愛媛県には多くの処刑場跡が残されています。江戸時代の「伊予八藩」と呼ばれた8つの藩それぞれに処刑場あったからです。

今ではすべて心霊スポットとなっており、コチラの記事では7つの処刑場跡にまつわる心霊スポットを紹介しました。

今回はその中でも最恐と噂される心霊スポット、「衣山処刑場跡(松山刑務所墓地)」についてお話します。

処刑場跡に作られた墓地というだけでも恐ろしいのですが、ここではかつてキリシタン弾圧が行われていました。キリスト教徒というだけで多くの無実の人が首を斬られた、闇の歴史をもつ心霊スポットなのです。

今回は愛媛県の心霊スポット「衣山処刑場跡(松山刑務所墓地)」について紹介します。またその背景にあった日本のキリシタン弾圧に注目し、歴史的視点から心霊スポットを読み解いてみたいと思います。

愛媛県の心霊スポット:松山刑務所の墓地は「衣山処刑場跡」に作られた?

愛媛県松山市にある松山刑務所の墓地は、心霊スポットといわれています。刑務所所轄のため、バリケードに錠が下ろされ中に入ることはできません。

ただし囚人やその家族、また刑務官や近くに住み人からは、さまざまな心霊現象が語られています。

  • 処刑場跡で大きな黒い影がよぎるのを見た。
  • 処刑場跡には女の幽霊が出る。
  • 車のバックミラーに得体の知れない何かが映る。
  • 窓ガラスにベタベタ手形がつく 。
  • 閉じている扉の先の階段に男が立っている。しかし、決してそれに話しかけてはいけない。

ある人がこの付近へ引越そうとしたら、年配の人からこう言われたそうです。「衣山はその昔処刑場だったから、住むのはよした方がいい」と。

江戸時代の衣山には、松山藩の処刑場が置かれていました。 またそこは、かつて浦上キリシタンが葬られた地でもありました。

松山刑務所墓地に残された処刑の記憶

墓地の門には「当所は、松山刑務所所管の墓地につき許可なく立入りを禁止します」と書いてあります。

柵の前後に石碑があり、前のものには「更生の途上むなしく仏れたる み魂よかめく懺悔 衣山……(達筆により判読不明)」とあり、後ろのものには「浄……(達筆により判読不明)」とあります。

心霊スポットの中には入れませんが、門の先に階段があり、その上にまた石碑が立っています。木々が邪魔してよく見えませんが「~~合葬の墓」と書いてあるようです。無縁受刑者の墓と思われます。裏に回って見ると、供養塔が不思議なところに建っており、奥には古井戸も確認できます。

衣山処刑場跡から近い所に、「衣山地蔵堂」があります。せまいお堂の中には、右にお地蔵さんが四体、左に石碑が置かれています。このお堂は、衣山処刑場跡の供養塔だとされています。

地蔵はその形状から、首のない首切り地蔵だと思われます。

江戸時代から150年が経った今でも、処刑場としての痕跡がいくつも確認できます。しかし本当に恐ろしいのは、かつてこの地で行われたキリシタンの弾圧です。

歴史で読み解く心霊現象スポット:愛媛県はキリシタン弾圧の地?

キリシタン弾圧……キリスト教の禁止、及びキリスト教徒への迫害といえば、江戸時代の長崎が有名ですよね。

1622年には宣教師25人が火あぶりで殺され、キリシタン31人が斬首されるという「元和の大殉教」があり、踏み絵や熱湯を使った拷問で、キリスト教徒をあぶりだしました。

キリシタン弾圧が加速した1867年、長崎で大規模な隠れキリシタン摘発事件「浦上四番崩れ」が起きました。その時政府に捕らえられキリスト教徒の内、愛媛県の松山に流罪された人々がいました。彼らが浦上キリシタンと呼ばれた人たちです。

その後明治政府は、欧米列強からの強い非難によりキリスト教禁教を終了。愛媛県松山に隔離されていた浦上キリシタンたちも解放されました。

しかしこの時彼らの口から語られたのは、約3年半の拷問と囚人としての生活でした。8名のキリシタンは赤痢で死亡しました。彼らの遺体は衣山に葬られましたが、場所は特定されていません。

また、愛媛県下で唯一記録のあるキリシタンの殉教事件、「ヨハネ柳屋九兵衛」もこの衣山で処刑されたといわれています。

そんなキリスト教徒の無念が渦巻いている処刑場跡地ですから、心霊現象が起こるのも当然でしょう。

しかし日本政府、及び江戸幕府はどうしてここまで残虐な手段を用いてまでして、キリスト教を禁止したのでしょうか。

キリシタン弾圧のきっかけは、日本人が奴隷として売られるのを防ぐため?

日本ではじめてキリスト教徒の弾圧を行ったのはあの豊臣秀吉です。1597年に起こった「日本二十六聖人殉教事件」で26人のキリシタンを処刑しています。

このとき「バテレン追放令」を出してキリスト教を禁止したのですが……そこに禁止の理由が書いてあります。

「一、大唐・南蛮・高麗へ日本人を売り遣わし候こと、曲事たるべきこと。付けたり、日本において人の売り買い停止のこと。」

バテレン追放令 第10条より

なんとキリスト教宣教のイエズス会は、「日本人奴隷は神の恩寵」として外国へ売り飛ばていたのです。これが秀吉の逆鱗に触れました

学校で習うのは、幕府がキリスト教の勢力やクーデターを恐れたこと。もちろん江戸時代にはそういった側面もあったのかもしれませんが、日本人がアフリカの黒人奴隷と同様に白人たちのもとへ売り飛ばされていたのは歴史的事実です。

秀吉がキリスト教を禁止していなければ、もっと悲惨なことになっていたのかもしれません。

キリシタン弾圧の真相については、コチラで詳しく紹介していますので、ぜひご覧ください。

今回は愛媛県の心霊スポット「衣山処刑場跡(松山刑務所墓地)」について紹介しました。またその背景にあった日本のキリシタン弾圧に注目し、歴史で読み解いてみました。

キリシタン弾圧の理由には色々あったのでしょうが、もちろん殺された人々に罪はありませんし、彼らの無念はやはりそうとうなものでしょう。化けて出たくなるのもわかる……というものです。

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