世界遺産に登録された大阪の古墳群…歴史の教科書にも載っている 大仙陵古墳 はとっても有名。
大仙陵古墳は日本最大の前方後円墳として知られていますが、大仙陵古墳がある中百舌鳥古墳群ってもう古墳だらけ!しかも、大仙陵古墳以外にも大きな古墳があるんです。
大仙陵古墳の規模がすごい!
教科書で見たことがある!前方後円墳の代表的な存在が大仙陵古墳です。
大阪府堺市にある大仙陵古墳は、とにかくでかい!のが特徴のひとつです。
大仙陵古墳の長さは525メートルで幅は39、8メートル!これが一人の人のお墓として5世紀頃に立てられたのですから、すごい規模です。
大きなお墓といえば、エジプトのピラミッドですが、クフ王のピラミッドの底辺の長さは230メートルですから、長さはピラミッド以上!大仙陵古墳は世界的に見ても大きなお墓ということができます。
大仙陵古墳の大きさを実感する方法の一つがGoogleearthですが、空から見ても「あ!古墳だ!」とわかる大きさがあります。
大阪府堺市が公表している三次元測量の値だと
古墳最大長:840メートル
古墳最大幅:654メートル
墳丘長:486メートル -> 525.1メートル
墳丘基底部の面積:103,410平方メートル -> 121,380平方メートル
後円部 – 3段築成
直径:249メートル -> 286.33メートル
高さ:35.8メートル -> 39.8メートル
前方部 – 3段築成
幅:307メートル -> 347メートル
長さ:237メートル -> 257メートル
高さ:33.9メートル -> 37.9メートル
引用 堺市ホームページ
という有り得ないサイズです。
大仙陵古墳の近くにも大きな古墳が!
大仙陵古墳の近くには、全国第2位の大きさの誉田御廟山古墳があります。大仙陵古墳が近くにあるせいで小さく見えますが、この古墳もかなりの大きさです。
誉田御廟山古墳の大きさは
墳丘長:約425メートル
後円部直径:250メートル
後円部高さ:35メートル
前方部幅:300メートル
前方部高さ:36メートル
引用 羽曳野市ホームページ
とこれまたなかなかの大きさ。
しかも、この古墳は地質が安定していないところと安定した地質をまたぐように作られています。実はこの古墳の真下を活断層が走っているそうです。この古墳の周りにも前方後円墳や円噴がたくさんあって、古墳だらけです。
大仙陵古墳を作るのにどのくらい時間がかかった?
日本最大の前方後円墳の大仙陵古墳は、ピーク時には2000人もの人が古墳を作る作業に従事したといわれています。それでも完成までには15年以上かかったのではないかと考えられており、重機などがない時代にこれだけの古墳を建設するのがどれだけ大変だったかが少し解ります。実際には並行してできる工程があるためもう少し工期は短かったかもしれないそうですが、いずれにしても大勢の人の労働力と時間がつぎ込まれたことは明確です。
どんな立場の人が古墳を作ったのか…それは解っていませんが、もしかすると奴隷のように働いていた人もいたかもしれません。
また、古墳にたくさん埋められている埴輪は生け贄として死者とともに埋葬される人の代わりに作られたもの…大仙陵古墳にもたくさんの埴輪が埋められています。
もともとは、高貴な人が死を迎えた場合は、埴輪ではなく人を生き埋めにしていたのですが、あるとき生き埋めにされた人の泣き声が聞こえたことがあったそう。そこで、人ではなく埴輪が作られて代わりに埋められました。
大きな古墳は権力の象徴でもあったわけですが、その権力を誇示するためにたくさんの人を働かせ、そして、人を生き埋めにしていた時代もあった…。そう考えるとちょっとぞっとしてしまいます。
当時の日本は、唐との関係を大切にしていたとも言われていますから、権力者が亡くなったときに大きな陵墓をたてることで国内だけでなく、外国にも力をアピールしたのかもしれません。
参考資料:日本の古墳の体積と築造に要した労働力
【日本の不思議】本当は恐ろしい、埴輪が古墳に置かれたワケ。日本にある巨大古墳の謎
まとめ
日本で一番大きな古墳としてとっても有名な大仙陵古墳は、規模も世界レベルの大きな墳墓です。
鍵穴のような特徴的な形は航空写真でみてもすぐに見つけられるほどの大きさで、7世紀頃に作られたモノ・・・権力を誇示するために建設されたと言われていますが、なぜこんなに大きな古墳が作られたのかはまだ解明されていません。
大崎だけでなくたくさんの埴輪に副葬品が埋葬されている大仙陵古墳ですが、その近くには全国大2位の大きさの誉田御廟山古墳もあります。堺市や羽曳野市は古墳だらけです。一度、グーグルアースで見てみるとその数にびっくりしますよ~。
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大仙陵古墳の大きさは2018年の宮内庁の3次元調査で水深4mまでの濠低出の墳丘長は525,1m、体積は210万立方メートルもあることがわかりました。しかし驚くべきことに濠低には1500年も堆積しているヘドロがあり、古墳の裾はヘドロの中に食い込んでいてヘドロは水の2倍以上8m以上もあることがわかり、墳丘の裾は針の豪低である、ヘドロの底にあり、墳丘の本体は630m、体積は380万立方メートルは最低でもあるといわれています。一方の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は古市古墳群のあり羽曳野市、藤井寺市は扇状地域にあるため雨が降らないと水はすぐに枯れます。誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の425m、体積143万立方メートルはカラの濠から図った体積で墳丘も体積も絶対に変化しません。面積は大仙陵古墳(仁徳天皇陵)46万7587平方メートル(ただしバイチョウとされるくっついている参考地を含めると53万平方メートルにもなる。これに対して誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は25万平方メートルと面積は半分以下だ。体積は最近の調査で水面上だけでも164万立方メートルと143万立方メートルの誉田御廟山古墳(応神天皇陵)を超えていることがわかり。濠低まで続いている墳丘は525,1m、体積は210万立方メートルと誉田御廟山古墳(応神天皇陵)もはるかに大きくなり、ヘドロの底本当の濠まで続いている大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の墳丘は、墳丘長630m、体積380万立方メートルと体積は誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の2,5倍以上も大きく秦の始皇帝陵300万立方メートル、ピラミッド260万立方メートルよりもはるかに巨大になる。大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の大きさには数字で表せられると改めて巨大さに驚く。