1981年6月27日から28日にかけての深夜、大分県大分市のアパート「みどり荘」で女子短大生(当時18歳)が殺害された。血液型B型の血液を含む血液型A型の唾液が検出され、被害者の血液型はA型であることから、この血液は犯人のものと推定された。事件から約半年後の1982年1月14日に、血液型B型だった隣室の輿掛良一(当時25歳)が被疑者として逮捕された。輿掛は捜査段階や公判の初期において被害者の部屋にいたことを自白していたが、裁判途中から供述を翻して無実を主張。しかし、1989年3月の第1審判決では、自白と科学警察研究所の毛髪鑑定などから無期懲役の有罪判決が出された。控訴審では、科警研の毛髪鑑定や福岡高等裁判所が職権で採用したDNA型鑑定といった犯行現場で採取された体毛と輿掛の体毛が一致するとした鑑定結果などについて多くの批判や矛盾が指摘され、1994年8月に日本の殺人事件では異例の保釈がなされた。1995年6月30日には無罪判決が出され、同年7月13日に福岡高等検察庁が上告を断念し、7月14日に確定した。事件発生から14年が経過していた。控訴審の判決理由では、輿掛以外の真犯人の存在が示唆されている。無罪判決から殺人罪の公訴時効成立(当時は15年)まで約1年あったが、大分県警察は再捜査を行わず、1996年6月28日に時効が成立した。