古くは2世紀、遅くとも4世紀頃には日本へと渡ったとされる謎の渡来人である「秦氏」の一族はここまで紹介したように多くの財力と技術などによって当時の古代日本へ大きな文化的影響を与えていることが分かります。
未だに彼らの正体に関するルーツや出自に関しては確定的なものはありませんが、少なくとも秦氏の渡来によって日本はそれまでの文化から大きく進歩を遂げたことは間違いありません。さらに、これだけ古代の日本において朝廷や天皇といった時の権力者との親交があったとされるにも関わらず、歴史の表舞台にほとんど立たないというのはやはり何かしらの原因があるのでしょうか。
彼ら自身がそうであるように願ったのか、はたまた、そこに不都合な真実が隠されているのかは未だに解明されていない問題の1つです。
秦氏という存在は「渡来人」という定義にくくられることが多いですが、日本書紀などに示されている記述を読み解けば、決して征服者であったり、攻撃をしてきたような集団ではなかったことは確かです。逆に独自に築いてきた数々の知恵や技術を日本という国に根付かしていることからも日本の成り立ちにおいてはおそらく一定以上の功績を残している集団であったことは客観的証拠からも分かります。
現代の日本にまで残っている様々な文化や価値観にも秦氏の影響が少なからず残っていることを考えると「秦氏の渡来」という歴史は日本の重大なターニングポイントでもあったのでしょう。
過去の例を見て考えるとモンゴル帝国による鎌倉時代の元寇など、日本に対して侵略行為があった記録などはいくつか残っていますが、こと秦氏に関して残っているものは「日本の○○に貢献した」という肯定的なものばかりなのです。
この記録だけをもとに「渡来人秦氏」という存在を全て語ることは出来ませんが、我々現代の日本人には確実に秦氏の血脈や文化が残されています。もしかしたら、今でも秦氏の血筋をそのまま引き継いだ家系が日本に存在しているかもしれないということを考えると、歴史のミステリーとは実に興味深いものだと改めて考えさせられます。
彼らは渡来人として日本に渡りましたが、その後は天皇のもとに帰化したという記述も残っていることから、現代で「秦氏のルーツ」を考えることはある意味で我々の祖先を考えることにもなると言えるのではないでしょうか?
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