「天皇家のルーツは渡来人にある」
そんな説を聞いたことはありますか?
これ、教科書なんかでは功名に隠されているので、意外に知らない人が多いのですが、研究者にとってはほとんど常識の説なのです。
さらに詳しく調べていくと、日本神話は単なる神話や伝説ではなく、ある程度の史実が反映されていることがわかってきます。
しかもそこには「鏡餅(かがみもち)」や「御神酒(おみき)」といった、私たちの身近にある文化が深く関わっているのです。
今回は天皇家のルーツを探り、日本文化と日本神話に隠された、縄文人と渡来系弥生人たちの戦いの秘密をあばいていこうと思います。
また今回は、前編と後編にわけた2部構成でお送りしていきます。後編はコチラ。
1つ注意してほしいのですが、今回お話しする「渡来人」とは、一般に歴史の授業で習う「遣隋使」や「遣唐使」のことではありません。
有名な渡来人「秦氏」については、オカルトオンラインでも何度か取り上げましたね。
しかし天皇家のルーツは、もっと古い時代の「渡来系弥生人」にあるのです。
ところで、そもそも弥生人と縄文人にはどういった違いがあるのでしょうか?
歴史の授業で、弥生人は稲作農耕民で、縄文人は狩猟採集民だと習った方は多いでしょう。ですが縄文人と弥生人は、たんなる文化の違いでわけられているのではありません。
「あなたの顔は弥生系? 縄文系?」といった質問を目にしたことのある人も多いと思います。一般に、弥生人は体毛の薄い塩顔系で、縄文人は体毛が濃く、彫りが深いとされています。
弥生人と縄文人は、現在ではまったく異なった民族であることがわかっているのです。
約7万年前、日本列島はまだユーラシア大陸と地続きになっていました。その頃に北方(南方ともいわれています)から日本に移動してきた人々が、縄文人の祖先になります。
その後プレートの運動によって、日本列島は独立。1万2000年以上にわたって、縄文人は独自の文化を育みます。これが縄文時代です。
しかし紀元前3世紀ごろ、九州北部に、中国大陸から多くの移民がやってきました。
彼らは稲作農耕民でした。「渡来系弥生人」と呼ばれたこの一団が、日本に稲作文化(弥生文化)を広めます。
渡来人の正体はまだ断定されていませんが、現在では「春秋戦国時代に『越』に敗れた『呉』の国の一団が、朝鮮半島南部を経由して渡来した」という説が有力視されています。
実際に九州には、弥生時代初期に多くの移民がやってきた証拠や、日本ではじめて稲作が行われた遺跡が残されています。
ですから今の日本人は、もともと日本列島に住んでいた縄文人と、中国大陸からやってきた渡来系弥生人との混血であるといえます。
ちなみに、弥生人の流入がほとんどなかったためでしょう。北海道の先住民であるアイヌや沖縄の琉球民族には、今でも縄文のDNAが色濃く残されていることがわかっています。
渡来系弥生人は稲作だけではなく、鉄器も日本に持ち込みました。
鉄器とは武器のことでつまり、武力です。渡来系弥生人は力の面でも縄文人を圧倒していました。
とはいえほとんどの縄文人は、渡来系弥生人の文化を受けいれました。そして弥生人も、同化した縄文人を同じ民族と認めました。
ですから、イギリス人がアメリカ大陸の先住民(インディアン)を大量虐殺したような歴史は、日本では起こらなかったとされています。
それは日本人が、「和」をもっとも重要視したからです。「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の言葉は有名ですね。
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稲作による人口と鉄器による武力で、渡来系弥生人は日本を制圧。奈良県の大和地方に到達します。
ここで天皇に即位し、日本初の統一政権である「大和朝廷(大和政権)」を開きます。
大和朝廷による統治は、象徴という形に変わったものの、現代まで続いています。
天皇家は、世界最長の歴史をほこる王室としても有名ですね。
今年のお正月も過ぎましたが、みなさん「鏡餅(かがみもち)」は食べましたか。
ところで鏡餅の由来ってなにか知っていますか?
実は大和朝廷では古くから、モチを神にささげてきました。これが鏡餅の由来です。
モチのように神様にそなえる食べ物を、日本では「神饌(しんせん)」(「御饌(みけ)」とも)と呼びます。
また神饌には、他にも重要なものがありました。それは「お酒」です。
日本では、神様にささげるお酒を「御神酒(おみき)」と呼びます。今でも歴史のある家や事務所の神棚には御神酒が供えられていますね。
ところで御神酒は、かならず日本酒でなければなりません。ワインではダメなのです。
それはモチと日本酒が、お米から作られるからです。
神棚には御神酒やモチ以外に、米も供えます。米は炊けばご飯に、つぶして焼けばモチに、発酵させれば酒になります。
キリスト教徒がパンとブドウ酒を神にささげてきたように、天王家は古くから、米をささげてきたのです。
今でも毎年、宮中で行われる「新嘗祭(にいなめさい)」や、新天皇が即位した際に行う「大嘗祭(だいじょうさい)」では、かならずイネの初穂を供えます。
日本神話の最高神である天照大御神(アマテラス)がまつられている伊勢神宮では、一緒に豊受大御神(トヨウケビメ)という神がまつられています。豊受大御神は、米の豊作をもたらす神なのです。
ここまで見ると、いかに日本という国が……大和朝廷が、米を神聖視しているかわかると思います。
ですから日本の年貢(税)は、かならず米でした。
実は米はもともと、東日本の環境には適していない作物でした。東北が今、一大稲作地帯になっているのは、米が品種改良されたからです。
稲作には広大な平地と豊富な水源、さらに温暖な気候が不可欠です。渡来人のルーツがある中国の長江付近は、まさに稲作の最適地でした。
しかし日本の国土の7割は山岳地帯で、灌漑(かんがい・水路を作って田畑に必要な水を引くこと)を引くのにも非常に労力がかかります。
しかも米は冷えに弱いので、気温の低い東北地方では冷害によって不作になり、飢饉(ききん)が起こることも多々ありました。
東北の飢饉の惨状は、以前にも取り上げましたね。
その点、縄文時代から食べられてきた穀物「稗(ヒエ)」は、「冷えに強い」という由来からその名がつけられたほど、冷害が起こりにくい作物でした。水路も不要で、そのうえ栄養満点でした。
実は東北では、米よりも稗のほうが育てるのに適していたのです。
しかし朝廷や幕府は、縄文文化である稗を下等な穀物と差別して、米を税として求めたので、村民は米を作り続けるしかありませんでした。
これらの病的なまでの米への信仰は、天皇家が稲作農耕民の渡来人にルーツをもつからなのです。
ここまでが前編です。
今回は考古学や日本の文化、信仰から、天王家のルーツが渡来系弥生人にあることを紹介しました。なにげなく過ごしてきた日本の文化に、天皇家のルーツが隠されていて驚いた方も多いと思います。
後編ではさらに、日本神話に隠された天皇家のルーツを探っていきます。
興味のある方はぜひご覧ください。