日本では戦後、毒による殺人事件(未遂や毒を扱う事件も含む)が約33件ほど起きています。
戦後70年と考えると結構頻繁に起きていると言っても過言ではありませんね。
当サイトでも紹介している「日本最大の未解決事件「グリコ・森永事件」の全容」もその毒による殺人事件に含んでいます。
今回はもうわかっている通り毒にまつわる事件を紹介します。
それが、1931年に毒殺された「ビューバート・チェヴィス」についてです。
この事件では、とある男が謎の人物にストリキニーネという猛毒を使用され、殺害された事件になります。
この事件に関して詳しく紹介していきたいと思います。
毒殺された「ヒューバート・チェヴィス」事件の全容
今回、事件の被害者となるヒューバート・チェヴィス(以下ヒューバートと略す)は、イギリス軍王位砲兵連隊の中尉という、軍ではかなり身分の高い場所にいました。
ヒューバートは殺害される約6ヶ月前に裕福な家の女性と結婚していました。
殺害される当日の夜に、ヒューバートは妻と友人達とお酒を楽しんでいました。
友達が帰った後に、ヒューバートと妻は自宅に料理人が作った料理を執事に届けさせます。
少しだけ早めの夕飯を楽しんでたのです。しかし、料理の中に入っていた「ヤマウズラ」を口にした瞬間、不味すぎて口から吐き出したのです。
その日の夜に、ヒューバートは痛みを伴う胃痙攣を起こし病院に搬送されます。
次の日の朝にヒューバートは死亡が確認されたのです。
その後
検死を行った際に、ヒューバートの胃の中から2粒のストリキニーネが発見されます。
他殺である可能性が高いと判断されたのです。
ヒューバートの葬式の日、ヒューバートの父親のもとにダブリンの「J.ハーティガン」と名乗る人物から「万歳!万歳!万歳!」という電報が届くのです。
そして、しばらく経った後再び父親のもとに同じ差出人名義で「本件の謎は解決不可能」と記された電報が届くのです。
実際に、この事件はいまだに解決に至っていないのです。
この事件で使用された毒物「ストリキニーネ」とは?
この事件で登場した毒物「ストリキニーネ」とは非常に毒性の強い毒物の一種です。
日本では毒物及び劇物取締法により毒物指定を受けています。
製造・輸入・販売・取り扱い、が厳しく規制されている。
許可を受けている者以外が無闇に使用、または所持をしていると逮捕される可能性が高い。
毒物は、大人がたった2g以下を誤飲しただけでも死に至るものを「毒物」と指定している。
劇物とは、大人が2〜20g程度を誤飲したら死に至る物、や刺激性が著しく高い物を「劇物」として指定している。
この毒物を使用すると主に以下のような症状が現れます。
・激しい強直性痙攣
・後弓反張(体が弓の方に反る)
・痙笑(顔筋の痙攣により笑ったような顔になること。破傷風の症状に類似している)
・筋肉の激しい痛み
・強い不安・恐怖
・最悪の場合、呼吸麻痺、乳酸アシドーシスで死亡
このように、痙攣症状が多いことが特徴です。
ドーピングにも使われていた?!
なんと、この猛毒がドーピングにも使われていたというのです!
かつては「ストリキニーネ」は興奮剤としてドーピングに用いれられていたのです。
有名な例を挙げるとすると、「1904年セントルイスオリンピック」にてマラソンで金メダルをとった「トーマス・ヒックス」が挙げられます。
ストリキニーネによる運動向上能力はないとされているが2020年現在でも世界アンチドーピング機構により禁止薬物指定を受けているのです。
まとめ
以上が「ヒューバート・チェヴィス」の一連の事件です。
このような猛毒で苦しみながら殺されると考えたら恐ろしいですよね。
犯人の行動はそれだけにはとどまらず、遺族に挑発的なメッセージを送りつけると言ったサイコパス的な一面も見ることができましたね。
本当に恐ろしいのは幽霊ではなく人間だということがよくわかる事件でしたね・・・