☆埋蔵金連載第3弾☆奥州藤原氏の埋蔵金伝説

埋蔵金伝説と聞くとやはり、徳川埋蔵金を思い出すかもしれません。

しかし、埋蔵金伝説は数多く存在し、数多くの伝説がいまだにも言い伝えられているのです。

それが奥州藤原氏の埋蔵金です。

奥州藤原氏は前9年の役・後3年の役の後の1087年(寛治元年)から源頼朝に滅ぼされる1189年(文治5年)までの間、陸奥の平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張っていた一族です。

天慶の乱を沈めた藤原秀郷の子孫を称する豪族です。

今回紹介する埋蔵金伝説は奥州藤原氏の埋蔵金についてです。

金鶏山に隠されたとされる埋蔵金

岩手県西磐井郡平泉町伊には約標高100メートル程度の山があります。

この山には、ある言い伝えがあります。

それは、一晩で富士山に似せて作られた人口の山

という言い伝えがされているのです。

そして、この山には奥州藤原氏の埋蔵金が眠っているのではないかと言われているのです。

この山の頂には、黄金で作られた鶏のつがいと、漆一万杯と金一万両を隠したとされているのです。

一説では、この財宝を隠すために奥州藤原氏三代目・秀衡がこの山を作ったとされているのです。

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埋蔵金のありかを示しているかもしれない歌がある

上記で紹介した通り、人工で作られたという言い伝えが残る山ですが、もし本当に人工物だった場合、埋蔵金を隠すための部屋があるため、隠すことは簡単なことだし、見つけることも容易なのかもしれませんね。

地元には、山から鶏の鳴き声が聞こえるという言い伝えもあり、埋蔵金のありかを示しているといわれる童歌も存在します。

「朝日さし夕日輝く木の下に漆万杯こがねおくおく」

それっぽい歌詞に出来上がっていますよね。

今も残る「奥州藤原埋蔵金の呪い」

かなり多額の埋蔵金を残した奥州藤原ですが、一族の中で最も勢いを持っていたのが3代目・秀衡です。

3代目・秀衡が残した埋蔵金には呪いのうわさがあるのです。

多くの人間が、この埋蔵金の話を聞きつけ、一攫千金を狙い埋蔵金を探し始めました。

発掘作業が江戸時代から昭和までに5回程度行われましたが、見つかることはなく、それどころか発掘作業中に事故といったトラブルが多く起き、関係者が死亡したりする事態が発生し、発掘作業が中止になったのです。

この事故は、まるで奥州藤原氏の埋蔵金の呪いを証明するかのように起きた事故に感じませんか?

他にも、金鶏山の州兵には財宝を守る兵士(武者)の霊が昔から目撃されているそうです。

埋蔵金を狙おうとしているものを呪うといわれています。

本当に埋蔵金を守っているのかもしれませんね?

まとめ

いかがだったでしょうか?

奥州藤原氏は大きな権力と財力を兼ね備えていたと有名な話で、現在も一部だけが残る奥州藤原氏が初めて立てた院、中尊寺を見れば一目瞭然です。

財を惜しむことなく投じて作った非常に豪華な院です。

しかし、現在は一部しか残っていないのです。

訪れれば平泉の繁栄ぶりを肌で感じることができるでしょう。

奥州藤原氏は浄土思想でもあり、寺社や庭園に力を入れていたことで知られています。

もともと、金鶏山は寺院の為に作られた山で、かつて無量光院という寺院があったのは有名な話です。

現在は焼失によりなくなってしまいました。

もし、今回の記事を読んで興味がわいた方は奥州藤原氏についてもっと詳しく調べてみるとまた少し違った目線で見ることができると思います!

最後まで見ていただきありがとうございました。