八幡市の軍人病院(ビルマ僧院跡)の正体は?とは|噂の背景と都市伝説としての見方

八幡市の軍人病院(ビルマ僧院跡)の正体は?とは|噂の背景と都市伝説としての見方

しかし過去には多くの人の血が流れ、今でも妖怪変化がはびこっているという裏の顔ももっています。そんな京都府には、当然数多くの心霊スポットが存在します。今回はその中でも八幡市の心霊スポット 「軍人病院(ビルマ僧院跡)」 についてお話したいと思います。全国の八幡社の総本社である「石清水八幡宮」がある「男山」にひっそりとたたずむ廃墟です。

目次

元記事で語られていた内容

戦時中は軍人病院だったともいわれますが、新興宗教の施設だったという記録も残っていることから 「ビルマ僧院跡」 とも呼ばれます。数年前、軍人病院へ肝試しに行った少年が 祟りを思わせる亡くなり方 をして、有名になった心霊スポットです。軍人病院は、 石清水八幡宮 (いわしみずはちまんぐう)が鎮座する 男山の鳩ヶ峰 にあります。ビルマ僧院跡 、 野戦病院 、 血の病院 、 八幡の廃墟 などとさまざまな呼ばれ方をした、京都の有名な心霊スポットでした。男山のふもとの、山頂へ向かう男山ケーブルカーの脇に、草ヤブへ続く 階段 がひっそりとのびています。

怖さが残るポイント

軍人病院はこの先にあったのですが、今ではもう 取り壊された ともいわれています。というのも階段の先が柵の扉で通行止めになっており、「立入禁止」の看板があるように探訪はかないません。監視カメラもあり、むやみに入っては不法侵入で捕まりかねないのでやめましょう。現存しているのか本当に取り壊されたのか、今となっては関係者にしかわかりません。では、かつてこの先にあった軍人病院とは、どんな心霊スポットだったのでしょうか。

噂と事実を分けて読む

かつては階段に柵もなく、とにかく雑草やら草ヤブやらに覆われていたといいます。そのため誰もこの階段を登る者はいませんでした。しかしいつの時代も廃墟マニアや心霊スポットマニアは怪しい匂いを嗅ぎつけるのでしょう。草ヤブをかきわけ上へ登ると、 コンクリートでできた2棟の廃墟 を発見しました。医療道具やカルテが散乱している という噂や、近くに 「天業恢弘八紘一宇」の石碑 (第二次世界大戦時のスローガンの1つ)や 墓地 があったことから、いつのまにか 「軍人病院」 と呼ばれるようになり、心霊スポットとして知名度を集めます。

現地の空気を想像すると見えてくるもの

しかしこの廃墟、実は病院とはまったく関係のない建物でした。日本釈尊正法会という宗教法人の寺院……が作られる予定だったモノの跡地です。1957年、ビルマ仏教を布教するための 「ビルマ仏教布教センター」 として、1957年に建設が開始されました。信者会館やお堂などのほか、高さ30メートルの僧院も作られる予定だったため、 「ビルマ僧院」 とも呼ばれます。しかし資金難と、石清水八幡宮側や男山の土地所有者との話し合いがまとまらず、計画は断念。

怖い話として読み継がれる理由

近くにある「天業恢弘八紘一宇」の石碑もビルマ僧院とは 無関係 のもので、 当然カルテや医療器具があるはずもありません 。ただし2010年の事件(後述)時に、八幡市在住の82歳の男性から 「戦時中、結核の隔離病棟があったと記憶している」 と証言があったように、男山のあたりに戦時中病院が建っていたという噂はあったようです。この噂や第二次世界大戦時の石碑、そして廃墟の外観が病院に似ていたことから「軍人病院」と呼ばれるようになったのでしょう。軍人病院だと認識して廃墟に訪れた者は、宗教施設の道具や紙資料を、医療器具やカルテと見間違えたと思われます。2010年の交通事故は軍人病院(ビルマ僧院跡)の祟りなのか。

怖い話として読み直す意味

真相を断定することはできません。ただ、こうした話が長く語られ続けるのは、そこに人が忘れられない違和感や恐怖が残っているからです。噂として距離を取りながら読むことで、元記事とは違う角度から怖さが見えてきます。 実際に現地へ向かう場合は、私有地への立ち入りを避け、周辺住民への配慮と安全確認を必ず行ってください。

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