世界遺産登録されたことで全国的に知られるようになった宗像大社…お正月になると福岡県内だけでなく近隣の県や遠方からよたくさんの人が初詣に訪れます。
本殿やと沖ノ島が注目される宗像大社ですが、宗像大社の中には「高宮」と呼ばれる祭場がありとても神聖な場所とされています。
沖ノ島は一般人の立ち入りはできませんが、高宮には誰でも登ることができます。
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宗像大社は福岡県宗像市にある神社です。平成29年に「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群に登録されました。
「道の神」として知られており出雲大社と並んで道主貴と称されています。数多くの国宝を有しており「裏伊勢」と呼ばれることもあります。
宗像大社というのは、三社の総称で沖ノ島にある沖津宮、筑前大島にある中津宮そして、宗像市田島にある総社の辺津宮の総称です。陸路で参拝できるのは田島の辺津宮で、大島の中津宮には渡船で渡ることができます。沖ノ島は一般の人は上陸できません。定期航路などもないため、島を見るためには船をチャーターして島の近くまで行くしかありません。
今、宗像大社というと田島の辺津宮を指す場合が多く、世界遺産登録後は外国からの観光客も増えました。
宗像大社の中津宮は大島にあります。神湊から渡船で大島へ渡ることができます。渡船に15分揺られると大島に到着しますので、そこからは徒歩30分位で中津宮に参拝できますバスもありますが、本数が少ないので徒歩かタクシーがで行く方がよいかもしれません。
大島は「七夕発祥の地」とされている場所でもあります。実際に天の川という川が島内にあり、天の川の両岸に小さな社があり、それが織姫と彦星伝説の由来とされています。
参考資料:Wikipedia
宗像大社の沖津宮は「神宿る島」と称される沖ノ島にある社です。以前は女人禁制とされていましたが、今は男性でも一般の人は行くことができない場所です。
九州と朝鮮半島を結ぶ位置にあることもあり、沖ノ島にはたくさんの貴重な文化財が今でも眠っています。島全体にたくさんの宝物が発見されたこと、そして、今でもなお宝物があることなどから「海の正倉院」とも呼ばれています。
これらの宝物は、昔から海の交通の要衝として重要視されていた沖ノ島の神に奉納されたものであると考えられており、鏡、勾玉、金製の指輪などが出土しています。現時点でも宝物の数は約十万点にのぼりそのうち八万点が国宝に指定されています。
沖ノ島から出土した宝物は宗像大社辺津宮の境内内にある神宝館に展示されています。
沖ノ島が女人禁制である理由はいろいろな説があるのですが、女性神が祭られており女性が上陸すると嫉妬されてしまうとも言われています。実際に、女性が上陸すると祟りがあるとか、海が荒れるという人もいますが根拠はほとんどありません。宗像大社の沖津宮以外の場所は女性でも参拝できることから、地元では「昔は女性が容易に行けるような場所ではなかったから女人禁制とされたのではないか」と考える人もいます。
沖ノ島で見聞きしたことは、口外してはならず「お不言さま」で決して外に話をしてはならないとされています。
沖ノ島は島そのものがご神体なので、男性でも禊をしなければ上陸できませんし、今では男性でも一般の人は上陸できないようになっています。沖ノ島の周辺は優良な漁場であるため周辺海域では漁船が多く操業しています。
観光で宗像大社を訪れる人のほとんどは、最も簡単に参拝できる田島の辺津宮に参拝する人最も多く、その次に渡船で渡れる大島の中津宮を参拝する方が多くなっています。
宗像大社の境内の中でも「神聖な場所」と位置付けられる高宮は、宗像大社の本殿から階段を登って5分程度です。階段は急ですが、手すりも整備されていますし、ゆっくり登れば子供やお年寄りでも登ることができます。
高宮に登るには本殿の横にある小路を抜けていきます。緑に覆われたとても綺麗な参道を歩いていくと、鳥居があります。
この鳥居の先は高宮に続く階段となっています。この写真を撮ったのは朝の9時前…緑に囲まれた階段をの5分登ると開けた場所に出ます。ここからは海が見えていますね。
高宮はとてもひんやりとした神聖な空気に包まれています。祭場はこの先、高宮の社はこのようになっていて誰でも参拝できます。
祭場を直接写真にとって良いものか…迷いがあったので撮影は控えましたが、祭場そのものには建物などは立てられていません。
高宮で参拝を済ませたあと、上から階段を見下ろすとこんな感じ…。かなり急な階段ですが、高齢者の方もゆっくり登られていました。
沖ノ島にはそう簡単には参拝できませんが、高宮は田島の辺津宮の境内の中にあるので参拝しやすい場所です。高宮では、秋に行われるみあれ際などの最後を締めくくる高宮神奈備祭という神事が行われる場所です。
高宮は、社家の説によると「第一神始めて降臨有し、辺津宮の旧址といふ、神代より天應元年(781)まではここに惣社の御座あり、旧社に社を立て下高宮といふ」との記録があり、宗像大神降臨の伝承地である宗像山・高宮を神奈備山・神奈備の杜と崇められて来ました。 神奈備とは、「神々が降りてくる山や杜」を意味します。古くからとても神聖な場所とされており、奈良時代以前から聖なる場所としてあがめられていました。
引用:宗像大社 ホームページ
宗像大社に参拝するときには、本殿だけでなく是非、高宮まで足を向けて見られるのはいかがでしょうか。
宗像大社の歴史は古く、天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕いたときに吹き出した破片から宗像三女神の、田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神が生まれたとされています。
日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」には、「歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」との 神勅(しんちょく)(天照大神のお言葉)により、三女神がこの宗像の地に降りられ、おまつりされるようになったことが記されています。(引用:宗像大社ホームページ)
律令制導入で国郡制が布かれたときには、宗像一郡は神領とされ、豪族の宗形氏は神事も取り行っていました。宗形氏の衰退や、その後の戦争などで何度も放火や、破壊の対象となりましたが何度も再建されてきました。
宗像大社辺津宮は天正6年に重要文化財に登録されています。
第二次世界大戦の後、宗像大社は荒廃していたそうですが、宗像市出身の実業家で「海賊と呼ばれた男」のモデルになった出光佐三さん寄付で再建されました。出光佐三さんは「宗像神社復興期成会」を結成し自ら宗像大社の初代会長に就任し宗像大社の再建に尽力しました。
今では広大な境内はとても綺麗に整備されており、鯉が泳ぐ池や立派な門、立派な駐車場が整備されています。地元では「田島さん」と呼ばれて親しまれている一面もあり、平日でも参拝者が絶えることはありません。
宗像大社の放生会の時期に行われる神事「みあれ祭」では大島の中津宮と沖ノ島の沖津宮で神迎えの儀式が行われ、地元の漁船が大漁旗を上げて海上海幸が行われます。いろとりどりの大漁旗を上げて漁船団が海上を進む様子は勇壮で、福岡県の秋の風物詩のひとつです。
他にも献茶祭や春季大祭、夏越大祓、七夕祭、年越大祓など様々な祭りが行われています。
世界遺産登録されたことで知名度が上がった宗像大社ですが、昔から神聖な場所として大切にされてきた社です。宗像大社とは、3つの社(辺津宮、中津宮、沖津宮)の総称で一般の人が参拝できるのは、辺津宮と中津宮です。
総社の辺津宮には、本殿の他に高宮や二宮、参宮も設けられています。
高宮は神聖な場所ですが、誰でも参拝できるので宗像大社を訪れたたきには是非、高宮に登ってみられてください。