あなたには好きな戦国武将はいますか?
好きな戦国武将にあげられることが多い武将のひとりが「黒田官兵衛」です。
黒田官兵衛は大河ドラマにもなりましたし、天才軍師として豊臣秀吉を支えた人物として人気があります。
黒田官兵衛といえば、備中松山城を水攻めにしたことでも有名な武将ですが、実はとっても血生臭いエピソードがあるんです。
公開日:2019年9月16日 更新日:2020年1月13日
黒田官兵衛のエピソードの中で最も血生臭いと言われているのが城井谷城を巡る宇都宮鎮房との一件です。
宇都宮鎮房は今の福岡県築上郡築上町寒田にある城井谷という場所を収めていた人物でした。この城井谷は、天然の要害といわれる深い谷になっていて、攻め落とすのが難しいと言われていた場所でした。そして、宇都宮家はこの場所を先祖代々、ずっと納めていたという訳です。
そんなときに、力をつけたのが時代の天下人の豊臣秀吉でした。
画像引用元:豊臣秀吉
豊臣秀吉は城井谷城の宇都宮鎮房に「領地は保証するから部下になれ」という趣旨の話しを持ちかけます。
その話しを使者として持ちかけて交渉していたのが、黒田官兵衛と嫡男の黒田長政でした。
宇都宮鎮房は「領土を保証する」という条件で合意するわけですが、実際に蓋を開けてみると話が違う!
どういうわけか、豊臣秀吉は城井谷城を含む宇都宮鎮房の領地をあろうことか家の領地にしてしまったのです。
そして、宇都宮家には別の領地を用意しました。いわゆる国替えというやつです。
これに宇都宮鎮房は激怒し、領地と城を明け渡すことを拒み続け、地元の住民と共に激しく抵抗します。
宇都宮家は400年もの間この地を納めていたそうですから、抵抗するのも無理のないことです。
ですが、相手は天下人となった豊臣秀吉…そして、宇都宮家を説得をしているのはあの黒田家…どんなに抵抗したところで到底叶う相手ではありません。このまま、逆らい続けると宇都宮家の存亡に関わると考えた黒田家は「では、自分の部下になるのはどうか」と宇都宮家に話しを持ちかけます。
そうすれば、先祖代々の土地を離れずに済み、豊臣秀吉に逆らわない方法として提案したわけです。宇都宮鎮房はこの話に乗り、黒田家の家臣となります。
ここまでで終わっていれば、それでよかったのですが、この話はこれで終わりません。
こうしていったんは和睦したかに見えた宇都宮家と黒田家ですが、実は黒田官兵衛はこの後の策を練っていたのです。
黒田官兵衛は、豊臣秀吉の側近だったのですがある説によると豊臣秀吉は自分に逆らった宇都宮鎮房を許すことができなかったそうです。そうなると、宇都宮家を召し抱えている黒田家に宇都宮の処遇を命じたとも言われています(諸説あります)。
その命を受けてか、黒田官兵衛は実にらしくない策略を持ちかけて宇都宮鎮房を罠にかけるのです。
黒田家の家臣となった宇都宮鎮房は、自分より若く経験がない黒田官兵衛の息子の長政にも忠義を尽くして仕えていたと言われています。
黒田官兵衛がここまでして宇都宮鎮房を守ろうとしたわけですから、きっと才能ある素晴らしい武将として評価していたんでしょう。
実際に、この城井谷をめぐる攻防で黒田長政は宇都宮鎮房に負けていますしね。
と、そんな宇都宮氏を討つために、黒田官兵衛が練った策は「騙し打ち」でした。
あるとき、黒田長政は宇都宮鎮房を中津城に招いて「酒を酌み交わそう」と誘いだします。
宇都宮鎮房は家臣としての礼儀を持って長政に接したそうです。ですが、この時、長政は家臣のほとんどを城に入れず城下にあった合元寺で待機させます。
城で宴に参加したのは、宇都宮鎮房とわずかな供人だけ…そこで黒田家は宇都宮鎮房をいきなり切ったのです。そして、それとほぼ同時に城下の合元寺にも奇襲をかけて宇都宮氏の家臣や一族を皆殺しにしました。
そして、黒田長政の命で一揆を鎮めに行っていた宇都宮鎮房をの嫡男朝房も惨殺…更には、人質として黒田家に仕えていた鶴姫と侍女も皆殺しにしてしまいました。
この悲劇の舞台となった合元寺の壁は実は赤く塗られています。
それはどうしてか…合元寺に止め置かれた宇都宮家の家臣たちは合元寺で殺害されます。
その時に寺の壁に血しぶきが飛んで真っ赤になっていたと・・・。
その血は、いくら拭いても拭いてもとれなかったそう。そして、それならばと塗りおなしたわけですが、白く塗ってもしたから血の色が浮いて来てしまったんです。
それで、とうとうこのお寺では壁を赤く塗ったんです。
今も合元寺は実在していて、赤い壁もあるそう…この壁の赤はすべて塗料なのか、それともしたから浮き出てきた宇都宮家の家臣達の血しぶきなのか…確かめるすべはありません。
この後、黒田家には急死や家騒動といった不幸が続いたといいます。そして「これは鎮房の祟りではないのか」と言われていたそうです。
騙し討ちで皆殺しにされたら…恨みたくもなりますよね。
塗りなおしても血しぶきの跡が浮かび上がってくるという赤い壁…人の恨みというのは怖いものです。
宇都宮鎮房が討たれてから2019年で431年になりますが、この赤い壁の伝説は今もなお語り継がれています。
黒田官兵衛と言えば、戦国時代においては比類する人物を探すのが難しいくらいの有名な軍師の1人です。
他の時代でも天才と呼ばれた軍師は多く現在に語り継がれていますが、軍師とは冷酷非情でなければ務まらない職務でもあったと言えるでしょう。
特に戦国時代においては「だまし討ち」や「寝返り工作」などは当たり前の世界だったのです。
軍略に長けているということは、戦場において如何に効率よく敵兵を殺すか、に長けているということです。
とは言え、黒田官兵衛が好きな戦国時代ファンの方は非常に多いですね。
こちらの本は非常に分かりやすくまとめられているので、黒田官兵衛の研究入門にはおすすめの一冊です。