今回紹介するのは、福島県の心霊スポット「いわき市賽の河原」です。
賽の河原(さいのかわら)とは、水子(親より先に亡くなった子ども)を供養するための霊場です。
いわき市の海沿いにある洞窟なので「いわき賽の河原」とも呼ばれるのですが、霊場というように、お地蔵さんや石仏、お供え物がいくつか安置されています。
実はいわき市内では有名な心霊スポットで、心霊体験や心霊写真がいくつも報告されています。しかもその裏には、水子と子殺しにまつわる地方の怖い風習が隠されていました……。
今回は福島県の心霊スポット「いわき市賽の河原」を紹介。なぜ心霊スポットになってしまったのか、東北地方の怖い風習をまじえて、民俗学の視点から考察していきます。
いわき市賽の河原は、岩壁に開いた洞窟内にあります。洞窟内には大量のお地蔵さんや石仏が立ち並び、そこかしこにお供え物が置いてあります。
水子(親より先に亡くなった子ども)を供養するための霊場なので、水子に向けられたものなのでしょう。
このいわき市賽の河原は心霊番組に取り上げられたこともあるほど、福島県では有名な心霊スポットなのですが、番組では霊能者があまりの霊の多さに逃げ出してしまったという逸話が残っています。
いわき市内では、以上のような多くの心霊体験が報告されています。
ちなみに洞窟を抜けると、平薄磯の海岸に出ます。海とも繋がってるので、洞窟内には川のように海水が流れている箇所があります。
そのためか、このいわき市賽の河原の洞窟には、水死体がよく流れつくのだそうです。水子に加えて水死体の霊とくれば、恐れられるのも無理はありませんよね。
しかしこのいわき市賽の河原が心霊スポットになったのは、東北地方の古い風習が原因ではないかと思われるのです。
鍵は、水子と水死体と賽の河原です。
そもそも賽の河原とはなんでしょうか?
人は死ぬと「三途の川」という川を渡って、あの世へ行くという言い伝えがありますよね。その三途の川の岸辺(河原)が、賽の河原です。
親より先に死んだ子どもは、賽の河原で石の塔を積み上げるといいます。これを積み上げないと、いつまでもあの世に渡ることができません。
しかも塔が完成しそうになると、鬼が現れ、これを壊します。子どもはずっと天国に行けません。これはかつて、親より先に死ぬことは最大の親不孝であると考えられていたからです。
そんな迷える子どもの霊を成仏させるために、賽の河原の霊場には、お地蔵さんや石仏がまつられているのでしょう。
しかし、いわき市賽の河原=水子供養の霊場がなぜこんな海辺の洞窟内に作られたのでしょうか?
水子供養の霊場は、普通はお寺やその近くにあります。亡くなった子どもを供養するのですから当然ですよね。
ここで鍵になるのが、いわき市賽の河原の洞窟は海につながっているという点です。海水が流れ込んでいる箇所があり、また水死体がしばしば流れつくと言われています。
賽の河原の洞窟には、水子の遺体が多く流れついたのではないでしょうか?
さらに洞窟内には海水が川のように流れています。そのためにこの洞窟を、賽の河原(三途の川)と見立てるようになったと考えれるのです。
ではなぜ遺体の中でも水子のものが多かったといえるでしょうか?
それは水子が本来、水辺に流される遺体だったからです。
昔の日本の村は、どこも貧困に苦しんでいました。貴族や武家が利益を独占し、平民の中でもせいぜいまともな暮らしができたのは町人くらいでした。
そのため育てられない子どもは、生まれてすぐに殺されました。子殺し(間引き)の風習です。
当時は堕胎や避妊の技術もぞんざいなものでしたから、望まれない子どもも今よりずっと多かったと思われます。子殺しにあった子どもは、今の倫理観では信じられないほど多くいました。
間引かれた子どもは、川や海といった水辺に流されました。幼くして死んだ子を「水子」と呼ぶのはこれが由来なのです。
やはり、身近な場所に埋めたくはなかったのでしょう。
今でも堕胎することを「流す」といいますね。これは本来、「水に流す」という意味でした。
東北(青森・岩手)の子殺しの風習についてはコチラで詳しくまとめていますので、こちらもぜひご覧ください。
寺社の出生記録などから当時の人口統計が計算されているのですが、近世においては子殺し(間引き)は飢饉などとは関係なく日常的に行われていたことがわかっています。
同時代のヨーロッパと比べても、日本は子殺し(間引き)の数が非常に多かったのです。
これはキリスト教徒の貞操観念が強かったのに対し、日本の農民は性的に奔放だったからといわれています。「夜這い」などの性に関する風習は有名ですよね。
※勘違いされがちですが、「昔の日本女性は貞淑だった」といわれるのは武家社会、もしくはキリスト教の布教後の女性の話です。地域によっては女性上位の性的な風習はいくつも発見されています。
さらに近世の日本では、「赤ん坊は生後1ヶ月の初宮参りや7歳を迎えて初めて『人間』になる」という認識がありました。この思想は一般に乳幼児の志望率が高かったためといわれていますが、間引きの罪悪感を減らすためだったという説もあります。
また日本は年功序列や家父長制の強い儒教国家でした。つまり「子は親の所有物」という考えが根強くあったのです。
子が親を殺すことは大罪でしたが、親が自分の子を殺しても大きな罪には問われませんでした。
江戸時代~戦前の東北の田舎は貧しかったものですから、水子(子殺し・間引き)は盛んに行われました。たとえば東北の妖怪として有名な「河童(カッパ)」も水子(間引きによって水に流された水死体)がモデルだという説があります。
福島県いわき市があった近世・戦前の村や集落では、間引いた我が子を海に流したのでしょう。その水死体が海流の関係によってか、海沿いの洞窟に流れついたのです。
ですからそこは「賽の河原」と呼ばれるようになり、やがて水子供養の霊場になったのではないか……筆者はそう考えています。
なお、いわき市賽の河原は2011年の東日本大震災によって内部はほとんど崩壊してしまいました。
その後、地元民やボランティアの協力によって残されていた洞窟内の石仏や地蔵が外に運び出され、今では洞窟の入口に地蔵たちが並んでいるのを見ることができます。
今回は福島県の心霊スポット「いわき市賽の河原」を紹介しました。またなぜ心霊スポットになってしまったのか、地方の怖い風習をまじえて、民俗学の視点から考察しました。
賽の河原でイタズラなどをするのは、本当に危険ですのでやめましょう。ですが慰霊の気持ちをもって、お菓子や花をこの場所にお供えをすれなら、霊たちも喜んでくれるかもしれません。
実は島根県にも同様の、海沿いの洞窟に作られた水子供養の霊場「石見畳ケ浦・賽の河原」があります。ここでもやはり水死体が流れつくといわれ、心霊スポットになっています。石見畳ケ浦についてはコチラでくわしく紹介しています。
また福島県いわき市には、賽の河原以外に「湯ノ岳パノラマライン」という心霊スポットもあります。いわき市湯ノ岳パノラマラインについてはコチラで紹介しています。ぜひご覧ください。