演奏も販売も禁止される。
そんな恐ろしい曲「暗い日曜日」に迫ります。
暗い日曜日は、1933年にハンガリーで発表された「ヤーヴォル・ラースロー作詞」「シェレッシュ・レジェー作曲」による歌です。この歌には『聞くと自殺してしまう』という噂があります。
この曲を作った背景は、シェレッシュが失恋した後に書かれた歌だったそうです。
もともと世間に発表する気などはなかったが、当時の音楽関係者がこの曲を評価したため発表したのでした。
このことに関してシェレッシュは「この曲は悲しいなんて言うものじゃない、そこには何か、底なしの絶望を強いるような力がある。この曲はいかなる人に、いかなる喜びも与えることはないだろう・・・」
予想以上にこの曲は大ヒットをしたのでした。
それを喜び、この曲を作る要因となった元恋人によりを戻そうと連絡を取ったが、翌日に彼女は遺体として発見されたのでした。
死因は服毒自殺で、彼女の手元には一枚の遺書が残されていました。
その遺書には「・・・・暗い・・・・日曜日」と一言書かれていたのでした。
[amazonjs asin=”4872331265″ locale=”JP” title=”完全自殺マニュアル”]暗い日曜日の発表後に、この作品を聞いた人々が相次いで自殺したといわれていますが、その原因はいまだに解明されていません。
実際に起きた自殺例をご紹介します。
バーで、バンドがこの曲を演奏したところ、突然男二人がその場で拳銃自殺した。
少女が「暗い日曜日」のレコードを抱きしめたままドナウ河で入水自殺した。
バーで飲んでいた初老の紳士が、バンドに「暗い日曜日」をリクエストするなり、店の外に歩き出して頭を銃で打ち抜いた。
ベルリンで若い女性が首つりで命を絶った。足下には「暗い日曜日」のレコード盤が置かれていた。
ニューヨークでガス自殺した女性が、遺書に葬式で「暗い日曜日」を流すようリクエストしていた。
ローマで自転車に乗っていた少年が、ふと浮浪者の前で立ち止まった。少年はポケットの有り金を全て手渡し、フラフラと河へ飛び込み死亡した。後の調査で、浮浪者は「暗い日曜日」を口ずさんでいたと発言した。
ブタベスト市警は最初は単なる偶然が重なっただけだと思っていたが、次第に自殺者が増えることに危機感を覚え、次第に事の重大さを認めざる負えなくなった。
そして、まもなく当局は「暗い日曜日」の販売と演奏の禁止に踏み切った。
しかし、それだけでは市の連鎖は止まることがなかった。
ハンガリー国内で禁止される前に「暗い日曜日」の輸出が開始されてしまっていたからである。
[amazonjs asin=”4908468206″ locale=”JP” title=”東欧ブラックメタルガイドブック: ポーランド・チェコ・スロヴァキア・ハンガリーの暗黒音楽 (世界過激音楽)”]暗い日曜日の作曲を担当した「シェレッシュ・レジェー」も自殺しています。
さらには、日本語カバーした阿部薫や妻である鈴木いづみもそれぞれ自殺によって命を落としているのです。
暗い日曜日を作曲した「シェレッシュ・レジェー」の自殺の原因はこの曲がヒットし、批判や非難が殺到したことが自殺の原因として一番有力です。
周波数
音には周波数というものが存在しますよね。
周波数の種類によっては人を不快感を与える作用があります。
この曲には人を不安にさせ、自殺まで追い込んでいるのではないかという説が上がっています。
不景気だったから
当時戦争真っ只中で誰しもが日々に不安と恐怖を感じていました。
そのため気分的にうつ状態になってしまい、精神的に病んでしまった方が多くてもおかしくはないと思います。
そんな時偶然が重なり暗い日曜日が発表され、さらに人々の気持ちを憂鬱な気持ちにさせてしまい自殺者が多発したのではないかということが囁かれています。
この曲はYouTubeなどで配信されています。
実際に聞いてみるとどこか不気味な感じがして恐怖を覚えました。
もし聞いてみるという方は自己責任で聞いてみてください。