今回紹介するのは和歌山県にある「汀公園(みぎわこうえん)」です。
和歌山県のオフィス街にある公園で、戦時に命を落とした戦災殉難者を供養するための供養塔が建てられています。
後ほど詳しく紹介しますが、この地ではかつて戦時中の空襲により748人の方が亡くなった場所なのです。
今回はそんな「汀公園」について紹介していきたいと思います。
汀公園は和歌山県和歌山市西汀丁にある公園です。
オフィス街にある小さな公園で、滑り台やブランコ、鉄棒、砂場といった少しの遊具が設置されています。
そして、芝とシロツメグサなどの植物がきれいに咲いています。
公園の真ん中には先ほど紹介した戦災殉難者供養塔があります。
しかし、そんな公園ですがオフィス街にあるものの、人があまり寄り付かないんだとか。
この公園では女性の姿をした幽霊の目撃情報もあり、心霊写真が撮れると巷では語られています。
この公園の隣にあったビルの地下駐車場には「子供を抱いた女性の形をしたシミ」があったのだそうです。
このシミについてはテレビで放送された経験もあったそうで、その放送を見た人が現物を見ようとその場を訪れることが多かったそうです。
当時は板張りをされており、管理人によると「消しても消えないし、見物客も来るので」と話したそうです。
しかし、現在はビルの老朽化による関係で取り壊されてしまいました。
更にそのビルについて調べていたらこのような記事を見つけました。
「このシミの供養を始めたらシミが現れて供養が終わると「スーッ」っと消えていった」
とこのような記事を見つけました。
このことは当時の新聞にも掲載されていたそうで、この話は和歌山県民ならみんな知っている話なんだそうです。
汀公園はアメリカ軍の空襲により748人がこの場所で亡くなった記録があるのです。
1945年(昭和20年)7月9日17時頃、テニアン西飛行場を多数のB-29(爆撃機)と気象観測機が1機が離陸し出撃していきました。
アメリカ軍は和歌山県和歌山市上空に侵入し、23時36分に河西部の湊河口付近に照明弾を焚き、爆撃を開始したのです。
その後、アメリカ軍は紀ノ川駅周辺の爆撃を開始し、和歌山市駅、ぶらくり庁、和歌山県庁付近、和歌山市役所付近などに焼夷弾や油脂弾を落としたため、和歌山県の中心部はほぼ壊滅状態に陥ったそうです。
焼夷弾=建造物を焼き払う目的で使われる爆弾。燃やすための燃料が入っている
油脂弾=焼夷弾の一種で、ガソリンをゼリー状にしたものが主成分の爆弾
また、市民は4,000坪の空き地になっていた旧和歌山県庁舎跡(現在の汀公園)に避難していたが、そこを爆撃によって発生した火災の熱風が襲ってきたためその場所だけでも748名の死者を出したそうです。
最終的にこの空襲で死者1,208名、重傷者1,560名、軽傷者3,000名、行方不明者216名、被災者113,548名、焼失家屋31,137戸の被害が出たのでした。
空襲時は住民の多くは焼夷弾による熱風や火傷を逃れようと、和歌山城を取り囲むお堀に飛び込んだそうです。
しかし、お堀の水は焼夷弾などの爆弾による熱で煮えたぎっており、飛び込んだ人たちはこの煮えたぎる水で息絶えてしまったそうです。
この話も県民の中では有名な話なんだそうです。
いかがだったでしょうか?
今回は和歌山県「汀公園」について紹介してみました。
この公園では昔、アメリカ軍の空襲により748人も亡くなってしまったということを聞いて大変驚きましたね。
この空襲で合計10万人以上の方が被害に合われたそうです。
被害にあられた方のご冥福をお祈りいたします。
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