上野恩賜公園は、東京都台東区にある公園です。
博物館や美術館、動物園などの文化施設が集結し、都民の憩いの場となっています。
損な場所ですが、実は心霊スポットとしても有名で数多くの心霊現象が報告されています。
今回の記事ではそんな上野恩賜公園を紹介していきたいと思います。
三代目将軍・徳川家光が江戸城の丑寅の方角の鬼門を封じるために東叡山寛永寺を設立しました。
建てた理由にはもう一つあり、京都御所に対抗するためだともいわれています。
建設した理由にはスピリチュアル的な理由があったことがわかりますね!
寛永寺は江戸幕府による保護を受けていたため、長い間栄えてきました。
しかし、ペリーの来航などにより日本は大混乱に陥りました。
次第に江戸幕府は権威を徐々に下げていき、1876年にあの有名の大政奉還により政権は朝廷に返上されたのです。
江戸幕府の終わりが訪れるのかと思いきや、それに納得のいかない幕軍側が兵隊を組織します。
1868年に薩摩と長州藩を中心とした「新政府軍 VS 彰義隊」の上野戦争が勃発します。
しかし、彰義隊は破れてしまいます。
その戦場となった地には死体や残骸などが悲惨な状態でそのまま放置されてしまいました。
その後、この劣悪な荒れた上野の地に病院を作ることになりました。
しかし、オランダ軍医のボードワン博士が公園を作るという案を提案しそれが採用されました。
そして、1876年に上野公園が開園されたのです。
日本で初めて作られた公園ともいわれています。
※参考:上野恩賜公園
これは、私が上野公園で体験した怖い話です。
私は、会社に出社する前、上野公園でランニングするのが日課でした。
朝焼けが始まったばかりの薄暗い公園は、空気も澄んでいて、走るのに最適な環境で
した。
そんな、ある日のことです。
いつものようにイヤホンで音楽を聴きながら園内を走っていると、
奇妙な女性を目にしました。
年齢は40代くらいでしょうか。
太った体躯に、脂ぎった髪。
ヨレヨレの服。
何が奇妙かと言いますと、その女性は木の根元に何かを置くような仕草をした後で、
祈るように手を合わせ、また別の木に移動しては同じことを繰り返していました。
その行動自体が不可解でしたし、顔は見えませんでしたが、直感的に近寄りたくないなと思いました。
私はすこし大回りするように走って、できるだけ距離を開けて、女性の横を通り過ぎました。
女性の姿を見かけたのは、それ一度きりで、
すっかり忘れていたのですが、ある出来事がきっかけになって思い出すことになりました。
お花見の季節になると上野公園は連日宴会の人達でいっぱいになります。
私が勤める会社も毎年、上野公園でお花見をしていました。
花見当日、私は、仕事で少し遅れて、上野公園に到着しました。
花見客で混雑した園内を歩いていると、救急車のサイレンの音にハッとしました。
しばらくして、担架を運んだ救急隊員が慌ただしく走っていくのが見えました。
行く先を目で追うと、人垣ができていました。
人垣の中央で、人が倒れていて、救急隊員が呼びかけていました。
・・・私は息をのみました。
そこは、奇妙な女性が、何かを置いて手を合わせていた木の根元だったのです。
単なる偶然だとは思いつつ、少し気味が悪い感じがしました。
それから、桜の花が散って、しばらく経ったある日のことです。
いつものように、朝ランニングをしていると、一本の木が黄色いテープで囲われているのに気がつきました。
私は、時折見かける公園の管理をしている方に声をかけて、黄色いテープのワケをたずねました。
「昨日、枝が折れて女の子の頭に当たったんですよ。危ないんで、立ち入り禁止にしてます」と言われました。
なぜわざわざ尋ねたかといいますと、その木にも、奇妙な女性が手を合わせていたからです。
・・・考え過ぎかもしれませんが、私には、
女性が木の根元に何かを置いて手を合わせていたことと無関係とは思えませんでした。
あの奇妙な女性が、災いの種を蒔いていたのではないか、どうしてもそんな気がしてしまうのです。
※引用:【怖い話・心霊・怪談・都市伝説】AM2時
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