新潟県「大円寺」心霊スポット、観海上人の墓

 

新潟県新潟市中央区、柳都大橋のたもとに新潟県有数の心霊スポット真言宗豊山派「大円寺」あります。

そこのかつての住職が「観海上人」でした。すでに近代に突入していますが、その昔、観海上人は明治の人々の苦しみを一身に背負おう志を立て、即身仏になるために土中に入りました。

公開日:2019年10月8日 更新日:2020年2月2日

観海上人の墓

即身仏というスタイルは真言宗の教義にしかなく、仏教としては、かなり異端とみていいでしょう。

みずから進んで怪を成すのは、他の心霊スポットの成立とは若干事情が異なるようです。

新潟県の心霊スポット大円寺には樹齢何十年、もしかしたら何百年にもなるような立派な欅の大樹がそびえています。

ありふれた街の一角にあり、それがなければ見過ごしてしまうところです。

心霊スポットとは程遠い雰囲気のところです。


「永代供養」と書かれた細長い墓石の下が、観海上人の入定した場所になります。今でもその下に上人は眠っています。

「7年経過した後掘り返してほしい」とうのが上人の願いでした。

しかし期待は裏切られ、それが叶う事はありませんでした。

というのも、当時は墳墓発掘禁止令が発せられており、それを敢えて行えば、罪に問われてしまうからです。

ここで、いそいで補足しなければならないのは、上人が入定したのは明治11年、禁止令が発令されたのは明治元年です。
すったもんだがあったのかどうか知りませんが、上人は罪に問われる覚悟で即身仏になったわけです。

でも、火の粉が掛かるのは本人ではなく、寺の関係者たちです。

考えようによっては、今やなつかしくなった風船おじさんを彷彿としてしまうことも無きにしも非ず、です。

とはいえ、上人の覚悟を無にするのも酷な話ではあります。
もう死んでしまっているのだからと、無下にできないのも人情。

叶わなかった無念は、いかばかりであろうかと、ついつい推し量ってみてしまいます。

そんなやるせない人々の気持ちが、新潟県きっての心霊スポットに寺を押し上げてしまいました。
観海上人が現れるのです。新潟県における大円寺の心霊スポット化の始まりでした。

上人と思われる姿の目撃談が次々報告されるようになったのです。

心霊スポット現象その一、誰もいないはずの本堂から経文を唱える声が聞こえる。

心霊スポット現象その二、寺の敷地に観海上人の顔が浮かぶ。

心霊スポット現象その三、観海上人のウロつく姿が寺周辺で度々目撃される。

などなど。

新潟県に住む人々の願望か、はたまた本人の無念か。

そんな中、ようやく観海上が土の中から救出される日がやって来ました。約束の年より遅れること90年あまり。

年号も二度変わってしまった1976年(昭和51年)、TVの「水曜スペシャル」によって掘り起こされました。

現場では三日間ぶっ続けで作業が行われ、放送日時は11月02日でした。

しかし、ここでもまた悲劇が。心霊スポット現象に終止符を打つと期待されましたが、残念ながら上人のご遺体は即身仏、つまりミイラになっていませんでした。

骨として出て来てしまったのでした。この寺は新潟県信濃川のほとりにあり、また当時の新潟県の地図は、この区画には掘割があったのです。

即身成仏には最悪の土室でした。

1903(明治36)年の新潟県の古地図では道幅が広くとられていますが、1896(明治29)年の古地図には掘割が描かれています。

大円寺は信濃川と掘割の真っただ中にあり、湿気が多く地下水位も高かったと思われます。ちなみに、この堀割跡には、現在小さな空き地のような広場があります。

どうもこの上人さん、色々と詰めが甘いようです。不幸中の幸いというべきか、このような腐敗しやすい環境の中、頭蓋骨だけは完全な形を留めて出土しました。

その後、復顔術が施され手厚く供養され今に至っています。

以下は、新潟県「大円寺」の石碑に記された文言です。

「代受苦菩薩 観海上人
上人は湯殿山大日坊の塔中、
本覚院で生れ
明治2年大円寺の住職となる。
自ら即身仏と成り、
我々の苦しみを
代って受けようとの
大悲願を起す。
以来、難行苦行に励み、
五穀十穀を
断つこと二阡日。
ついに、明治十一年
八月廿四日
地蔵菩薩の縁日を期し、
生きながら土中に入る。
上人52歳の時であった。
南無代受苦大菩薩
南無観海大上人」

復元されたお顔は、上人が入定された8月24日の法会の時に限り、ご開帳されるそうです。

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