https://pixabay.com/photos/ireland-newgrange-burial-mound-698199

今年に入って、大阪府の百舌鳥古市古墳群が世界遺産に登録されて、古墳が注目されています。

古墳は意外なほど、身近にあるもの…地域によっては古墳が観光スポットになっていたり、公園になったりすることもあります。

そんな身近な古墳にまつわる古代ミステリーをご紹介します。

公開日:2019年9月8日 更新日:2020年1月12日

日本の古墳は「古いお墓」

もうみなさんご存知だと思いますが、古墳は古いお墓です。

権力者が亡くなったときに、その権力を示すものとして大きなお墓である古墳を作って埋葬したと言われています。つまり、普通の一般市民のお墓ではなく、古墳になって残っている=権力者だったということになります。

世界には権力者の権力を示すための大きなお墓がたくさん残されています。

エジプトのピラミッドも大きなお墓…。

日本でもっとも大きな古墳の仁徳天皇陵古墳は長さ840メートル、幅は654メートルという超巨大古墳。

グークルアースで見ても「あ、ここだ」とすぐに解るほどの大きさです。

そして、なぜ古墳が注目されるのか…。それは数々の埋葬品から当時の生活や文化を垣間見ることができるからです。

決して、マッドサイエンティストの趣味嗜好で墓を荒らしているとか、墓を掘り起こして復活の儀式をしている、というものではありません。

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古墳からは様々なものが出土します。

鏡や太刀、ガラス杯などなど…そして、埴輪も古墳の副葬品のひとつです。

日本の古墳にあった埴輪は生贄の変わりだった?

埴輪は、古墳時代特有の素焼で作られた焼き物なのですが、古墳の副葬品によく見られるものです。

巨大古墳ともなると、埴輪の数も膨大です。先ほどご紹介した、仁徳天皇陵古墳でもなんと3万本もの埴輪が出土したのです。

埴輪には実は色々な種類があって、大きく分けると円筒埴輪と形象埴輪の2種類に分けられます。円筒埴輪はその名の通り筒のような形をしていて、埋葬場所になる古墳を聖域として区切るために使用されていたそうなんです。

画像引用元:埴輪

そして、もうひとつの形象埴輪は、人物埴輪、動物埴輪などです。

もしかすると、ちょっと嫌な予感がしてきた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

実は、日本古代のぞっとするエピソードは、この形象埴輪に隠されています。

そもそも、太刀や鏡などと一緒になぜ、埴輪を埋葬したのか不思議だと思いませんか?そもそも3万もの埴輪を作るだけでもかなりの作業になるはずです。

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実は、形象埴輪はあるものの変わりに古墳に埋めるためのものだったと、言われているんです。もちろん、埴輪の役割には諸説あるのですが、その一説によると、埴輪は生贄の変わりだったそう。

昔は、権力者が亡くなると、近親者や家来、馬などを一緒に埋葬するという習慣があったそう…もちろん、生きたままですよ

早い話が生き埋めにされるという話しです。

ですが、あるとき、いくらなんでもまだ生きている人を亡くなった人と一緒に埋葬するのは良くないと思ったのでしょう。

そこで、人を埋める代わりに、人の形をした埴輪を作って代わりに埋めるようになったというんです。

日本の古墳に埋められる埴輪ができる前は…

埴輪は生贄の代わりだったという説があるわけですが、代わりに埋めるということは、その前は生きている人を埋めていたということ…。

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ちょっと想像してみましょう。

時代の権力者が何らかの理由で命を落とします。そうすると、お墓である古墳を作るわけですが、家来や近親者などは権力者と一緒に埋葬されるのが通例…。つまり、古墳が出来ていく過程でまだ元気なのに「自分も一緒に埋葬されてしまう」という恐怖心と闘っている人が少なからずいたということなります。

自分が偉い人に使えていたら、どんなに元気でも主人が亡くなるとそこで自分の命の期限が見えてしまうわけです。そして、埴輪は、子供の生贄の代わりだったのではないとという説もあるそう。

つまり、古墳に子供を生贄として埋葬していた時代があったということです。

これは、殉死という考え方で、実は日本書紀にも権力者が亡くなったときに近親者や家来を一緒に埋葬してしまうという精度があったという記録が残されています。

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この殉死のシステムは、実に悲惨なものだったのでしょう。

日葉酢姫命という皇后が亡くなった時に、この殉死の制度の悲劇をなくしたいと思った当時の天皇が「生きた人の代わりに埋めるもの」として埴輪を作らせたのだそう。

つまり、その前までは権力者が一人亡くなると何人もの関係者が生きたまま埋葬されていたというんですから恐ろしい話しです。

天皇が「心を痛めるほど」の悲劇があったという殉死…。

共に埋葬される人がどんな心境だったのかは、想像することしかできませんが、死が怖くないという人はいません。ましてや、いつ自分が生き埋めにされるかが解っているんですから、残酷な話です。

生き埋めにされる日をただただ待っている人と、その周りの人。一体どんな心境だったのでしょうか。

日本の古墳に関する記事のまとめ

画像引用元:古墳

古墳に埋められている副葬品のひとつの埴輪…テレビや画像で見たことがあるという方も多いことでしょう。

ですが、この埴輪は実は「権力者が亡くなると近親者や家来を一緒に埋葬していた」という殉死という恐ろしい制度の名残だったのです。
天皇の命で、廃止された殉死ですが、その代わりに埋められたのが素焼きの埴輪でした。天皇が心を痛めるほど残酷だった古代日本の殉死…。

歴史を考えるとき、少しだけ、その当時の人の事を思ってみてもいいかもしれません。

空白の日本史

実は、日本の歴史上において空白とされている期間があり、古墳が巨大化していった理由はこの空白の期間に隠されているとも言われています。

その空白の期間とは4世紀前後の頃であり、邪馬台国や卑弥呼などが存在していたと言われる頃です。

日本の古墳はこの時期に急激な変化を見せていますが、これらの理由については未だに日本史上のミステリーとされています。

しかし、本記事でも紹介した仁徳天皇陵古墳は現在も立ち入りや調査が出来ない状態にあるのです。

これらの調査が出来ない理由は定かではありませんが、日本の皇室に関わる秘密が隠されているとも言われています。

世界遺産登録もされているにも関わらず、発掘調査が出来ない理由とは一体・・・・。