誰もが知る超有名画家の、本人と作品の魅力をざっくり紹介!
などなど、アートの魅力を知るきっかけになれば幸いです!
後半、暗くてグロテスクな作品が登場するので、閲覧注意…。
1881年~1973年に活躍した、スペイン生まれ・フランスで活動していた画家。
いろんな角度から見たものを1つの絵に収める画法「キュビズム」の創始者であり、最も多作な美術家としてギネスブックに掲載されている。
誰もが名前を知っていて、世界的に有名な天才画家といえば、パブロ・ピカソを置いて他にいませんね。
自分のフルネームを自分で言えないほど、本名が長すぎる(パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ………)ということでも知られています。
ピカソにまつわる天才エピソードは数え切れないのですが、その感性が一般の人と異なりすぎて、時に「絵がヘタ」と揶揄されることもあります…。
しかしながら、
などなど、知れば知るほどその凄さにただただ唖然とさせられる、創作活動に没頭し続けた美術家です。
下の絵は、ピカソが14~15歳の頃に描いたとされる素描(デッサン)。
うますぎる…。
1452年~1519年に活躍した、イタリア・ルネサンス期を代表する芸術家。
世界的に有名な絵画『モナ・リザ』を生み出したほか、
などなど、あらゆる分野で業績を残した「万能の天才」としても知られる。
世界で最も知られ、もっとも見られ、もっとも描かれ、もっとも歌われ、もっともパロディ作品が作られた美術作品
と言われるほどの絵画『モナ・リザ』を制作したのが、イタリア・ルネサンス期に活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチ。
500年以上経った今もなお、人々を魅了し続ける芸術作品を生み出しただけでなく、
などなど、「天才ここに極まれり」な活躍をした万能人です。
あまりに万能すぎて複数人説がささやかれるほど、レオナルド・ダ・ヴィンチ本人も魅力たっぷり!
関連記事>>3作品で丸分かり!レオナルド・ダ・ヴィンチの凄さと絵画の魅力
1475年~1564年、イタリア・ルネサンス期の彫刻家、画家。
レオナルド・ダ・ヴィンチと同じく「万能人」と称され、また存命中から「神に愛された男(Il Divino)」と絶賛されていた、まさに超人。
レオナルド・ダ・ヴィンチと同時期に活躍した、もう1人の「万能の天才」と称される人物。
ミケランジェロにとって、画家という活動は「片手間」だったそう。
彼が本業と考えていたのは、『ダビデ像』などを作り出す彫刻家でした。
存命中から「西洋美術史における最高の芸術家の1人」と称されており、当時から才能を遺憾なく発揮していた人物でもあります。
それだけ脚光を浴びながら、本人は孤独を好み、他の人から「陰鬱な性格」と語られることもあり、
と比較されることもあります。
しかし創作に対する情熱は誰からも尊敬されており、まさに「職人」と呼ぶにふさわしい人物だったようです。
1483年~1520年、ルネサンス期のイタリアを代表する画家、建築家。
とともに、盛期ルネサンスの三大巨匠といわれている。
同じ時期に同じ場所で活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと比べると、日本での知名度はそこそこのラファエロ・サンティ。
しかし彼もまた、当時のイタリアを代表し、万能の天才2人と肩を並べるほどの活躍をした、正統派の画家なのです。
ラファエロの作風は、シンプル、明確、そして穏やか。
おそらく最も有名なフレスコ画『アテナイの学堂』など、パッと見ただけでその絵画が何を表現しているかが理解できる、明瞭なシーンや構図を得意としていました。
またどの絵画も、当時の画家の主流だった「無表情」「神々しさ」「堅苦しさ」に反する、血の通った人間の生き生きとした様子が描かれていることも特徴です。
その模範的かつ安定した作風は、一般庶民から貴族までさまざまな人に好評だったといいます。
1445年~1510年、ルネサンス期のイタリア・フィレンツェ出身の画家。
宗教画や神話画、官能的なテーマを描くことを得意とし、レオナルド・ダ・ヴィンチらと同時期に活躍していた。
イタリアの実質的な統治者である「ロレンツォ・デ・メディチ」の保護を受け、当時の他の画家より自由に、持ち前の教養や知性を活かして絵画を制作した、イタリアの画家。
当時最先端だった哲学や美的価値観を絵画に取り入れることができたため、依頼主や身分の高い人物・博識な人物には好評でした。
彼の有名な作品の1つが、宗教画に官能的な要素を取り入れた『ヴィーナスの誕生』です。
しかし、他の美術家や庶民との価値観がかけ離れてしまい、天才的な画家が多く活躍した時期でもあったことから、ボッティチェッリの作品は19世紀末(死後400年)まで受け入れられませんでした。
その知的な作品は、近代になって「不変の神話をなぞりながらも革新的な作品を生み出した」と再評価されています。
1526年~1593年7月11日、イタリア・ミラノ出身の画家。
「名前は知らないけど絵画は見たことある!」という典型的な人物の1人。
おそらく、今ほとんどの人が、
「アルチンボルドって…誰……?」
と思っていることでしょう。
しかし、下の絵画『ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世』は、そのうちのほとんどの人も見たことがあるはず。
葉や野菜・果物だけで人間を描く「トリックアート」のようなこの肖像画は、見た人に、忘れたくても忘れられない強烈な印象を与えます。
他の画家たちと比べても、絵の面白さや魅力が見た瞬間分かるため、アートを楽しむうえでとっつきやすい人物・作品でもあります。
この他にも、本だけの肖像画『司書』や、
木だけの肖像画『冬』などなど、
アルチンボルドの絵画は、見たままに楽しめるものばかり。
いろんな作品を見て、アートの世界に触れてみてください!
1853年~1890年7月29日、オランダで活躍した画家。
生前はまったく評価されない苦労人だったが、後に、
と称されるほどの名声を得ることになった、絵を描くことに人生を捧げた「炎の人」。
20代後半に画家として本格的に活動し、37歳で亡くなるまで2,000点以上もの作品を制作。
しかし、生前に自身の絵が売れることはほとんどなく、非常に貧しい生活を送り続けていました。
そんな境遇でも、創作に対する情熱だけは冷めることなく、「空腹より絵を描くことに飢えている」と言い切るほど、激動の人生を過ごした人物です。
また、日本の「浮世絵」に多大な影響を受けており、日本人にとって親近感のある画家でもあります。
油絵を用いつつ、広重の世界観が上手く表現されています!
1632年~1675年に活躍した、ネーデルラント連邦共和国(当時のオランダ)の画家。
今にも動き出しそうな写実的な手法と、光による質感の表現に長け、さまざまな芸術家に影響を与えた。
『真珠の耳飾りの少女』
『牛乳を注ぐ女』
などなど、美術の教科書で必ず一度は見るような絵画を描いたのが、フェルメール。
日本でもたびたび美術展が開かれ、知名度もそこそこありますね。
しかし、作品自体はこれだけ有名でありながら、
など、生涯のほどんとが謎に包まれている人物でもあります。
そんなフェルメールの作風は、写実的で、巧い。
美術館で絵画を鑑賞するというと、「作者からの何かしらのメッセージを感じなければいけない」「何か語らなければいけない」というようなプレッシャーを感じる人もいるかもしれません。
しかし、フェルメールからは「ゆったり鑑賞して、ただ作品の雰囲気・時間・温かみを感じられれば良い」という穏やかさが、個人的には感じられます。
気軽に鑑賞もできるし、知れば知るほど凄さに気づく画家が、フェルメールの最大の魅力でもあります。
1530年頃~1569年、16世紀のブラバント公国(現在のオランダ)の画家。
フェルメールと同様、ブリューゲルの生涯も謎が多く、現在確認されている油絵も40点と少ないながら評価されている人物。
当時の画家は、貴族や教会などから依頼を受けて絵を描くことが多く、いわゆる「教養人」でした。
そんな時代のなか、ブリューゲルは「農民」を描くことにこだわり、「農民画家」と呼ばれていました。
当時、農民は「無学」で「愚か」な象徴として描かれることが多かったため、ブリューゲルもそのような描き方をしていたのではないか?と考察されていました。
しかし、作品そのものが象徴している通り、ブリューゲルの作風は、
という点から、無学の象徴として農民を描いたのではなく、本当に農民たちと深く接し、描くべき価値を見出したからこそ、彼らをテーマに絵を描き続けたと考えられています。
当時の画家の主流に逆らいながらも、後に評価される作品を残したブリューゲルは、農民と芸術をつなぐ架け橋となった人物であり、自分の描きたいものを描いた自由人でもあったのかもしれません。
1863年~1944年、ノルウェー出身の画家。
彼が描いた『叫び』は世界的にも有名であり、またさまざまなパロディにも使われていることから、知っている人も多いはず。
作品名は『ムンクの叫び』ではなく、ムンクが描いた『叫び』が正解。
代表作『叫び』から感じられる強烈な「不安」が、エドヴァルド・ムンクの主な作風です。
その背景には、
などが深く関係しています。
その暗い体験から生まれた心情を、ムンクは「フリーズ・オブ・ライフ(生命のフリーズ)」と称した作品群に昇華させました。
『叫び』は、その中の1作品です。
ちなみに『叫び』は、ムンクが当時体験した「突如、空が血の赤色に変わり、青黒いフィヨルド(湾)に被さり、私は”自然を貫く果てしない叫び”を聴き、不安に震えた。」という幻覚をもとに描かれたとされています。
真ん中の人物は、実は叫んでいるのではなく、”自然を貫く果てしない叫び”に恐怖し、耳をふさいでいる最中なのです。
1746年~1828年、スペインで活躍した画家。
スペイン絵画の黄金時代である17世紀を代表する画家であり、「スペイン最大の画家」と称されている。
フランスを代表する巨匠と称されていますが、他の画家と比べると、「ゴヤ」という名前そのものには、あまり馴染みがないのではないでしょうか?
しかし、下の絵画『我が子を食らうサトゥルヌス』は、誰もが一度は興味本位で見て、後悔したことがあるはず…。
“ローマ神話のサトゥルヌスが、「自分の子どもに殺される」という予言を恐れ、5人の子どもを次々と食らった。”
という伝承を描いています。
ゴヤは、伝承の「丸呑み」ではなく、頭から無残にも食い殺す様子を描くことで、その凶行を生々しく表現しています。
この『我が子を食らうサトゥルヌス』は、ゴヤの連作「黒い絵」のうちの1点。
黒い絵シリーズは、その名の通り、どれも黒を主体に描かれた陰鬱そうなものばかり…。
『運命の女神達』
『食事をする二老人』
落ち込んだ時にこの連作を見ると、その陰鬱さに吸い込まれそうになります……。
1904年~1989年、スペイン出身の画家。
「シュール」の語源であるシュルレアリスムの代表的な作家であり、自身を「天才」称し、数々の奇行や逸話を残していることでも有名。
「天才=ダリ」
「ダリ=天才」
というイメージを持つ人もいますが、自分自身を天才と「自称」していたところが、彼をより魅力的に感じさせてくれます。
ダリは「天才」というイメージを誇示し続けるため、さまざまな奇行や失敗をしています。
などなど、ちょっと痛い逸話は、数え切れないほど…。
しかし、仲の良い人だけに見せたダリの本性は、他人のことを気遣える常識人だったそうです。
奇行は演技であり、それ自体がシュルレアリスムを象徴するアートでもありました。
天才になりたいと思い、天才を自称し続けることで、周りから天才と認められるようになった、普通の人。
これこそが、ダリそのものや彼の作品の魅力です!
個人的に興味のある・好きな画家を紹介しましたが、
などなど、世界的に有名な画家は、まだまだたくさんいます。
この記事がきっかけとなり、美術展覧会やアートブック、また映画などさまざまな媒体で、画家とその作品の魅力を知っていただけたら嬉しいです!