1970年頃まで存在していた炭鉱で、釧路市にあったことから釧路炭鉱とも呼ばれている。当時は国内屈指の石炭産出地だった。周辺には学校・病院などの公共施設や映画館などの娯楽施設もあり、交通手段も鉄道があり、人口は1万人を越えていたという。しかし炭鉱には常に危険もつきものであり、炭鉱事故が多くなり住人は次第に去っていった。[amazonjs asin=”480130379X” locale=”JP” title=”絶対に足を踏み入れてはならない 日本の禁断の土地 (彩図社文庫)”]
北海道釧路市阿寒町雄別22線 道道667号線[map lat=”43.218889000000004″ lng=”144.07695259999997″ width=”800″ height=”600″]