京都駅から約30分で行ける、あの世とこの世の境目「六道の辻」

あの世とこの世の境目、と聞いて、あなたはどんな場所を思い浮かべるだろうか。臨死体験の再現VTRに出てくるような、きらきらと水面が輝く三途の川? それともオルフェウスがエウリュディケを求めて降りていったような、深く長い洞穴?

そんなドラマティックなイメージをお持ちの方は少しがっかりしてしまうかもしれない。何しろ、今回紹介する「あの世とこの世の境目」は京都駅からバスで30分足らずの場所にあるのだ。

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冥府への入り口「六道の辻」って?

京都駅から市バス206番に乗ること20分。バス停「清水道」のすぐそばに、六道の辻と呼ばれる道がある。一見すると何の変哲もないただの通りなのだが、何を隠そう、ここが古くから「あの世とこの世の境目」とされてきた場所のひとつなのだ。

六道とは、仏教において人が輪廻転生する6つの世界のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道がある。我々は前世の行いによって次の生をどの世界で過ごすかを定められ、これら6つの世界をめぐりながら徳を積み、やがて離脱することを目指す。

「六道の辻」はその名の通り、これら6つの世界の分岐点にあたると言われており、もっと素朴な信仰においては「冥府への入り口」とも信じられてきた。

奈良〜平安時代の様々な説話を収めた書物『古事談』にも、この地域を六道の辻と呼ぶ、と記載があることから、少なくとも中世以前から六道の辻という名称が使われてきたようだ。

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あの世とこの世のダブルワーカー? 小野篁伝説

六道の辻及び、そこにそびえ立つ六道珍皇寺には、もうひとつ有名な逸話がある。それが、あの世とこの世、2つの世界で仕事をしていたとされる「小野篁」伝説だ。

伝説といっても、小野篁は実在する人物である。平安時代初期の文人で、百人一首にも「参議篁」という名前で和歌が残っている。以下に、その和歌を紹介しておこう。

「わたの原八十島(やそしま)かけて漕(こ)ぎ出でぬと 人には告げよ海人(あま)の釣り舟」

簡単に訳すと、「大海原へ、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよ、と都の人々に伝えてくれ、漁師の船よ」という意味合いになる。

これは小野篁が隠岐に島流しに遭った時に詠んだ歌だ。島流しといっても大罪を犯したわけではなく、遣唐使として唐へ向かう際のトラブルで朝廷と対立し、その後作った漢詩で当時の天皇、嵯峨天皇を批判したことが原因とされる。

実際、小野篁は、島流しからわずか数年で、才能を惜しまれ、京に呼び戻されている。

ともあれ、この小野篁、朝廷を批判する漢詩を作って島流しに遭ったというエピソードから見てもわかるように、かなり破天荒な人物だったようだ。あまりに旺盛すぎる反骨精神から「野狂」という異名まで取っていた。

そんな彼は、夜な夜な、この六道珍皇寺の裏にある井戸からあの世に出かけ、なんと閻魔大王の仕事を手伝っていたという。昼は朝廷で、夜は冥府で役人をしていたというのだから、これが本当ならかなりタフな人物だ。

六道の辻にある六道珍皇寺には、小野篁が冥府に行くのに使っていたとされる井戸が、今でも残っている。

一体なぜこのような伝説が囁かれるようになったのかはわからないが、おそらくは小野篁の破天荒な人となり、そして一旦は島流しにされたものの、その才を惜しまれて都に呼び戻された、という常人離れした逸話によるものだろう。朝廷と冥府、2つの世界で華々しく活躍する小野篁は、平安時代の人々にとってダークヒーロー的存在だったのかもしれない。

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「あの世」はすぐそばにある。京都各地に残る冥府への入り口

そもそも、一体なぜ六道の辻が冥府への入り口と称されるようになったのだろうか?

実は、六道の辻は鳥辺野と呼ばれる地域の入り口にあたる。この鳥辺野は、かつて風葬の地だった。風葬と言えば聞こえはよいが、要するに、都で出た遺体を洛外に運び、野ざらしにしていたのだ。当時、既に仏教の影響下にあった日本。身分の高い人々は火葬によって葬られていたが、木材を買うことのできない庶民にとって最も一般的なのが、遺体を野ざらしにし風化を待つ「風葬」だった。

人々は身内が亡くなると、その遺体を棺におさめ、六道の辻にある六道珍皇寺で葬儀を行ったのち、棺を鳥辺野まで運んでいったという。

こうした風葬の地は鳥辺野以外にも存在し、化野蓮台野と並んで「京都三大葬送地」と呼ばれている。残る二箇所もまた「冥府への入り口」とする伝説があることから、一体なぜ六道の辻があの世とこの世の境目と呼ばれるようになったのか、その理由は明白だろう。

かつての日本において、「死」は現代よりもよほど身近な存在だった。疫病が流行れば身近な人が大量に死ぬし、怪我や栄養失調、不慮の事故もかなりの数あったはずだ。そして、彼ら死者は一度は都から外へと運び出されるものの、文字通り塵となり風に乗るまで、ふと目をやればすぐ見える場所に留まっていたのだ。中にはきっと、何度も風葬の地へ足を運び、愛した人の遺体が腐り果て、土と同化していくさまを見守った人もいたに違いない。

京都駅からわずか30分ほどで足を運べる冥府への入り口。華やかな観光スポットとは言い難いが、京都に訪れた際には是非足を向け、人々の生死に思いを馳せてみてほしい。

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