四国といえば、「お遍路(おへんろ)」が有名ですね。
弘法大師(空海)によってひらかれた88の霊場「四国八十八箇所」を巡るのですが、これが江戸時代に大流行しました。このことから四国=霊場というイメージが強くなり、ついには「四国は死国である」と考えられるようにもなりました。
そんな霊的濃度の濃い四国ですから、恐ろしい心霊スポットも当然数多く存在します。
今回は高知県土佐清水市の心霊スポット、「足摺岬(あしずりみさき)」についてお話します。
足摺岬は高知県を代表する観光地の1つでもありますが、同時に恐ろしい心霊スポットでもありました。というのも、昔から飛び降り自殺者が多い「自殺の名所」として有名だったからです。
しかし足摺岬での自殺のルーツは、実は平安時代にまでさかのぼることができます。
今回は高知県の心霊スポット「足摺岬」について紹介し、またなぜ自殺の名所となってしまったのかを、「補陀洛渡海(ふだらくとかい)」というキーワードに注目し、民俗学の視点から読み解いていこうと思います。
地図を見てもらうとわかりますが、「足摺岬」は四国最南端の足摺半島の先端に位置しています。太平洋に突き出たようなかたちになっているので、迫力のオーシャンビューを楽しめる景勝地であると同時に、福井県の「東尋坊」同様、飛び降り自殺者が絶えない「自殺の名所」となっています。
足摺岬では実際に自殺防止の看板や、自殺者を供養するための地蔵、献花などを見ることができます。自殺の多さがうかがえますね。
自殺の名所は、えてして心霊スポットとして注目を集めます。
……などなど、怖い話がいくつも伝わっております。
「足を引っ張られる」などは、自殺者の霊が呼びこんでいるようにも感じられます。足摺岬には自ら命を絶った地縛霊がとどまっているのかもしれません。
しかし自殺の名所という以外にも、ここが心霊スポットとされるゆえんがあります。それは最初にも書きましたように、「お遍路」です。
足摺岬には、「足摺岬の七不思議」という伝承が伝わっています。七不思議というと「学校の怪談」を彷彿とさせますが、べつに怖い話ではありません。
先に書きましたように、高知県を含む四国はお遍路で有名です。お遍路とは、 弘法大師(空海)に縁のある「四国八十八箇所」の霊場(寺院)を巡り、参拝することです。
そのなかの38番目にあたる霊場が足摺岬にある「金剛福寺」です。金剛福寺は弘法大師が開いたとされています。
「足摺岬の七不思議」はこの弘法大師に関連した足摺半島一帯に残る不思議の総称で、七不思議といいながら実際には21あります。
石の動き方で親孝行の心をあらわす「ゆるぎ石」、亀の形をした「亀石」、潮の満ち引きでくぼみの水が増減する「汐の満干手水鉢」などなど……すべてを紹介することはかないませんが、足摺岬のまさに先端部分にあるのが、「地獄の穴」です。
この穴は、灯台下の洞窟(亀の洞)まで、通じている。と云う。この穴に硬貨を投げ入れると、チリーン・チリーンとしばらく音が聞こえて来る。この穴に硬貨を投入するのは、先祖が地獄に落ちている人があれば、引上げて貰う事を願い又、先祖の霊をなぐさめ供養になると云われている。
足摺岬には地獄に通じる穴があるとされたのですね。
自ら命を絶った者は天国へと行けず、地獄に落ちるともいわれています。足摺岬で自殺し、地獄に落ちた者の怨嗟が、数々の心霊現象を起こしているのかもしれません。
ところで足摺岬が自殺の名所とされたのは、なにも切り立った崖だから……というだけではありません。実は平安時代の中世から、足摺岬は自殺の聖地だったのです。
そもそも、「足摺岬」というこの変わった地名の由来はなんなのでしょうか。そのルーツは鎌倉時代にまでさかのぼることができます。
後深草院二条の書いた紀行文『とはずがたり』に、その由来が載っています。
足摺岬の金剛福寺にいた和尚と修行僧のお話です。
2人のもとに旅の僧が来て、食べ物を求めました。和尚は自分たちのぶんしか食料はないと断りましたが、修行僧はこっそり自分のご飯を与えました。
感激した旅の僧は、修行僧を「私の家に来てください」と誘って、海に出ていきました。
修行僧は「補陀洛(ふだらく)世界へ行ってきます」と和尚に伝え、海の彼方へ消えていきました。2人は観音様になったといいます。
和尚は「私を捨てるのか」と、足摺りをしながら、悲しみ泣き叫びました。
旅の僧は観音様の変化した姿で、慈しみの心を持ちなさいよ、という話ですね。
ただここで注目してほしいのは、「補陀洛(ふだらく)」というワードです。
補陀洛とは観音菩薩が住まう場所で、仏教徒にとっては「西の極楽浄土」と「南の補陀洛世界」の2つが、目指すべき霊場でした。
金剛福寺の修行僧のように、南の海の果てにある補陀落を目指して船出することを「補陀落渡海(ふだらくとかい)」といいます。
これは修行の一種にあたるのですが、地中に自ら生き埋めになる「即身仏(そくしんぶつ)」と同じで、命を捨てて行う修行「捨身行(しゃしんぎょう)」です。
彼らは決して海の果ての国にたどりつくことはありません。沈没するまで漂流を続けるという意味では実質「水葬」の一種であり、入水自殺だといえます。
補陀落渡海を行う僧たちは、小さな屋形船に乗り込み船出をするのですが、このとき30日分の食料と灯火のための油を積み込みます。そして外から、館から出られないように入口に板を釘で打ちつけ密封します。土壇場で恐怖やパニックを起こし、船から出ようとする者がいたのでしょう。
僧たちは、密封された船の中で、灯火を頼りにお経を唱え続けます。操舵もせず、ただひたすら、船が沈むまで……観音浄土に生まれ変わることを願い、死んでいったのです。
ちなみに操舵しないため、岸に戻ってくることがないように、伴走船が沖合まで綱で引っ張って、綱を離したそうです。伴走船に乗った僧たちは、ともに修行した仲間が海流に流され、漂流していく様子を見送りました。
補陀落渡海は平安時代から江戸時代まで行われましたが、終盤期には、既に死んだ僧を船に乗せる、いわば「水葬」の別形式に変化したところもありました。やはり残酷すぎたのでしょう。
この補陀落信仰の二大聖地が和歌山県の熊野と、高知県の足摺岬でした。
死の国、四国の最南端。足摺岬は、日本から南の果てを目指すにもっともふさわしい場所と考えられました。
人々は観音浄土を目指して、足摺岬から補陀落渡海を行い、海の藻屑と消えていったのです。まさに足摺岬は、平安時代からの由緒正しい自殺の聖地といえます。
こうした足摺岬の歴史を踏まえて書かれた小説が、田宮虎彦の『足摺岬』です。1954年に映画化、その後も二度にわたりテレビドラマ化された人気作なのですが、自殺をテーマにした物語でした。
この作品をきっかけに、(補陀落渡海と関係のない)飛び降り自殺者が急増したようです。「ちょっと待て、もう少し考えよ」と、自殺防止の看板が立てられました。
高知県の観光スポット「足摺岬」は、自殺の名所でもあるが故に、恐ろしい心霊スポットでもあります。
しかしその裏には、平安時代からの仏教の修行……という名の入水自殺「補陀洛渡海」が大きく関わっていました。
心霊スポットというと、事故物件や殺人事件の舞台などが多いのですが、なかには地域の歴史や、人々の古い文化・風習から生まれたものも多くあります。
心霊マニアの皆さんも、ただ探検したり怖がるだけでなく、ときにはその裏に隠された歴史や文化を紐解いてみると面白いかもしれません。
民俗学で読み解く心霊スポットの記事は、他にもいくつか書いていますので、興味のある方はこちらもぜひご覧ください。