本人は軍に復帰を望むもかなわず、猟師としてそして猟犬のブリーダーとして成功を収める

「白い死神」と言われた理由

シモ・ヘイへが『白い死神』と呼ばれていた理由ですが、その戦果だけでなく戦闘中の装備品も関係しています。 現代の軍隊では戦場や季節に合わせた迷彩服が各国それぞれの仕様で作られていますが、当時も戦場で敵に見つかりにくいような戦闘服を身に着け戦っていたんです。

真っ白な雪に包まれた極寒の土地で、敵軍に見つからないようフィンランド軍は真っ白なギリースーツを身に着けていたため、敵から発見されにくいという特徴がありました。このギリースーツを身に着け、精度を高めるためのスコープをつけず裸眼の状態で敵軍を100%の的中率で狙撃したという活躍ぶりから、『白い死神』と呼ばれるようになったんです。

しかもシモ・ヘイへが狙撃して敵兵が倒れてから銃声が聞こえたという速さで撃ち抜かれていたため、雪に覆われた真っ白な世界でどこからともなく銃撃されるソ連軍の恐怖は想像を絶するものだったでしょう。

戦車・戦艦ですらシモ・ヘイへを倒すことができない!

シモ・ヘイへの驚異のスナイパー力に悩まされていたソ連軍ですが、黙っていたわけではありません。当然あちらもスナイパーで対応しようとするもスコープに光が反射し所在がバレ、撃退されてしまいます。

兵士ではだめだと今度は戦車を向かわせるも、シモ・ヘイへは操縦士ではなく砲台の中に狙いを定めることで搭載している弾丸を爆破させ戦車を破壊、さらに戦艦で狙われるもこちらも砲台を狙うことで撃退することに成功しているんです!

しかしそんな彼の活躍の最後はソ連軍兵士に狙撃され、その銃弾でアゴが粉砕されるという状態で幕が降ろされます。

ソ連兵に狙撃された当時は死亡説が流れていた

1940年3月に、シモ・ヘイへは敵のソ連軍兵士によってアゴを撃ち抜かれ意識不明の重体に陥ります。友軍に救出されるも、「頭が半分なくなっている」「顔が半分ない」というような誇張表現でケガが伝わってしまったため、一時死亡説が流れたほど。仰向けの状態だとアゴの出血により窒息する可能性があったため、病院へ運ぶときはうつぶせにしていたそうです。

死亡したと伝え聞いた仲間たちは病院でお葬式を開くも、その最中にシモ・ヘイへが生きていることに気付き適切な治療をおこなうことで、1週間後に意識を回復したものの、アゴの傷により一生涯消えることのない傷を負うことになります。

戦後は猟師・猟犬のブリーダーとして静かな生活を送っていた

アゴを撃たれて生死をさまようも、意識を回復した後は戦争へ参加することを希望していたシモ・ヘイへ。しかし意識を回復したときにはモスクワにおいて講和条約が結ばれた後で冬戦争は終わっていましたし、何度かアゴを手術する必要があたためその願いはかなうことはありませんでした。

終戦後には兵長から少尉に一気に5階級も昇進、コッラー十字章・第一級自由十字褒章を授与されるものの、その後の戦争には参加していません。

もともと生計を立てていた猟師として、また猟犬のブリーダーとして静かな余生を送っています。第8代フィンランド大統領のウルホ・ケッコネンとともに狩りを楽しんだこともあるそう。

フィンランドの英雄として愛されていたシモ・ヘイへ

出典:Wikipedia「Simo Hayha」

故郷では英雄として語り継がれているシモ・ヘイへですがやはり老いには勝つことができず、2002年4月1日に96歳でこの世を去りました。

彼の偉業を語り継ぐため、そして悲惨な戦争を忘れないためにシモ・ヘイへの故郷では『コッラーとシモ・ヘイへ博物館』が建設されて、当時の様子を今に伝えています。

フィンランドの偉人ランキングでは100位以内に入る

シモ・ヘイへが亡くなった2年後に、フィンランドの国営放送で『フィンランドの偉人』という視聴者参加型のランキングが発表されたのですが、このランキングでシモ・ヘイへは総合で74位、軍人としては3位に選ばれました。

ちなみにこの投票では軍人では総合1位にカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム、全体52位にラウリ・アラン・トルニが選ばれています。

コッラーとシモ・ヘイへ博物館

シモ・ヘイへの生まれ故郷・ラウトヤルヴィに『コッラーとシモ・ヘイへ博物館』が作られているのをご存じでしょうか。この博物館では、シモ・ヘイへが当時実際に使っていた『モシン・ナガンM/28』が展示され、彼が冬戦争について書きつづった手記も資料として保管されているんです。

こちらの博物館は春・秋はグループでの来館希望者向けにガイドツアーを催していますが、夏は一般客に向けて解放しているので、訪れる際は開館しているか確認しておく必要があります。

2019年に徒歩でシモ・ヘイへ博物館を訪れた日本人がいる

日本では当時話題になることはなかったものの、2019年8月20日に中日フィンランド大使館の公式Twitterが、シモ・ヘイへ博物館を目標に、ヘルシンキからお遍路スタイルで約300キロという長い道のりを歩いた72歳の男性・ササヤママサトシさんについてツイートしていました。

このササヤマさん、シモ・ヘイへが好きというのではなく、日本のスナイパー漫画で有名な『ゴルゴ13』を読んでスナイパーに興味を持ったとか。その流れでシモ・ヘイへ博物館を訪れようと思ったそうです。

当時シモ・ヘイへ博物館は休館日だったようですが、ササヤマさんの到着を知って特別に博物館を開けて歓迎してくれたうえお土産に薬きょうをプレゼントされたそう。

シモ・ヘイへ博物館のある町は住民約3,000人と小さな町で、ササヤマさんの到着が一大ニュースとなり歓迎パーティまで開かれています。さらに到着する前の週にシモ・ヘイへの名前の付いている「フィンランドスナイパー選手権」の参加者が、ササヤマさんに敬意を表すためにお辞儀をしている動画をインスタグラムに投稿しています。

意外なところで日本とフィンランドの交流が行われていたんですね。

日本の漫画やライトノベルでシモ・ヘイへが登場する作品

フィンランドの英雄ともなれば当時の話などが漫画化されてそう、と思うかもしれませんが…。

日本でシモ・ヘイへが登場する作品は、その特異的な能力をターゲットにした異界ものや、シモ・ヘイへの能力を身につけた人物が戦う異能ものが多いです。

リィンカーネーションの花弁

リィンカーネーションの花弁 1巻 (ブレイドコミックス)

こちらの作品はアインシュタインや柳生十兵衛、舩坂弘などといった歴史上の偉人や犯罪史上にその名を遺した犯罪者たちの能力を身につけた者たちが戦う漫画。

作品中に登場するシモ・ヘイへは主人公の味方で登場しますが、性別は女性となっています。1966年にアメリカの大学で発生した「テキサスタワー乱射事件」の犯人、チャールズ=ホイットマンの能力を持つ相手と戦闘ののち、ベトナム戦争で活躍したアメリカ海兵隊所属のスナイパー、カルロス・ハスコックの能力を持つ相手と死闘を繰り広げます。

終末のワルキューレ

終末のワルキューレ 1巻 (ゼノンコミックス)

こちらは人類の存続について、滅亡させようと考える神々と存続させようとする戦乙女(ワルキューレ)が、それぞれ選出した人間の英傑を戦わせるという漫画。 

この作品では呂布奉先や佐々木小次郎、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル、ヴラド三世、ジャック・ザ・リッパー、アンドレイ・チカチーロなど武人や殺人犯などが入り乱れ戦士としてランダムで選出されています。この記事を執筆している2020年4月中旬現在、まだシモ・ヘイへは登場していませんが、2019年11月に登場を示唆するイラストが公開されているので要チェック!

氷風のクルッカ 雪の妖精と白い死神

氷風のクルッカ―雪の妖精と白い死神

冬戦争が舞台のミリタリー小説ですが、主人公がシモ・ヘイへというわけではなく、ヴェナヤ軍の打倒を誓った少女が男性として軍に入隊し、シモ・ヘイへと出会いともに戦うというストーリーの作品です。

まとめ

故郷では英雄として語り継がれている『白い死神』、シモ・ヘイへ。彼の偉業が際立って目立ってはいるものの彼の上司もリアルチートレベルな能力の持ち主ですし、彼以外にも優秀な伝説クラスのスナイパーは各国の軍隊にいました。

シモ・ヘイへについて今回は簡単にご紹介する形となりましたが、よりリアルな当時の状況や彼の人物像を知りたいという人は、実際にシモ・ヘイへにインタビューして執筆された書籍などを読んでみることをおすすめします。

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