施餓鬼(せがき)という法要を知っていますか?
施餓鬼・・・漢字を見れば解るかもしれませんが、施す餓鬼と書きます。仏教の法要のひとつ施餓鬼にスポットを当ててみたいと思います。
施餓鬼とは、仏教の法要のひとつで餓鬼道にいるすべてのものを供養するためのものです。餓鬼道とは、仏教の六道のひとつで飢えと渇きに苦しむ世界のことです。
六道とは、生き物が輪廻するときにそれぞれの業の結果として行く世界のこと。六つの世界があるとされていて「天道、人間道、修羅道」の三善趣と「畜生道、餓鬼道、地獄道」の三悪趣があります。この中のひとつが飢えと渇きの餓鬼道です。
この餓鬼道で苦しむものを供養するのが、施餓鬼。つまり餓鬼に施すというわけです。
寺院の中には施餓鬼を毎日しているところもあり、食べ物を口に入れようとすると火になってしまって食べられない・・・という餓鬼を供養しているのです。
よく口が悪い人が「このクソ餓鬼」なんて言いますが、餓鬼っていうのは飢えた鬼のこと。決して、言うことを聞かないしつけがなっていない子供のことではありません。これは、もともと行儀の悪い子供が食べ物を貪るように食べる姿から、行儀が悪い子供を餓鬼のようだと言ったのが始まりだと言われています。
この餓鬼道に生まれてしまったものを供養する・・これが施餓鬼です。
餓鬼法要では、食べ物を祭壇や棚に供えて供養をします。ご先祖様やお世話になった人の供養だけでなく、広く供養をすることで得を積みいつかそれが自分に返ってくるというのが仏教の考え方でもあります。
仏教の施餓鬼は餓鬼道に生まれたものを供養するためのものですが、追善ことを施餓鬼とよぶこともあります。
もともとの施餓鬼は特定の誰か・・・ご先祖様とか○○さんとった形で行うものではなく、広く執り行われます。お盆などの供養の際に施餓鬼棚という棚を作って、すべての霊を弔うために施餓鬼が行われることもあります。
また、以前は、戦争で命を落とした人のために盛大に施餓鬼が行われることもありました。これは、餓鬼道の供養というよりは、非業の死を遂げた死者に対する供養という意味合いがつよく、仏教の施餓鬼とはちょっとニュアンスが違います。
施餓鬼は、宗派によっていろいろとマナーやルールが違うのですが、実家やおじいちゃんおばあちゃんの家で施餓鬼をしているというお宅もあるのではないでしょうか。
施餓鬼には、水死して命を落とした人を供養する川施餓鬼もあります。
船の上や川などの水辺で行われる儀式で、水死した人の霊を慰めるという意味合いがあるのが川施餓鬼です。
地域によって違いはあるものの、川施餓鬼が夏の夕暮れに行われることが多くお盆の時期に、水辺で川施餓鬼をしているとこもあります。
亡くなった人の名前を紙に書いて水に流すのが川施餓鬼・・・水でなくなったのに、名前を書いて水流すのはちょっと不思議な気もしますが、こうして供養をしているのです。
また、地域によっては身体についた負のパワーや悪霊を、洗い米とお茶の葉に吹き付けて川に流し線香で供養して浄化する「水施餓鬼」というお祓いをするところもあります。また、一部の寺院や地域では川施餓鬼を水施餓鬼と呼ぶ場合もあります。
今回は、施餓鬼という仏教の法要にスポットを当てご紹介しましたがいかがでしたか?
施餓鬼とは、飢えと渇きに苦しむ六道のひとつ餓鬼道に生まれたものを供養するという法要で、食べ物がたくさんお供えされます。こうして、自分の先祖供養のことを施餓鬼や知り合いだけでなく、広く供養することで自らも徳を積むというものです。寺院だけでなく一般家庭でも施餓鬼をしているというところもあります。
そして、水で亡くなった人を供養するために船上や水辺で行う川施餓鬼や、お祓いのような意味を持つ水施餓鬼という儀式を行っている地域もあります。
参考資料:Wikipedia 餓鬼
「餓鬼」 – 大辞林 第三版、三省堂