数多くの埋蔵金を残したとされる人物が武田信玄です。
今回紹介する穴山梅雪の埋蔵金とは武田信玄の埋蔵金伝説の一つとして考えられています。
武田信玄の「牛の金鉱」黒川金鉱というものがあります。
この黒川金鉱から金を算出し、財力をバックに、信濃、駒河、西上野、遠江と勢力圏を広げていきました。
そして、戦略道路「棒道」を作ります。その各所に軍資金を分散して埋蔵したといわれています。
穴山梅雪とは?
武田信玄の姉の子で勝頼とは従兄弟の関係にあるのが穴山梅雪です。
勝頼の軋轢から離反を決意した穴山梅雪は、棒道の軍用金を独断で移し替えてしまったのです。
最終的に、穴山梅雪は土民に襲われ命を落としてしまいます。
[amazonjs asin=”4591154807″ locale=”JP” title=”戦国人物伝 武田信玄 (コミック版日本の歴史)”]発見された古文書とは?
穴山梅雪の子孫がとある古文書を発見します。
この発見が穴山梅雪埋蔵金伝説の始まりでした。
そこには、このように記されていました。
「隠し湯の湧きて流る 窟穴を、のぼりて指せや……」
この文を解くと、山梨県の南巨摩郡身延山付近というところまで特定することができたのです。
それによると、身延山から下部温泉、本栖湖、樹海を得て、「一枚岩の洞穴」という場所に埋められているということだそうです。
他にも、「隠し湯」「「窟穴」「一枚岩」「洞穴」といったキーワードも残されているのです。
隠し湯とされているのは南巨摩郡の温泉、富士川には一枚岩があり、これも武田信玄の洗濯板と呼ばれることから、身延山付近に埋蔵されているのではないかと推測されているそうです。
巨額の埋蔵金の額
今と昔はお金の概念も価値も全く異なるため、昔の金額を今の金額に例えることは難しいですが、ざっと現在でいうと数千万円~数億円にも上るそうです。
現在の額で最高数億円にまで上がると考えると、当時の財政状況から見るとかなりのお金持ちで財力を持っていたことがうかがえますね。
まとめ
いかがだったでしょうか?
武田信玄には多くの埋蔵金伝説が言い伝えられていて、その中の一つが穴山梅雪の埋蔵金伝説です。
埋蔵金の価値は、主に金と銀の相場で決定されます。
そのため、相場は変動することがあるし、古銭には付加価値がつくため、現在ははっきりと定まった金額がいうことができないのです。
話が変わってしまうのですが、もし、あなたが近所の土を掘り、その中から埋蔵金が出てきたとしたら、黙って持っていくことはやめましょう!
「拾得物横領罪」として罪に問われてしまいます。
しっかりと、警察に報告することによって、埋蔵金の増額の5~20%を受け取ることができます。
もし、発見した埋蔵金が文化財に指定された場合、国から「報償金」としてお金が支払われる場合があるそうです。
見つけたら、盗むよりしっかりと報告するほうが、儲けられるかもしれませんよ?